2.パラソルとふたりごと

…おかしいと思ったんだ。
ハルヒと海に行こうとという提案に殿があんなにあっさりOKを出すなんて。
夏休みだっていうのに海外の別荘に行かずに日本のビーチかぁとぶつくさ言いながらも楽しみにしていたのに、いざ海に着いたらホスト部のお客さんが既に到着していた。
純粋に遊びに来たつもりでハルヒに可愛い水着を着せようと思っていた計画が台無しだ。

しかも。
それだけならまだしも、こんなところで会いたくない女の子がいた。

「……」
「馨〜遊ぼうよ〜」
「遊ぶよ、遊ぶけどさ」
「そんなに気になるなら声かけてくればいいじゃん」
「はぁ?」

僕と色違いの水着を着た光がビーチボールを抱えながら言ったことに思わず眉をしかめてしまう。
ビーチでは殿やハニー先輩が早速お客さんの相手をしていて、殿とのツーショットタイムを待つ姫たちの列ができていた。

「あーほら、馨がモタモタしてるから鏡夜先輩が」

いや、モタモタって。
ひどくない?と思うけれど光の視線の先を追うと、バインダーを抱えた鏡夜先輩がパラソルのほうへ歩いて行くのが見える。
あのバインダーって殿のツーショットタイムの予約情報が載っているじゃないかな。
さっきまでバインダーとストップウォッチを見ながら殿に付いていたのに、もうその仕事は終わったのだろうか。
パラソルの下には女の子が一人でぽつんと座っていて、他の子たちがビーチで遊んでいる様子を眺めていた。


「なまえ」
「鏡夜くん…話が違うんだけど…」
「いきなりなんだ」
「ホスト部のイベントなんて聞いてない」
「プライベートとも言った覚えがないが」
「プライベートビーチって言ったじゃない!鏡夜くんが珍しく誘ってくれたから来たのに」
「誰の、とは言ってないだろ?間違いなくプライベートビーチだ、猫澤先輩のな」
「へりくつ…」
「何か言ったか?」

一人でいた子、なまえに鏡夜先輩が声をかけている姿はここから見えるけれど、何を話しているかまでは聞こえない。
だけど様子を見ているだけで二人の仲がホスト部の副部長と、お客…ただの高校の後輩というだけではないことは誰が見てもわかるだろう。

「何喋ってるんだろうね〜鏡夜先輩となまえ」
「さぁね」
「あの二人って学校で一緒にいるとこ見たことないけど幼馴染なんだっけ」

常陸院家とみょうじ家は事業的に近いというわけでは決してないし、家族ぐるみで頻繁に会うような間柄ではなかった。
小さい頃はなまえが僕らの家に遊びに来ていたのに、それも桜蘭の幼等部に入ってからは徐々に減ってしまった。
だけど鳳家とは懇意にしているらしい。
鏡夜先輩の姉である芙裕美さんがなまえのことをめちゃくちゃかわいがっているのだ。
鳳家は芙裕美さんしか女の子がいないから、なまえのことを妹みたいに思っているようで未だに仲が良いと聞いたことがある…鏡夜先輩から。

「あ、」
「え?」
「鏡夜先輩がなまえの頭撫でた。あの人あぁいうことすんだね」
「……まぁ鏡夜先輩も人の子だからね」

撫でるっていうよりもぽんっと頭に手を置いただけだ。
幼馴染だからって人の婚約者に触るのはどうかと思うけど。
ホスト部の営業ですらあんなことをしているところは見たことがない。

「ちゃんと説明しなくて悪かったよ」
「鏡夜くんが素直に謝るときは心から悪いと思ってないときだよ」
「心外だな」
「ホスト部のお客さんもいるし光くんも馨くんもいるし…」
「二人も部員なんだから当然だろう」
「……そうだけど」
「まぁせっかく来たんだから楽しんでくれ」

なまえがぶすっと子供みたいに拗ねた顔をして、鏡夜先輩が笑いながら腰を上げたかと思うと僕たちのほうへ歩いて来た。
身構えてしまうのはなんでだかわからないけれど、眼鏡の奥で少し細められた目が僕のほうを見ている。

「馨、手が空いているんならなまえに飲み物を持って行ってくれるか」
「なんで僕が」

鏡夜先輩が行けばいいじゃん、と我ながらもごもごとした口調で言うと光が溜息をついたのが聞こえる。
なんでだよ、光は僕の味方だろ?!

「馨が良いなら俺はそうしても構わないが」
「あー!鏡夜先輩、大変だよ殿がまたバカなことしてる!止めに行かないと!」
「は?あぁ全くあいつは手のかかる…行くぞ、光」
「ラジャー!」
「え、ちょっと?」

殿のほうを見るとハルヒにまとわりついて鬱陶しがられているところで、別に光と鏡夜先輩が二人がかりで止めに行くようなことではない。
僕も行く、と追いかけることもできたけれどそれよりも一人で膝を抱えているなまえが気になってしまった。
だって殿はほっといても大丈夫だろうし。
なまえはいつからあぁしているのかわからないけれど、水分を摂っている様子はない。

(飲み物くらい、持って行ってやるか…)

鏡夜先輩が手配したのであろうカフェスペースに立ち寄って、メニューの中から二つ飲み物をオーダーする。
グラスにジュースを注ぎストローとハイビスカスを添えてくれたウェイターにお礼を言って、なまえのほうへ。
足取りがゆっくりなのはこぼさないように砂に足を取られないように慎重になってしまうからだ。

