7.とある金曜、夜

「茅ヶ崎ーちょっと」
「はい」

上司に呼ばれて、チェックしていた資料を伏せてデスクに置いた。
なんかやらかしたか?と一瞬考えるけれど心当たりがないし、人の好さそうにニコニコと口角をあげて「まぁ座ってくれ」とデスク横のイスに座るよう促されたから悪い話をされるわけではなさそうだ。

「お疲れ様です」
「おう、お疲れ。茅ヶ崎これ見たことあるよな?」

そう言って撮りだしたのは会社の広報部が作っているという社内で回覧される社内報だった。
あれ、作ってんのって人事だっけ?
曖昧な情報しかないけれど確か発行は年に数回で、知ってはいるものの内容をじっくりは見たことがなかった。
なんせ日々の業務に追われているのだから、のんびり社内報を読む時間なんてないのだ。
上司の問いかけに「はい」と返事をしながら冊子を受け取るけれど嫌な予感しかしない。

「毎号、社員紹介があるんだが、それに茅ヶ崎をぜひという話をもらったから受けておいた」
「はぁ…え?僕ですか?」
「あぁ。若手社員にクローズアップするらしくてな。あちらからご指名だったんだぞ」

いやなんであんたがドヤ顔してんだよ、事後報告ってふざけてんのか。

「いや、僕の話なんて誰かが聞いて役立つようなものでは…」
「今回は就活生向けのリクルートイベントにも使い回すらしいから、普段の業務でどんなことをしているのか話すだけでいいって話だ」

いやいやいや、就活生向けってさらに嫌なんですけど。
常日頃から仕事の時間は極力削って寮に一目散で帰りたいと思っているのに、業務外のことに時間を取られるなんて最悪すぎる。
だけどここで今まで被ってきた仮面を外すわけにもいかないしもう上司が受けてしまっている以上、断るという選択肢はなさそうだ。
もう一度言うけれど最悪すぎる。

「…わかりました。ただ、所属している劇団の責任者に念のため確認を取ってもいいですか?」
「あぁ、そうだよな。もちろんだ」
「すみません、今週中には返事できると思います」
「いや〜茅ヶ崎は劇団で役者もやってるんだから本当に立派だな〜!」

はっはっは、と快活に笑う上司のつばが飛びそうでバレない程度に身を引いた。


「…というわけなんだけど」
「社内報と新卒採用のPRのためってことですよね?全然いいですよ」
「だよね」

劇団の宣伝になるかも!と監督さんはそれはもういい顔で快諾してくれて俺はガックリと肩を落とした。

「会社員ってそんなこともあるんですね」
「会社によるんじゃねーの?あの人、外面いいから断れねぇんだろ」
「万里さん言い方…」
「あはは、大変だなぁ」

談話室にいた監督さんを捕まえて話をしたものだから、ソファのスペースでリーダー会議をしていた四人には聞かれていた。
聞かれて困るようなことではないからここでは話したのだけれど、咲也と天馬、紬は労わりの空気なのに万里だけ半笑いの表情で腹立つな。

「撮影いつなんすか?」
「…金曜の業務後」
「えっ終業時間後にやるんですね」
「そうそこ。意味が分からない…」
「は、早く終わるといいですね!」

咲也はまじで天使だと思った。




「じゃあちょっと外します」
「おー例の取材か」
「はい」

内心では気が重いなんてものではなかったけれど、隣のデスクの先輩に一言入れて席を立つ。

「金曜だし取材終わったら直帰したらどうだ?急ぎの案件もないだろ」
「…いいんですか?」
「おう。茅ヶ崎が大丈夫なら」

颯爽と定時退社できるほどの余裕があるわけでもなかったけれど、先輩の言う通り今日中に仕上げなければいけないような急ぎの仕事もなかった。
長時間外すことになるだろうとデスク周りの資料はあらかた片付けてあるしパソコンさえ仕舞えばそのまま帰れる状態だ。
週明けの自分に仕事を残しても問題ないだろうと判断して、先輩にお礼を言いつつ全て片付けたデスクを施錠した。

取材がクソほど面倒なことに変わりはないけれど、これさえ終われば後は帰って臣の美味い飯を食いゲームができる。
そう思うと数分前よりも気分も足取りも軽くなるというものだ。
エレベーターホールで一緒になった女性社員に「あれ、茅ヶ崎さん早いんですね」なんていつもよりワンオクターブ高いだろうと思われる声で話しかけられたってなんとも思わない。
いつもなら話しかけんなと思ってしまうけれど今日は心からの笑顔で対応できてしまった。

