▼ 6.日曜、午後十時
何度か来たことのある場所、見たことのある景色。
イルミネーションなんてただの電飾だしそんなもんをわざわざ見に行く奴らの気持ちがわからないと思っていた。
けれど、どこに行くとか何を見るとか、そういう問題ではないのだと初めて知ってしまった。
街灯がともった園内は、この空間全部がイルミネーションの中にいるようで夜の空気を暖めてくれているようだ。
隣を歩くなまえさんの髪が揺れる。
朝から遊んでいるのに、ゆるく巻かれた髪の毛は綺麗なままだ。
「夜の遊園地ってわくわくするよね」
ただの街灯、ただ帰り道に向かって歩いているだけ。
ただそれだけなのに。
花火が終わると日曜ということもあって閉園時間よりも前に出口へ向かう人が多いようだった。
なまえさんも明日は朝から仕事だろうしそろそろ帰るか聞いた方が良いだろうとは思う。
だけど、こんな日はもうないだろうとわかっているから自分から言い出すタイミングがわからなかった。
「万里くん、」
「はい」
「一緒に写真撮ってもらおっか!お城の前、今あんまり人いないよ」
花火が終わって一日の終わりが見えてきて、疲れからか名残惜しさからかなまえさんの足取りは昼間よりもゆっくりになっていた。
通りかかったこの遊園地のシンボルでもある城の前の広場は、いつ通っても人でいっぱいだったのに今はなまえさんの言うように落ち着いている。
口では「いいっすね」と返事をするけれどなまえさんは俺が腹の中でどう思っているのかなんて考えもしないんだろう。
本当は二人で撮った写真なんて残さないほうが良い…ってこれじゃ浮気してるみてぇだ、笑えない。
「すみませーん!写真撮ってもらえませんか?」
ちょうどそんなことを話していたら制服を着た女子集団から撮影を頼まれた。
制服を着ているだけで本物の女子高生なのかは怪しい見た目だけれど。
フォトスポットだから珍しいことではないし、シャッターを押してやったなまえさんは「わたしたちもお願いしていいですか?」とちゃっかりお願いをしている。
「もちろんです〜!」となまえさんから携帯を返された女子が、今度はなまえさんから携帯を受け取る。
さっきグリーティングで撮ったときは真ん中にミミーがいたけれど、並ぶように立ってすぐ隣になまえさんがいるっつーのは今更ながら肩のあたりがチリつくような感覚がした。
「えっお姉さんたちめっちゃよそよそしくないですか?」
「もっとくっついてくださーい!」
「お兄さん顔怖いですよ!笑って!」
……女子高生めんどくせー…。
役者やってるし舞台の上や役の中でならいくらでも表情を作ることはできるけれど、「笑って」と明らかにおもしろがって言われてにこやかに笑える人間がいてたまるか。
表情筋が別の方向に作用してこめかみがひくつく。
「万里くん、顔ひきつってる」
「…なまえさんは楽しそうっすね」
「うん、今日ずっと楽しい」
「……そっすか」
くっつけと言われても、となまえさんを見ると至近距離で見上げられてぐっと息が詰まる。
身長差のせいで上目遣いなんてなまえさんに限らず女と並ぶといつものことなのに。
昨日会ったときと同じように綺麗に施された化粧のせいだ、きっと。
まぶたがきらめいていて、丸い瞳を縁取る長い睫毛はすっと上向き、緩く弧を描く唇にはピンクとオレンジの間みたいな、そんな色が乗っている。
許されるなら、とっくに距離を詰めている。
俺の方を向いて目を細めたなまえさんから目をそらしてカメラのレンズに視線を向けた。
彼女の視線に俺と同じ感情は込められていないことなんてわかっていた。
「万里くん、今日はお付き合いいただきありがとうございました」
「こちらこそ」
電車を待つホームで、なまえさんがわざとかしこまったように言って笑った。
