3.夏休みってあと何日だっけ

「かーおる!」
「光、ごめんね一人にして」
「全然!てか殿は何してるわけ?」
「虫をたくさん集めるのだ」

僕と光が殿に持ち掛けたハルヒの弱点を見つけるゲームを殿はまだ続行中だったらしい。
虫も怖い話も暗い場所にも動じないハルヒをビックリさせようと色々と試みたけれどまだハルヒの苦手なものは見つかっていなかった。
大量の虫って、そんなん誰でも気持ち悪いだろ…。
何やってんだか、と呆れながら話していたら今度はヘビを見つけたらしい。
虫にヘビってこのプライベートビーチ大丈夫なの?
猫澤先輩の趣味なんだろうか、とふと猫の形をした岩場…猫ヶ岩だっけ、を見る。
ハルヒが海の幸を掘っていて、その近くでなまえが遊んでいるはずなのだけれど、なんだかあたりが騒がしくて一人の女子が焦ったように走ってきた。

「環様!ハルヒくんが!」


助けを呼びに来た子から詳しいことも聞かずにすぐ猫ヶ岩に向かうとあたりに海の幸が散らばっていて、ハルヒはガラの悪い男二人に崖に追いやられて。
もう一人いた男に、なまえが手首を掴まれていた。
くそ、足がもつれる。

「やめて、やめてください…!ハルヒくん!」

もう少しというところでハルヒが海に落とされるのに間に合わなくて、殿が後を追って飛び込む。
僕はなまえの両腕の自由を奪っている男に掴みかかったけれど、その拍子になまえの華奢な身体がよろけて岩場に倒れ込んだ。
小さく悲鳴をあげた声を耳が拾って焦る。

「馨くんっ」

人を殴ったことなんてないのに左手で男の襟ぐりを掴んで右手を振りかぶった。
なまえがもう一度僕の名前を呼んだけれど、頭に血が上っていてそのまま男を殴り飛ばす。

くそ、くそ!
こんな一発じゃ気が収まるわけがなくてもう一度そいつに掴みかかろうとしたところをモリ先輩に止められて、僕の代わりにハニー先輩が自分よりもデカい男の腕をひねり上げた。

その後は、ハルヒを突き落とした奴らを光と半殺しにしようとしたところを鏡夜先輩に止められて、身分証を預かってから男たちを解放するまでは自分でも何がなんだかわからなかった。

なまえは岩場の安全なところに座っていて、副委員長に付き添われていた。
さっき男に掴まれていた手首を自分で握りしめていて、転んだ時に擦りむいたらしい膝はうっすら血が滲んでいる。
僕たちの後処理がひと段落したことに気付いたらしく、のろのろと立ち上がってこっちに向かってきた。
泣きそうな顔だ。

「馨くん…」
「大丈夫だった?」
「うん…わたしは何もされてないから…けどハルヒくんが、」
「何もじゃないだろ!僕らがいなかったらもっとひどいことされてたかもしれない!」

まさかここで僕がこんな風に声を荒げるとは思わなかったんだろう、なまえの肩がビクついた。
僕だって自分で驚いている。

「、ごめん。僕が遊んで来なって言ったのに」
「う、ううん…来てくれてありがとう」
「膝、手当しないと。行こう」
「うん…」

なまえが自分で握っていた手首をそっと、さっき怒鳴ってしまった分できるだけ優しく取って歩き出す。
大人しく付いて来てくれてそこでようやく息をつけた気がした。




「いやー昼間は大変だったよねー」
「うん」
「馨も疲れたでしょ、先に風呂入っていいよ!」
「うん」
「そういえばさっきダイニングに人生ゲームあったよ、後でみんなでやろーよ」
「うん」

ハルヒの怪我を医者に手当してもらって、今夜の宿泊地である猫澤先輩の別荘に辿り着いたけれど、姫たちを別のホテルに送る手配に追われていたらなまえも他のお客たちと同じホテルなのかを確認する暇がなかった。
膝の傷はたいしたことなかったし、強く掴まれた手首もあざにはなっていなかった。
猫澤家の使用人に任せたから手当もしっかりしてもらったとは思うけれど、無事にホテルに着いただろうか。


