29.向かいの恋は赤色

「あれ?なまえちゃんだ」

白布との待ち合わせに向かう途中、人が多く行き交うなかで聞き慣れない声が自分の名前を呼んだ。
背が高いから頭ひとつ他の人よりも飛び出ているのもあるけれど、人混みでもパッと目を惹かれるのは纏う空気の華やかさだろうか。

「及川さん!」

お久しぶりです、と駆け寄ると近くにいた女の子たちに見られた気がする。

「浴衣だ、かわいいね」
「ありがとうございます…?」
「褒めたのに微妙な顔された」
「これが及川さんの通常営業なんだなってことはなんとなくわかります」

及川さんは部活帰りなのか、Tシャツにジャージ姿だった。
青葉城西とは、一ヶ月前にあったインハイ予選の決勝で当たったから及川さんの顔を見るのはそれ以来だ。
毎回のように決勝で戦う因縁の相手であるはずなのに、及川さんはわたしにはそんな態度を見せたことはなかった。
牛島さんにはめちゃくちゃ噛み付いて副主将さんに羽交い締めにされていたけれど。

「思ったから言っただけなのに!白布くんとデート?」
「はい。及川さんは花火大会行かないんですか?」
「うーん、ついこの間までは行く予定だったんだけどねぇ」

どういうことだろう?と首を傾げたら「振られたんだよね」と泣き真似をされた。

「えっ……そうなんですね…」

まずいことを聞いてしまった、及川さんの服装的に花火には行かないことは予想できたのにやってしまった。

「明らかに返事しにくいって顔するね、なまえちゃん」
「いや、う、はい」
「いいのいいの、気にしてないから」
「えっ」

それはそれでどうなんですか?と思ったのが顔に出ていたのか苦笑いされた。
及川さんにこういう表情は似合わないなぁと親しいわけでもないのに思ってしまう。

「なまえちゃん待ち合わせでしょ?時間平気?」
「あっはい。けど余裕持って家出たら早く着いちゃいそうだったので全然大丈夫です」

手に持っていた携帯で時間を確認するけれど待ち合わせまではまだ三十分くらいある。
慣れない浴衣に下駄だからというのもあるけれど、ちゃんとしたデートが久しぶりでなんだか落ち着かなくて家にいてもそわそわしちゃうからって早く出発しすぎてしまった。

「そう。待ち合わせ駅前?」
「はい」

及川さんは何か考えるように手を顎に当てる。
こういう動作も絵になるんだなぁとなんだか感心してしまう。

「待ち合わせ、何時なの?」
「六時です。ちょっと早すぎましたよね」

浮かれてると思われるかな、となんだか恥ずかしい。

「じゃあさ、白布くんが来るまでちょっと付き合ってくれない?」
「えっ」
「どこか行こうってわけじゃないよ。おしゃべりしよ」
「おしゃべり、ですか」
「うん。俺もっとなまえちゃんと話してみたかったんだよね」

……えーっと、いいのかな、これは。
ついこの間、白布に他の男の子にお誘いを受けたことを、その、やきもち妬かれたばっかりだし。
だけど時間があることを伝えてしまっているから断るのも自意識過剰みたいだよね。
答えあぐねていたら、及川さんが察してくれたようで「白布くんに俺といるって先に言っておけば?」と提案してくれたけれどそれはそれで、どうなんだろう?

…知り合いといえば知り合いだし。
白布と付き合っていることは知っているんだし。
彼女と別れたばっかりみたいだし、しかも及川さんがわたしなんかに恋愛的な何かを求めているとは考えられないし。

数秒の間に頭をいろんな考えがぐるぐる回る。

「とりあえず白布に連絡してもいいですか?」
「もちろん、なんなら俺が話すよ」

その笑顔には裏なんてなさそうで、考えすぎるの良くないなぁと反省しながら携帯を取り出して白布に電話をかけた。
呼び出し音が何度か鳴って、「もしもし、みょうじ?」と落ち着く声が鼓膜を揺らす。

