1.僕と光とあの子


「なまえさん、今日こそご一緒しませんこと?」

五限目の授業が終わって、それぞれが部活や帰宅の準備をしている時にクラスメイトの声を耳が拾った。

「いえ、わたしは…」
「とっても麗しい空間ですのに!ねぇハルヒくん?」

ホスト部常連の女子生徒から声をかけられて控えめに誘いを断る姿を見るのはこれが初めてではない。
幼馴染と言えるほど親しい存在ではないのに、名目上は幼馴染よりもずっと近い女の子。
みょうじなまえとの距離を僕はもう何年も測りかねていた。

「なまえちゃんは一度も来たことないの?ホスト部」

話を振られたハルヒが、そういえば…と首を傾げながら問いかけるとなまえは眉を下げて肯定している。
僕が毎日活動しているホスト部になまえは顔を出したことがないけれど来てほしいと思ったこともない。

「何度誘っても首を縦に振ってくださらないのよ。婚約者がいらっしゃるから仕方がないかしら…」
「えっ?!なまえちゃん婚約者がいるの?」
「あらハルヒくんご存知なかったの?」

あら、なんて言いながらハルヒの常連客でうちのクラスの副委員長、倉賀野姫が手を口元にあてている。
と思ったらなまえが不意に僕のほうを見てバチっと目が合ってしまった。

「婚約とかってよくわからないけど大変そうだね。婚約者がいるって桜蘭だと普通なの?」
「多くはないと思うけれど、なまえさんと馨くんの婚約は昔からのことだから少なくとも初等部から一緒の人は知っているんじゃないかしら」
「…え?!馨?!」

低燃費、省エネ、ちょっとやそっとでは驚かないハルヒが大声を出した。
…そんなに驚くことかな。

「なまえちゃんと馨が?」

確認するようにハルヒに聞かれたなまえが、こくりと頷いた。
その表情にどんな感情が乗っているのかここからではよくわからない。


「かーおる!お待たせ、部活行こ!」
「光、うん。けどハルヒがまだ…」
「あぁなまえと話してるんだ。あの二人いつのまにか仲良くなってたよね」

ハルヒと常連の倉賀野姫と、なまえ。
先生の呼び出しから戻った光が、三人が話している様子を遠巻きに見て「仲良く」と言ったことがなぜか引っかかった。

「遅れると鏡夜先輩に僕らまで怒られるのに」
「だね〜。ハルヒ、僕たち先に行くよー?」
「あ、待って自分も行くよ」

きっと倉賀野姫は今日もハルヒに会いにお客さんとして足を運んでくれるのだろう、光とハルヒのやりとりを聞くと「ハルヒくんまた後で」と会話を切り上げている。

「なまえちゃんもよかったら今度来てね」
「ありがとう、ハルヒくん」

ありがとう、なんて言うけどそれが前向きな返事ではないことは誰が聞いても明らかで、倉賀野姫は残念そうにまた「もう〜!」なんて言っている。
なまえの反応は想定通りだったらしいハルヒは彼女たちに手を振って僕たちのほうに小走りでやってきた。

「ごめんね、お待たせ」
「いいえー」

軽い調子で返す光と違って僕は気分が上がらない。
一日の授業を終えて、あとは楽しい部活だけなのに。



みょうじなまえとの出会いはまだ僕たちが小さくて女の子みたいに可愛かった頃のことだ。
さすがに母親がデザインした女の子向けの子供服を着させられているときに会ったことはないけれど。
初対面は僕たちの自宅で開かれた誕生日パーティーだった。

「光くん、馨くん。お誕生日おめでとう」

その日何回言われたか数えるのもバカバカしくなるお祝いの言葉に適当に返していた時、おめでとうと言った大人に隠れるようにして立っていた女の子。
僕たちと年が近いからきっと連れて来られたのだう。

「娘のなまえです。仲良くしてもらえる?」
「はじめまして…おたんじょうび、おめでとう」

母親に背を押されてなまえと名乗った女の子が、小さな声でおずおずと僕と光に言うけれど言わされている感がすごかったことを覚えている。
だけど、ほとんどの大人が纏っている常陸院家と仲良くすることで生じるメリットを計算しているような感じをこのおばさんからは受けなくて、だから娘であるなまえのことも視界から除外することはしなかった。

「いやじゃない」、ただそれだけ。
自分たち二人以外のことはどうでもいいと思っていた僕にとって、これはわりとすごいことだった。

光が「ありがとう、ぼくが光でこっちが馨だよ」といつもなら言わないようなことを言ったのも、多分僕と同じようにいやじゃなかったからだと思う。
みょうじなまえと名乗った女の子は、その時から僕たちの、僕の特別だったのかもしれない。

まだ僕たちに挨拶をしたそうな大人はたくさんいたけれど、その目的は僕たちではなくて
パパとママに顔と名前を売ることだろうって子供ながらに理解をしていたから、なまえの手を取って庭で遊ぼうと三人でパーティーを抜け出した。
なまえは戸惑うように母親のほうを振り向いていたけれど、「遊んでらっしゃい」と送り出されて僕が握った手をきゅっと握り返した。
反対の手は光が繋いでいたから、多分そっちも。
「光と馨、なまえちゃんと仲良くなれそうでよかったわ」
「同い年ですものね。来年からは桜蘭の幼等部でご一緒ですし」
「これからも遊んでやってね」