「もー馨、聞いてるー?」
「うん」
「聞いてないじゃん!僕先にシャワー浴びるよ!」
「あぁ…うん」

もう!と言いながら光が部屋に備え付けのシャワールームの扉をバタンと閉めた。
さっきまでべらべら喋っていた光がいなくなって一人になると部屋の静かさが落ち着かない。
はぁ…と溜息をはいて髪をがしがしかくと海水と風のせいで手触りがバリバリだ。
最悪。

ベッドカバーがかかったままだからいいか、とシャワーを浴びていないけれどベッドに背中から倒れ込む。
家のベッドのほうがもちろん落ち着くけどここもなかなか…なんて思っていたら部屋の扉がコンコンとノックされる音がしたから「どうぞー」と返事をした。

「なんだ、馨ひとりか?」
「鏡夜先輩。光はシャワー浴びてるよ」
「そうか」
「なんかあった?」
「あぁ。なまえから伝言があってな」

部屋を訪ねてきたのは鏡夜先輩で、夕食のことでも伝えに来たのだろうかと思ったらさっきから僕の心中を支配していた子の名前が出て来た。

「なまえ?」
「あぁ。パーカーを貸していただろう、なまえに。借りたままでごめんなさい、夏休み中借りておくのは悪いから今度家に届ける、だそうだ」
「届けるって…明日ここにお客たちみんな来るんじゃなかったの」

今晩はホスト部のメンバーは猫澤先生の別荘、お客様は近くのホテル、と宿泊場所が分かれているけれど明日は猫澤先輩の厚意でお屋敷ツアーをすることになっていた。

「なまえはホスト部の客というわけではないからな。明日は来ない」
「…でもホテルは一緒なんでしょ?」
「ここに呼ぼうかとも思ったがハルヒのことがバレても面倒だろう。それとも、馨は同じ宿のほうがよかったか?」
「なっ僕は別に、そんなつもりじゃ」
「まぁ、とにかく伝言は伝えたぞ」
「…あの、鏡夜先輩」

用件を伝えたからと部屋を出て行こうとする鏡夜先輩を呼び止める。

「なまえは、大丈夫そうだった?」
「心配なら自分で連絡したらどうだ」
「…僕、なまえの携帯番号知らない」
「は?」
「だって普段連絡することなんてないんだもん」
「……しょうがない奴らだな」

ちょっと待ってろ、と眼鏡を押し上げながら部屋から出て行ったかと思うと、小さなメモを持って戻ってきた。

「なにこれ」

鏡夜先輩に渡されたメモを見ると、ホテルの名前と電話番号、それから四桁の数字が書いてある。

「お客様が宿泊しているホテルと、なまえの部屋番号だ。あいつは一人部屋だったな」
「……」
「なんだ、馨にしては察しが悪いな」
「わ、わかってるよ!」
「ならいい。じゃあ夕食は七時に広間だと光にも言っておいてくれ」
「うん。……鏡夜先輩、ありがとう」
「どういたしまして。かわいい幼馴染のためだからな…あぁ、携帯の連絡先は自分で聞けよ」

なんでこれがなまえのためになるんだ、と思っているうちに今度こそさっさと部屋を出て行ってしまった。
ハルヒに危害を加えた男たちや、いらぬ心配を与えてしまったお客様への対応をしなければとビーチから別荘に移動してくる最中も各所に指示を出していたし忙しいんだろう。

(連絡先は自分で聞けって…余計なお世話だ)

メモを見て悩んでいる間に光がシャワーを終えて出て来てしまうかもしれない。
息を大きく吸って、自分の携帯でホテルへ電話をかけた。
ワンコールも鳴らないうちに電話が繋がって、「1306に宿泊のみょうじなまえに繋いでもらえますか」と伝える。

『かしこまりました。お客様のお名前をお伺いできますでしょうか』
「常陸院です」
『常陸院様でございますね、確認しお繋ぎいたしますので少々お待ちくださいませ』

保留のメロディー音が流れると僕の心音も上がった気がする。
ホテルにはワンコールで繋がったのに、今度は少し時間がかかっていて落ち着かない。

『もしもし?』
「もしもし、なまえ?」
『っえ?馨くん?』
「うん、馨だけど…」
『常陸院っていうからてっきり光くんかと……あ、でも光くんは…』
「何ぶつぶつ言ってんの」
『ご、ごめんなさい…電話なんてビックリして。どうしたの?』