今日一日この顔を間近で見たけれど夜になっても慣れなくて、至さんがいつまで経ってもこの人のことを「かわいいかわいい」とうるさいくらいなのがわかってしまう。
俺は、慣れるどころか見るたび心臓のあたりが軋んで仕方ない。
「あのね、これ万里くんに」
イースターのかわいらしいイラストが全面に描かれたスーベニアショップの袋をなまえさんは持っていた。
大きな袋をひとつと、小さな袋がひとつ。
俺にと言って差し出したのはその小さい方の袋で、予想していなかったから一瞬止まってしまう。
「え、いいんすか」
「うん!もらってください。今日のお礼」
万里くん自分のおみやげ買ってなかったでしょ?とショップでの様子を見られていたようで驚いた。
確かに寮のリビングにでも置いておけばいいかとデカいチョコクランチしか買っていない。
なまえさんに何かをあげたい、と思わないわけではなかったけれど写真だけでも後ろめたさがあるのに物まで残すのはさすがに、なんて今更だと今日何度思ったかわからないことを考えてしまった。
「…見てもいいですか?」
「うん、ぜひ!かわいいんだよ」
「かわいいって柄でもないですけど」
小さい袋の中身は何かまるっこい立体で、取り出すとやっぱりというか。
思わずなまえさんの顔を見たらにっこりとそれはもう嬉しそうに笑っている。
「かわいいでしょ?万里くん自分じゃ絶対買わないだろうなぁと思って」
「…たしかに自分では選ばないっすね」
ストラップになっている紐を指に引っ掛けて目線の高さまであげたら、ミミーたちの仲間であるアヒルのキャラクターのぬいぐるみと目が合ったような気がした。
手のひらに乗るサイズのそのシリーズは、遊園地内でもかばんやリュックにぶらさげている人がけっこういた。
「このお洋服かわいいよね」
イースターイベントの衣装を着ている限定品なのだろう、なまえさんが遊園地を出るまで付けていたカチューシャとデザインが似ている。
こいつを見るたびに今日のことを思い出すんだろうなとアヒルの能天気な表情からなまえさんに視線を移すとうずうずと口元が綻んだ。
「でね、自分のも買ってしまいました」
今度はデカいほうの袋を覗き込むようにしてガサゴソ右手で探ったかと思うと、手のひらサイズのミミーを取り出した。
俺にくれたものと同じ、ぬいぐるみストラップだ。
「普通のぬいぐるみにしなかったんすか?」
「うん、今日はこの子にした。万里くんとお揃いってわけじゃないけど、同じ種類のがいいなぁと思って」
……この人、本当にこんな無防備で大丈夫か。
俺じゃなかったら絶対勘違いしている。
人たらしってこういう人のことを言うんだろう、多分。
「どこかに付けなくても、これなら部屋に置いてあっても万里くん邪魔じゃないかなぁって」
ホームに電車の到着を告げる音が鳴って、ホームへの進入によって強く吹いた風がなまえさんの髪を揺らす。
「今日、本当に楽しかったから。ありがとう、万里くん」
下ろしている髪の毛が広がらないように右手で抑える姿すら愛おしくて。
手に触れることも肩を引き寄せることもできないのに隣にいるだけでこんなにも満たされて同時に苦しい。
別のところで出会って、別の方法で親しくなれたなら。
そう思わないと言ったら嘘になるけれど、誰かを傷付けてまで何かを得たいとは、今の俺は思えなかった。
「至さん」
「あ?何俺今忙しいんだけど」
寮に帰り着いたら今一番会いたくない人と談話室で会ってしまった。
一息に言った至さんは手にコーラのペットボトルをもっていて、冷蔵庫の扉をバタンと勢いよく閉めた。
金曜日の夜からろくに眠らずにイベントを走っているんだろう。
平日ソシャゲできない社会人はりんごカードの力を借りて休日に爆走するしかないらしいから目の下のクマがやばい。