……っていうか、何あの恰好。
そりゃ海だし、夏だし暑いし、水着なのは当たり前かもしれないけど。
むしろハルヒには水着を着せようと楽しみにしていたけれど。
薄手のガウンを羽織っているようだけれど細い腕で抱えた足は無防備だし、髪をアップにまとめているから首元も丸見えだ。
高等部の女子の制服は夏服でも襟が開かないデザインでリボンをきゅっと結んでいるから、普段であれば見えることのない場所がいろいろ見えている。
ザッザッと砂を蹴る僕の足音が聞こえたのか、なまえがこっちを向いたかと思うと目が合った瞬間にその瞳が丸く見開かれた。

「……」
「馨くん、どうしたの?」
「そっちこそ。なんでいるの」
「…鏡夜くんに誘われて」
「今までホスト部のイベントなんて来たことないのに」

気まずそうに小さくなって座っているなまえに聞こえるように溜息を吐いて隣にドカッと座る。
さっき鏡夜先輩が座っていたところだ。
両手に持っていたグラスの片方を無言で差し出すと、一瞬動きを止めたなまえが「ありがとう」と控えめに笑った。

「あの…ごめんね、ホスト部の活動だって聞いてなくて」
「ふぅん」
「プライベートビーチだからどうかってだけ言われて」
「……誰が来るかとか確認しなかったわけ?」
「てっきり鳳家のみなさんかと…」

鳳家の集まりだったら何も考えず疑わずためらわずに来るってことね、とはさすがに口にしなかったけれどおもしろくない。
自分の分のジュースを飲んで口から滑り出そうな文句を飲み込んだ。

「別にいーよ。てかせっかく来たのになんで一人でジッとしてんの?」
「だって、みんなホスト部の方たちと遊んでるんだもん」
「それが目的だから当然でしょ」
「うん…」

なまえがさっきまで見ていたほうに僕も目を向けると、ホスト部の面々はお客の相手をしている。
僕もそろそろ行かないとなぁ。
ここになまえを一人で置いて行くのもどうかとは思うけれど、かと言って他の男と一緒に遊ぶよう促すのも引っかかるものがある。
他の男って、ホスト部のみんなだけどさ。

「…あ、」

そうだ、と僕がこぼすと「ん?」と首をこっちを見た。
首筋に目がいってしまって慌てて目をそらす。

「ハルヒんとこ行けば?あいつ海の幸掘ってるし、倉賀野姫も近くにいるし」

同じクラスで仲良くしているハルヒとなら安心だし。

「海の幸って…どういうこと?」
「さぁ?ハニー先輩がハルヒのためにってウニやらホタテやらまいたらしいよ」

呆れながら事実を伝えたら納得したのか微妙な顔のままで「そっか。じゃあ参加させてもらおうかなぁ」とちまちま飲んでいたジュースを飲み干した。

「気にしてくれてありがとう」
「…別に、そういうわけじゃ」

僕の態度は、周りから見て褒められたものではないんだと思う。
殿に誘われてホスト部に入ってからはお客である女の子たちと愛想よく話すようになったし、クラスの人とだって普通に接するようになった。
でもなまえとだけはうまく話せなくて、笑顔を向けられるたびに息がしにくい。
今だってお礼を言われて笑いかけられたのに目も合わせられない。

「グラス返しとく」

なまえよりも先に立ち上がって、まだ日焼けなんてしていない真っ白な手から空っぽのグラスを受け取る。
僕に続くようにして立ったなまえの恰好を改めて見て、やっぱりなんで水着なんか……と思ってしまった。
水着の上から羽織っていた刺繍レースのガウンは水着のデザインを邪魔していないしアイテムとしては可愛いと思うけれど、肌を隠すという点では役に立っていない。
なまえはそれを脱ごうか迷っているらしく、裾のあたりをつまんだ。
ハルヒの近くにいる子たちは海で泳いでいる子もいるし、一緒になって泳ぐなら羽織りものは邪魔になるだろう。

だけど。

「……なまえ、日焼けしやすいんじゃない?」
「え、なんでわかるの?日焼け止め塗っててもすぐ赤くなっちゃうんだ」 

そんなの肌質見たらわかるよ、というのはなんだか気持ち悪がられそうで言わない。

「そんなぺらぺらのガウンじゃ焼けるよ」

持っていたグラスを一旦置いて、来ていたパーカーを脱ぐ。

「これ着ていいよ。僕いまから泳ぐからいらないし」
「え、」
「はい」

ぎょっとしたように身動きをとらないなまえに無理矢理パーカーを押し付ける。
いいの?と窺うように僕のほうを見ながら胸のあたりでぎゅっと抱き締めていて、それに首肯で返すとためらいながらも袖を通した。

「…馨くん今身長何センチなの?」
「は?178だけど」
「そっかぁ。大きいわけだ」

両手を僕のほうに向けて「ほら」と袖から手が出ないことを見せてくるけれど、そんなの着る前からわかってたよ。
本当は全開のファスナーを首まで上げてしまいたかったけれど、僕がそんなことしたら色々まずいし、ファスナー閉めてなんてことも言えないから我慢した。

「…それ、脱いじゃだめだよ」

日焼けしてもいいなら別だけど、と言った僕の真意をなまえはわかっていないんだろうな。



(2020.06.13.)



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