僕がさっき苗字しか伝えなかったかもしれない。
だからって僕から電話がかかってくるとは全く思っていなかったってことかと少しムッとする。

「どうしたのって、鏡夜先輩から聞いて」
『あ、鏡夜くん伝えてくれたんだ。ごめんね、パーカー着たまま帰っちゃって…』
「いーよ」
『なるべく早くおうちに届けてもらうね』

多分使用人に届けてもらうつもりなんだろう。
わざわざなまえ本人が出向くことではないかもしれないけれど、夏休みなんだから一日くらい暇な日はあるはずなのに。
ここで「じゃあ届けるついでに遊びにおいでよ」と軽く誘える関係ではないから「うん」とだけ返す。

「怪我、大丈夫?」
『うん。ちょっと擦りむいただけだから』
「よかった」
『ありがとう』
「うん」
『……』

…直接話していたってうまく話せないのに、顔が見えない電話でするすると言葉が出て来るわけがなかった。
沈黙してしまうと余計に何を言ったらいいのかわからない。

『馨くん?』
「ん」
『今日、たくさんありがとう。飲み物も、パーカーも。守ってくれたのも』
「別に…」
『嬉しかった、です』
「……そう」
『じゃあ、また二学期にね』
「え、ちょっと、」

話すことがないからってこんなにあっさり切ろうとする?
しかもまた二学期って、一か月まるまる会う気ゼロじゃん。
僕らの関係がよろしくないままなのってなまえにも責任があるんじゃないかと思えてきた。

「…あのさ、携帯。こういう時に連絡先知らないって不便だから教えて」
『えっ…あ、うん、そうだね。わたしの番号、鏡夜くんも光くんも知ってるから送ってもらって?』
「は?」

光が知ってるって、なんだそれ。
こっちがどれだけ勇気出して聞いたと思ってんの。
そりゃ口頭で伝えるよりも既に知っている相手から送ってもらったほうが確実だし手間もないかもしれないけど。

『馨くん?』
「…わかった。光に聞いておく」

連絡先を聞けたら、夏休みに一度くらい電話とかメールとかしてやろうかと思ったけど、なんかむかついたし僕にだって意地っていうか男の矜持みたいなものがある。
光から教えてもらったらとりあえず「これが僕の連絡先」ってメールはするけど、それ以外は絶対にするもんか。
そんな風に考えているとは思っていないだろうなまえが呑気な声で「光くんによろしくね」なんて言うから電話を切るときにちょっとそっけなくなってしまったかもしれない。


「かおる〜…?」
「光…何どうしたの」
「いや、ごめん出ようと思ったら電話してたっぽいから待ってて、聞こえちゃったんだけど」
「盗み聞き?」
「ごめんって!」
「てか聞いてたんなら早いや。なまえの連絡先なんで知ってんの?」
「なんでって…覚えてないくらい昔だよ、聞いたの」

確かに携帯電話を持たされるようになったのは記憶もないくらい昔のことだ。
何かあった時のためのセキュリティの意味もあって多分なまえも子供の頃から持たされていたんだろう。

「なんで光だけ」
「なんでだろうねー」

光が呆れたようにタオルで髪の毛を拭きながら携帯を操作して、あっという間に僕の携帯になまえの連絡先が送られてきた。

「けど自分で聞こうって思ったんだ、偉い偉い」
「…だって不便だろ」
「でも今まで連絡取るようなことなかったから知らないままだったんでしょ?」

連絡先なんて知らなくても学校に行けば会うし。
まぁ会っても話すことなんてほとんどないんだけど。
鏡夜先輩も光も、僕の知らないところでなまえと電話したりメッセージを送り合ったりしていたんだろうか。

「なまえ、怪我大丈夫だって?」
「うん。光によろしくって言ってたよ」
「おっじゃあなまえにメールしとこーっと」

僕も光みたいに出来たらいいのに、なんてことは初めて思ったかもしれない。
いざメールしようと思うとやっぱり手が止まって、悩みに悩んで結局「馨だよ」という短い文章と、電話番号とアドレスだけを打って送った。



(2020.06.13.)


ホスト部の時代ってガラケーだったのでメールアドレスということにしました。






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