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岩鳶SCのリニューアルイベント当日。
江ちゃんとパンフレットの製本をしていたら「そういえば、」とかわいらしく首を傾げた江ちゃんが言った。
「なまえちゃんと真琴先輩っていつから付き合ってるの?」
「え、」
「聞いたことなかったなぁと思って」
たしかに、江ちゃんが岩鳶に入学してきたときにはもう彼氏彼女になっていたから、付き合うことになった経緯を一年生の三人は知らない。
幼馴染の江ちゃんに話すのはなんだか恥ずかしい。
「わたし、なまえちゃんはお兄ちゃんか宗介くんと結婚するんだろうなーって昔かなり本気で思ってたんだけどなぁ」
「け、けっこん…」
「うん。で、お兄ちゃんとなまえちゃんが結婚したらお姉ちゃんになるんだねーってよく家で話してたよ」
製本作業をする手は止めずに懐かしむような表情で話す。
松岡家でそんな話題にされていたなんて、という恥ずかしさと、こんな話を江ちゃんとするようになったんだなぁという感慨深さで複雑な気持ちだ。
「でもお兄ちゃんが、あいつは宗介だろってその度に言うんだよね」
昔話になってしまって、いつから真琴と付き合っているのかという質問に答えることはできなかった。
少女漫画みたいな展開があるわけではなくて、話してもなんにもおもしろいことはないのだけど。
江ちゃんにとっては今でもわたしと宗介と凛はセットなのかもしれないなぁと思ったら切ないような温かいような気持ちになったし、凛にはきっと全部バレてたんだな、と思ったら泣き虫凛ちゃん、なんて馬鹿にできないと思った。
できあがったパンフレットを受付のスタッフさんに渡して、入り口で待っているであろう岩鳶水泳部のみんなのところへ向かう。
「おはようー」
「あっなまえちゃんだー!」
入り口には案の定、真琴たちがもう来ていて、そう声をかけたら真琴が振り返るのと同時に蘭ちゃんと蓮くんが腰のあたりに抱きついて来た。
支えきれずに後ろによろけそうになったところで、真琴に右腕を掴まれて踏みとどまる。
「わ、ビックリした…」
「こら、蘭も蓮もおはよう、だろ?」
「なまえちゃんおはようー!」
「おはようー!」
「うん、おはよう。二人も出るんだね」
真琴に視線と口パクでありがとう、と言うと穏やかな笑顔が返ってくる。
「うん!なまえちゃんは出ないの?」
「わたし泳げないんだよね」
そう、実は泳げない。
こんな海の街に生まれて水泳馬鹿な幼馴染がいて、水泳部部長の彼氏がいるくせに、バタ足すらできないのだ。
「だから今日は見てるだけだよ」
「なんだーなまえちゃんの水着見たかったなー」
「えぇ?!」
「ちょ、蓮どこでそんな言葉覚えてきたんだよ!」
蓮くんがビックリするようなことを言って、真琴とわたしが揃って赤面してしまった。
クラスの男子が担任の先生に言っていて真似したらしい。
さっきの凛と江ちゃんの話といい、小学生ってませてる。
「蓮、変なこと言ってなまえのこと困らせるなよ」
「お兄ちゃんだって見たいくせにー」
「だから!変なこと言わないの!」
「なまえちゃんとまこちゃんっていつまで経っても初々しいよねー」
と無邪気に笑う渚くんの一言に真琴が苦笑いをした。
エントランスであんまり騒ぐのはどうなんだろうか、と思っていたら外から負けずに騒がしい声が聞こえてきた。
「聞いてないっすよ!」
「あーあーうるせーな」
オレンジ頭の男の子がきゃんきゃん吠えるポメラニアンみたいだな、なんて少し失礼かもしれないことを思って、その子を羽交い締めにするようにしてこっちに向かって来るのは凛と愛ちゃんだった。
わたしたちに気が付いた凛が手を緩めて片手をあげた。
「おっす」
「おはよー今日は三人なの?」
「いや、もう来る」
ほら、と言って凛が目線で促す先には、
キャップを深く被った宗介が歩いてきていた。
あぁやっぱり…嫌な予感が当たってしまった。
凛に、岩鳶のみんなに動揺を悟られないよう話す。
「…なにあれ、なんか柄悪くない?」
「はは、本人に言えよ」
「やだ、殴られたくないもん」
「っつーかお前宗介に岩鳶でマネージャーやってるって言ったのかよ」
「え?凛言ってないの?」
「なんでだよ、自分で言えよ」
「えぇ…」
完っ全に言いそびれていた。
どうしよう、今日はただの手伝いってことで通す?
でも後からバレたらそれはそれでめんどくさいことになりそう。
でもでも、と一瞬の間に逡巡していたらキャップの下から覗くエメラルドグリーンの瞳とバッチリ目が合ってしまって、宗介が目を見開いた。
あ、驚いてる。
なんて他人事みたいに思ったあと、思いっきり宗介の顔が歪んだのを見て咄嗟に逃げようと思った。
ゆったり歩いていた宗介が少し歩調を早めるのと同時に、踵を返す。
「凛、ごめん!うまく言っといて!」
「はぁ?!」
「なまえちゃんどこ行くの?」
「江ちゃんもごめん、蘭ちゃんと蓮くんロッカーに連れて行くね」
みんながポカンとしていたけれど、蘭ちゃんと蓮くんの背中を押して逃げるようにしてロッカーに向かう。
真琴の顔はなぜだか見られなかった。
中学生にあがったとき。
宗介は水泳部に入って、なまえも入らないかって誘われた。
「でもわたし泳げないもん。知ってるでしょ」
「だからマネージャーとしてだよ」
背が伸びて、手足も比例するように長くなった宗介がわたしの部屋のクッションを弄びながら話す。
凛と宗介とスイミングスクールに通ったこともあったけれど、なぜかわたしは泳げるようにならなかった。
学校の体育での水泳すら嫌なのに、水泳部なんて入るわけがない。
…というのもあるんだけど、やっぱり宗介とのことをからかわれることが嫌だった。
「やだよ、マネージャーなんて。学校でまで宗介のお世話焼くの?」
「いつ俺がお前に世話焼かれたんだよ。逆だろ」
「いつもだよ」
「…もういいわ。とりあえず仮入部期間まだあるし、一回見に来いよ」
そのときの話はそれで終わったけれど、事あるごとに見学に来いだとか大会を見に来いだとか誘われて、そのたびに何かと理由をつけて断っていた。
仮入部にも行かなかった。
宗介の泳ぎを見たのは小学六年生の大会が最後、そういうことになっている。
本当は見たくて仕方なくて、だけど行くって言ったら負けな気がした。
今思うとそこまで頑なに宗介を避ける必要なんてなかったのに。
誰かにからかわれて、それを宗介に否定されることが怖かったんだ。
(2014.08.26.)
2015.11.10. 微修正