「あっ、白布?ごめんね今大丈夫?」
『あぁどうした?』
「えっと……実は今待ち合わせ場所近くなんだけどね、及川さんに会って」
『は?及川って青城の?』

ガタンと電話の向こうで何か落とすような音がした。

「うん。でね、待ち合わせ時間までおしゃべりしてもいいかなって」

そこまで言うと及川さんがわたしの肩をトントンと指でつついた。
ジェスチャーで電話を代わってほしいと言われて、「ちょっと待ってね」と白布に伝えてから携帯を渡した。

「あーもしもし、白布くん?及川でーす」

…お、及川でーすって、軽い。

「あはは、怖い声出さないで。偶然会っただけだから。え?そうだね、ごめんごめん」

白布が何を言っているのかわからないけれど、青筋を立てていそうなのは想像できる。
及川さんと白布って相性悪そうだもん。
初対面の本屋さんの時も穏やかな雰囲気ではなかった。

「白布くん来るまでだよ、もちろん。え?だって今なまえちゃんめちゃくちゃかわいい格好してるのに一人で待ち合わせ時間までこのあたりうろうろさせるの?」

か、かわいいって。
白布に対するハードルを上げるのはやめてほしい。

「早く着きすぎちゃったんだって。君が来るまで及川さんが虫除けしててあげるよ」

虫除け……とは。
そんな必要ないんだけどなぁと思いながらも通話の行方を見守っていたら、「だから怖い声出さないで。早く来てあげてねー」と言ってから携帯を渡された。

「白布くん、オッケーだってさ」
「はぁ…。もしもし白布?」
『……なるべく早く行く。なんかあったらすぐ連絡して』

うわぁ、これはまたご機嫌が損なわれてしまったのでは。

「うん、わかった」
『じゃあまた後でな』

通話終了ボタンをタップして及川さんのほうへ向き直ると、笑いが堪えられないというように右手で口元を隠している。
肩が揺れていますよ及川さん。

「っぶは!あーおもしろかった、白布くんって本当感情隠さないよね!」
「え…?そうですか?わりと出さないタイプだと思いますけど」
「バレーと、なまえちゃんのことは隠す余裕ないんだ。おもしろいなぁ」



おしゃべり、と言っても白布が来るまで三十分もないだろう。
どこかお店に入るのも微妙だろうし、かと言って人通りの多いこの場所で立ち話というのも落ち着かない。
いや、落ち着く必要はないんだけど…なんてことを考えていたら及川さんがすぐ近くの駅ビルを指さして「あそこ行こ?」と首を少し傾けて言うので大人しく従うことにした。

「なまえちゃんどれにする?」
「これのショートで」
「俺はアイスコーヒーのショートお願いします」

普段使わない小さな巾着のかばんからお財布を取り出すのに時間がかかってしまっていたら、わたしがもたついている間に及川さんがまとめて支払いを済ませてしまった。

「俺受け取っていくから、なまえちゃん座ってていいよ」
「えっ」
「あそこの窓際の席なら白布くんが来たときすぐわかるんじゃない?」
「…じゃあ、そこ座ってますね」
「うん」

本当に、綺麗に笑うなぁ。
にっこりと効果音がつきそうに口角をあげた及川さんの顔を見てしみじみ思ってしまった。
試合会場で女の子の人だかりができていて何事かと思ったら及川さんがその中心にいた、なんて経験は一度だけではない。

外が見える窓際のカウンター席に座って、白布から連絡が来たらすぐ気付けるように携帯をかばんから出してテーブルに置いた。

話したいなんて言うから何を?と思ったけれど、知り合いと言えば知り合いだし失恋したての及川さんの傷心を抉ってしまった手前、お誘いを無下にもできない…と思っていたのだけれど。



「でさ、部活だって言ってんのにたまには休めないのか、とか言うんだよ?」
「はぁ…」
「ひどくない?休めないから断ってるのに!」

え、このアイスコーヒー、アルコール入ってないですよね?
及川さんってこんなキャラ?