「駅までご一緒してもいいですか?」
「すみません、この後は広報部との仕事が残っていて」

カバンを持っていたから帰宅すると思われたらしいけれど、断る正当な理由もあって今の俺は機嫌が良い。
大体俺、車通勤だし。
残念そうにしている女性社員がロビーへ向かうエレベーターに乗り込むのを見送り、俺は上層階へ向かうエレベーターを待った。

取材が行われる会議室へ向かうと、事前に連絡のあった部屋番号の扉だけ開け放されていた。
中を覗き込みながら、扉をコンコンとノックすると広報部の社員たちが笑顔で迎えてくれる。
同じ会社に勤めているとは言え社員の数は膨大で、入社年次の浅い俺では把握しきれない社員がいて当たり前だけれど、会議室内にいた人のほとんど面識のない社員だった。

「お疲れ様です!」
「お疲れ様です、茅ヶ崎です」
「広報の星野です。本日はご協力ありがとうございます」

会議室内にはカメラと照明がセッティングされている一角と長机が寄せられたスペースに分けられていて、撮影の準備が整うまでアンケートを書いていてほしいと伝えられ指示に従う。
俺よりも先に来ていた人が二人いて、挨拶をしてから置いてあったペンと紙を取る。

名前、部署、主な仕事内容…ってエントリーシートかよ、だるいな。
適当に済ませたいところだけれどこんなところで作り上げてきたイメージを崩すわけにもいかないから姿勢を正して丁寧に記入をしていく。
…はぁ、めんどくさい。

書き終えたらしい二人が自己紹介のような雑談をしているのを聞き流しながらアンケートを進めていくと、俺がさっき入ってきた入り口のほうから「じゃあみょうじさんは次アンケートの記載お願いします」と聞こえてきた。

もう一人いたんだな、とそちらに何気なく目をやる、と。
見たことのある女性だった。
確か春に入社した新入社員。
秘書課に綺麗な子が配属されたと営業部まで噂が届いてきたみょうじ…下の名前なんだっけな。
うん、確かに整った顔立ち。

「お疲れ様です」と声をかけられて、にこやかに返すとみょうじさんの顔が綻んだ。

「秘書課のみょうじです」
「営業二部の茅ヶ崎です。よろしくね」
「よろしくお願いします」

俺以外の二人は撮影だと呼ばれてもういないから今は俺とみょうじさんの二人になっていて、アンケートは書き終わってしまったしスマホをいじるわけにもいかず手持無沙汰になってしまった。
俺の斜め向かいに座ったみょうじさんは、サラサラとアンケートを書き進めている。
就活終わって間もないし、新入社員は採用イベントに駆り出されることも多いだろうからこういう書類の記入も慣れているのかもしれない。

「…みょうじさんってさ、」

話しかけたらパッと顔を上げてくれて、その口角が綺麗に弧を描いているのは仕事柄だろうか。
うちの会社は一括採用で、新入社員研修を一斉に受けた後に配属先が発表される。
研修中にどこを見られているのかは知らないけれど、ある程度は適性を見て配属されているのだろうから、みょうじさんの持つ雰囲気や能力が秘書に向いていると考えた人事担当者の気持ちはなんとなくわかる気がした。

「はい」
「一年目?」
「そうです、茅ヶ崎さんは二年目でしたよね?」

特に目的があったわけではないのに話かけてしまったのは無意識…というとおかしいけれど、気が付いたら名前を呼んでしまっていた。

「うん。仕事慣れた?」
「一通りは教わったんですけど、まだまだだなぁと思うことばっかりですね」

まだ一年目、そりゃそうだとこんな質問しかできない自分にガッカリした。
商社マンだろうが、もっと気の利いたことを言え。

「だよね」
「はい…でも楽しいです。今のところは」
「はは、今のところは」
「まだ先輩に付いてやっているので…独り立ちしてからが怖いなぁと思います」

さっきまで背筋を伸ばして控えめに笑っていたみょうじさんが、眉を下げて笑った。

「秘書ってどういうことするの?」
「付いている上司のスケジュール管理とか、会議室の予約とか…あと会食のお店を押さえたり」
「お店探すのもみょうじさんの仕事?」
「そうですね。でもお店リストがあるのでそこから相手先の好みとか考慮して選ぶんです」
「へぇ、そのリスト営業にも横流ししてほしいな」
「営業さんも接待とかありますもんね」
「そう、そういう場所苦手なんだけどね」
「茅ヶ崎さん、営業のエースだって聞いたことあるのに」

俺の噂が秘書課にまで…ってこういうのは慣れているし疎ましいはずなのにみょうじさんがおかしそうに笑ってくれたし、悪い話ではないだろうから嫌な感じがしない。
やばいな、なんだこれ。

「今日、実は上司の娘さんがお誕生日で」
「うん?」
「何をあげたら喜ぶか、どこのレストランが良いかって聞かれてアドバイスしたんです」
「…秘書の仕事って幅広いんだね」
「ふふ、まぁこれは個人的なことなんですけど。頼られているみたいで嬉しかったなぁ…ってこのアンケートにも書いちゃいました」