ゲームのことになると口と人相が悪くなるのはいつものことだし俺も一緒になって至さんの部屋でこもって夜通しゲーム、なんてことも珍しくはないんだが。
今回は至さんの推しイベだから気合がやばいし纏うオーラもいつもよりひどい。
「これ、みやげ」
「は?どっか行ってたの」
疑問形で聞いてくるけど語尾がこえーんだよ。
「遊園地」
「ふーん、珍しい」
誰と?と至さんから聞いてくるかと思ったけれど、どうやら本当に機嫌が悪いらしく興味がありません、と顔にありありと書いてある。
寮用に買ったデカいチョコクランチ缶の蓋を開けて差し出すと、雑な手つきで缶からいくつか掴み取った。
「じゃ、俺またこもるから」
明日は普通に出社だろうにこの時間からまたゲームか。
ぶれねぇ。
時計の針は十二時を回ろうとしていた。
「至さん、すんません」
「まだなんかあんのかよ」
「なまえさんと、」
「は?」
「なまえさんと行きました、遊園地」
さっきまで鬱陶しそうに俺を見ていた目が一瞬見開かれて、もう一度「は?」と言われるけれどその声はさっきよりも数段低い。
「どういうこと」
俺と二人で行ったということはなまえさんからそのうち聞くだろう。
至さんがなまえさんの前でこんな表情をすることもこんな声を出すこともないとはわかっているけれど、彼女の口から聞いたときの動揺は少ない方がなまえさんのためだと思った。
「俺が行きましょうって誘いました。なまえさんは予定空いてたたから来ただけで深く考えてないと思います」
「…万里は?」
「……」
「お前は、どんな考えがあったんだって聞いてんだけど」
ぐっと拳を握りしめる。
なんと答えるのが正解なのかわかんねぇし何を答えても事実は変わらない。
「…別に何も」
「じゃあなんでさっき謝ったんだよ」
至さんが右手に持っていたコーラのペットボトルを叩きつけるように台所に置くとドンっと大きな音がした。
「……俺が至さんだったら、むかつくだろうと思ったから」
殴られっかなぁと思ったけれど、もう一度「すみません」とだけ言う。
うまく息を吸えないまま出した声は思いのほか小さくて至さんの眉毛がぴくっと動いた。
「人の女と出歩いても気ぃつかうだけってわかったんでもうしないっすよ。手も出してないんで安心してください」
もっとさらっと言ってしまえばよかったのに自分の声が苦しそうで、これじゃまるでガチみたいじゃねぇか。
俺のなまえさんに対する感情がどんなものであれ、至さんに伝えた「別に何も」という答えでしかなくて、それ以上でもそれ以下でも駄目だ。
「……なまえは楽しそうだった?」
「………はい」
そんなことを聞かれるとは思っていなくて答えるのに一拍遅れる。
至さんはデカくて長い溜息を吐いた後、髪をがしがしとかいて怒りを逃がすかのように舌打ちをした。
「じゃあいいよ。ただお前は今日の記憶はなかったことにしろむかつくから」
「…は?」
「聞こえなかったんなら頭ぶん殴って記憶飛ばしてやるけど」
「……それは遠慮しておきます」
さっきすげー勢いで叩きつけていたコーラのペットボトルを引っ掴んで談話室を出て行く。
後ろ手で勢いよく閉められたドアは壊れんじゃねぇかと思うくらいの音を立てた。
部屋に戻り携帯を確認するとなまえさんからメッセージと写真が送られてきていた。
次になまえさんに会うのはきっと劇場か寮で、彼女が至さんの隣にいる時だろう。
それまでに今日という日はただのなんでもない一日だったと思えるようになるだろうか。
おやすみなさい、と締めくくられたなまえさんの送ってくれたメッセージを何度も何度も読む。
じわじわ広がる痛みをごまかすように大きく息を吐いた。
(2020.04.29.)
万里くんのターンは終わりです。