そんな会話があったことを僕は知らないし、なまえが帰る時間になっても帰らないでほしくて小さな彼女の手を離さなかったことなんて覚えていない…うっすらとしか。
ただその時に僕となまえの様子を見たママとなまえのお母さんが顔を見合わせていて。
光もきょとんとした顔で僕を見ていたような気がする。
その後何度か顔を合わせる機会を経て、なまえが将来僕のお嫁さんになるという約束を家族の間で取り付けた。
「いいなずけ」とか「こんやく」と言われてもこの時の僕は事の大きさをよくわかっていなかったけれど、大人になったらなまえはずっと僕と同じ家にいて、今みたいにみょうじ家に帰る度に悲しい思いをしなくていいんだということはわかった。

幼等部に入って、なまえには友達が出来た。
僕はやっぱり光とばっかりいてそれが当たり前で他の友達なんていらない、僕たち以外はみんなバカばっかりだって思っていた。
だけどなまえだけはいやじゃなかったのに。

なのに、他の奴らと遊ぶなまえのことは「いやだ」と思う。
僕たち以外と楽しそうにしているなまえが理解できなかった。
だって、僕は光としか遊ばない。
なまえは特別に僕たちの中に入ってもいいって、僕と一緒にいてほしいって思ったのに。
なまえは僕たち以外でもいいんだ。


幼等部、初等部、中等部と進むにつれて光と僕、それ以外の奴らの間に引いた線はどんどん色濃くなって、なまえと遊ぶこともなくなってしまった。
僕らがどうとかじゃなくて、普通は中学生になってまで女の子の友達と遊ぶことなんてないだろう。
だけど親同士が結んだ婚約関係は変わらずに僕となまえの間にあった。
婚約者がいることなんて桜蘭学院の生徒なら珍しくもない。

みょうじなまえは、常陸院馨の婚約者。

このことを知らない生徒は多分いなかったけれど、僕となまえが子供の頃みたいに話すことや手を繋ぐことはなくなっていた。
家柄と成績でクラス分けされる桜蘭ではクラス替えというものがあってないようなもので、僕たちとなまえはずっと同じクラスだったのに普段は挨拶すら交わさなくなった。
光と僕は中等部でも周りを寄せ付けようとしなかったけれどなまえは違う。
幼等部から一緒の友達もいれば、中等部から入ってきた新参者とも打ち解けていた。
僕に向けなくなった笑顔を他の奴らに向けているのを見ると胸の中がぐしゃぐしゃになりそうに痛くて、目を背けるようになってしまった。

僕が取った距離は縮まることなく、この春、僕らは高等部に進学した。
制服が詰襟からブレザーになって、女子の制服もセーラーから白いワンピースになった。
相変わらずクラスの顔ぶれは大きく変わらないから制服と校舎くらいしか変化はない。
中等部の頃より格段にクラスメイトと話す機会も増えたし、去年から入部した部活のおかげで学院生活は変わったけれど、なまえとの関係は相変わらずだった。

…少なくとも僕は。



「ハルヒっていつの間にかなまえと仲良くなってたよね」
「なまえちゃんは入学した頃から良くしてくれてたからかなぁ」
「あーハルヒがまだダサダサの恰好してた時ね、なまえそういうの気にしなさそうだもんな」
「ダサダサ…光って本当失礼だよね…」
「だって本当のことじゃーん。ね、馨?」
「えっ、あぁうん。すっかりかわいくなってさすが僕らだよね」


高等部に上がってからも胸の真ん中に渦巻くどろっとしたよくわからない感情は変わらずにあって、それを誤魔化すようにハルヒの髪の毛をくしゃっと撫でた。

「あっもう馨はまた!髪の毛ぐしゃぐしゃになる!」
「あはは、ぐしゃぐしゃにしてるんだよ」

不満そうに僕のほうを見上げるハルヒは可愛い。
僕と光の間に入れてもいいって思えた二人目の女の子だけど、ハルヒに抱く気持ちとなまえへの感情は全然違う。

「馨?どうかした?」
「え?」
「なんか変。体調悪いんなら無理しないほうがいいよ」
「体調…」

体調はすこぶる良い。
だけどハルヒは適当にこんなことを言う子ではないから、思い当たる節を探そうとすると光がこっちを見てにやついていた。

「なんだよ、光」
「べっつにー?調子悪いのは体調のせいじゃないんだろうなーって思っただけ!」
「体調も調子も悪くないから!」
「ならいいけど。あっていうか!なまえちゃんって馨の婚約者だったんだね」

全然知らなかった、と顎に手を当てているハルヒを見下ろす。

「…まぁね」
「なんか意外。馨ってそういうの嫌いそう」
「そういうのって?」
「家に縛られるっていうか…自分のこと誰かに決められるの?」

疑問に疑問で返して首を傾げながらハルヒが言う。
多分、殿がこの場にいたらその可愛らしい仕草に大騒ぎしていたんじゃないだろうか。

「それに馨となまえちゃんって話してるイメージなくて。光は話してるけど」


彼女と距離を取るようになっていたのは光も同じだったはずなのに、周りとの壁が少し薄くなった頃から光もなまえと普通に接するようになった。
僕だってなまえ以外の人とはそれなりの付き合いをしていると思う。
なまえだけ、彼女とだけは、どう接したらいいのか、すっかりわからなくなってしまっていた。



(2020.06.09.)




光くん馨くんお誕生日おめでとう!

双子の母親の呼び方、
子供時代は「ママ」で非常にかわいいのですが、
現在は母さんとお母さんで気分によって使い分けているのかなぁと思いました。
呼び方とかこだわってなさそうです。



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