みょうじさんがアンケートの真ん中のあたりを指差した。
仕事のやりがいだとか楽しいところだとかって普通なら絞り出さなければ書けないのに、この子はきっと本当に楽しみを見出しているんだろう。

「じゃあその上司とご家族は今からディナー?金曜だもんね」
「はい、喜んでもらえるといいんですけど…」

家族でディナーねぇ、こっちは業務と関係ないところで残業だというのに…と思うけれど、そんなこと思いもしていないだろうみょうじさんの表情を見ていたら毒気を抜かれる感覚。

アンケートの記入、撮影、インタビューと全て済んだタイミングが俺とみょうじさんはちょうど同じだった。
順番的に俺が最後だろうと思っていたのに、「お疲れ様でした」と担当の広報さんと挨拶をしてカバンを持ったタイミングがかぶって二人で顔を見合わせた。
一緒に会議室を出て、自然と並んで歩いてエレベーターホール向かう。

やっと週末だね、なんて当たり障りのない会話をしていたらみょうじさんの社用携帯が鳴った。
業務時間外に大変だな…と思わず腕時計を見ると時間は七時を過ぎていたけれど、まぁ電話かけてくんなとは言えない時間か。

「失礼します」と俺に一言入れて電話に出るみょうじさんはさっきまでの柔らかい表情ではなくて心なしかキリっと引き締まった顔をしているけれど、うん、やっぱりなんかかわいいんだよな。

「えっ、大丈夫ですか?いえ…それはお気になさらないでください」

エレベーターホールまでの短い間でもみょうじさんともう少し話したかったな、なんて思っていたら小さく声をあげるから思わず彼女を見下ろす。
会話を聞いてしまうのも申し訳ないけれど、どうやら電話の相手は今夜家族と食事だという上司のようだ。

「はい、キャンセルの電話はこちらから…えっでも……わかりました。お大事にとお伝えください」

失礼いたします、と電話を切ったみょうじさんに「大丈夫?」と声をかける。

「上司…あ、さっき話した娘さんがお誕生日の」
「うん」
「奥様が高熱が出てしまったそうで、お食事はキャンセルしてくれって」
「え、予約何時からなの?」
「七時半なので時間的には大丈夫なんですけど…楽しみにしていらっしゃったのに残念です」
「そうだね…体調ひどくないといいんだけど」

上司はもっと早く連絡を入れてくれていたらしいけれど、みょうじさんは取材を受けていたから出られなかったらしい。

「すみません、お店にキャンセルの電話もしちゃいますね」
「みょうじさん、お店の場所ってどこなの?」
「え?」

戸惑いながら教えてくれた場所は、会社からなら三十分もかからない場所で、店名は確かに俺も聞いたことのある有名店。
いつ予約を取ったのかはわからないけれど、数日前に電話をして予約が取れるような店ではない。

「そこ、今から行かない?」
「え?」
「この後用事あった?」
「いえ…帰るだけですけど」
「予約取るの大変だったんじゃない?今からキャンセルするのもお店に悪いし」

おすすめしたというのなら、みょうじさん自身も行ってみたいという気持ちが少なからずあるのだろう。
みょうじさんが嫌じゃなければ一緒に、と思ったんだけどどうかな?と聞くとみょうじさんは腕時計で時間をもう一度確認した後に自分の着ているワンピースの裾をつまんだ。

「…こんな格好で大丈夫でしょうか」
「十分でしょ」

取材があったから、俺もいつもよりはパリッとしたスーツを着ている。
車だから酒は飲めないんだけど、と付け足すとみょうじさんも「わたしもお酒苦手なので」とふわっと笑ってくれた。

「じゃあ、」
「はい、実は上司もわたしが行けるなら代わりにと仰っていて」

エレベーターホールまでの短い距離なんかじゃ足りなくて、もっと話したいと思った女の子に今夜の時間をもらえてしまった。
金曜の夜なんてできるだけ早く帰って、だらだらと明け方までゲームをするに限るはずなのに。

「行ってみたいお店だったんです」
「有名な店だもんね」
「はい。一人じゃ行けないからなぁって思ったんですけど、茅ヶ崎さんと帰りが一緒でラッキーでした」
「うん、俺も…みょうじさんと一緒でよかった」

面倒だから彼女なんていらないと思っていた俺がみょうじさんの下の名前すら知らなかったくせに突き落とされたかのようにこの子に恋をしてしまうルートは、この時すでに決まっていたようだ。


(2020.05.13.)


至さんとの出会い。
続く予定は今のところないです。

お読みいただきありがとうございました。




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