「バレー頑張ってる俺が好きって言ったのに」
「…まぁそれは嘘ではなかったんだと思いますけど」
「ええ〜」

ええ〜と言われましても…。

「好きってなんだろうねぇ」
「哲学ですね」
「なまえちゃんさっきから返事が適当!」
「えっすみません」
「なまえちゃんは、どんなときに白布くんのこと好きだなって思うの?」
「……それ答えなきゃダメですか?」
「うん」
「えー……なんなら今も、思ってますけど」
「ほう」
「会いたいなって思ったときに、あー好きだなぁって」

会ってる時も思いますけどね、と念のため。

「ふーん。じゃあどんなとき会いたいと思うの?」
「及川さん彼女に会いたいって思わなかったんですか?」
「たまにはね」
「……だから振られたんでは」
「うるさいよ!で、どんなとき思うわけ」

及川さんこそわたしへの返事がだんだん雑になっていませんか。

「……こういうの飲んでる時とか、です」
「フラペチーノ?」
「はい。美味しいもの食べたり、行きたいところテレビで観たり、そういう時に」

伝えたいなぁって思うから、会いたいなって。

真面目に話していたら恥ずかしくて、及川さんが「…へぇ」なんてさっきまでの軽い調子で返してくれないから間がもたない。

「白布くん愛されてるね、羨ましい」
「…及川さんだって、彼女さんに想われてたと思います」
「なんで?」
「なんでって。好きだから会いたくて、でも会えなくて寂しかったんじゃないかなぁって」
「なるほどねぇ」

強豪校でスポーツをやっている人の忙しさはわかっているつもりだ。
及川さんは青葉城西の主将で、白鳥沢と宮城県代表の座を賭けて何度も試合をしている。
バレーボールに高校生活を捧げているはずの人。

「バレーばっかりとか言われてさ」
「…はい」
「そんなこと言われてもね」
「……」
「俺もマネージャーと付き合えばいいのかな〜」
「そういうわけでもないと思いますけど…」

マネージャーとだからうまくいくわけではないだろうし部内恋愛は周りの目もある。
白布と問題なく付き合えている今は幸せなのだろう。

「なまえちゃんはいつから白布くんと付き合ってるの?」
「高一の夏です」
「そう。もう一年じゃん。ケンカとかしない?」
「ケンカ……言い合いとかはないですね」

お互いちょっと不機嫌とか、すれ違うとかがないわけではないけれど、ケンカらしいケンカはないと思う。

「なまえちゃんみたいな子が彼女ならいいのに」
「えっ」

いきなりそんなことを言われたら、相手が誰でも驚いてしまう。
隣を見たらやっぱり柔らかく微笑んでいるけれどこの表情よりもさっきみたいにコーヒー片手に管を巻いている及川さんのほうがいいな。

「そういうこと軽く言わないほうが、女の子としては安心できますよ」

少し口籠ってしまいながらも一般的な意見を言ったつもりだったけれど、及川さんは綺麗な二重の瞳をぱちりと瞬かせた。

「たしかにそうかもね」

はぁ、と及川さんが大げさに溜息をはいたところで、テーブルに置いていた携帯が震える。

「あ、」
「白布くん?」
「はい…もうすぐ着くみたいです」

返事しますね、と断りを入れて携帯を操作する。

(駅ビルのカフェにいるよ、っと)

お店の名前もちゃんと伝えて、残っていたフラペチーノを飲みきってしまう。
隣の及川さんもコーヒーを飲み干した。

「及川さん、お金返します」
「あーいいのいいの。俺が付き合ってもらっちゃったんだし」
「でも…」
「じゃあまた今度会ったらスポドリでも奢って?」

きっと春高予選でまた会うから。

そう言った及川さんの顔つきはさっきまでとは全然違うもので、お財布を取り出そうとした手が止まってしまう。

「…わかりました」
「うん!というわけでなまえちゃん連絡先交換しよう!」

断る理由もないし、顔見知り程度の認識だった及川さんと思いがけず恋愛の話なんてしてしまったから妙な親近感も湧いた。
連絡を取るような用事が出来る気はしないけれど、まぁこれも何かの縁だしなぁ。
携帯と携帯を突き合わせて及川さんの連絡先がわたしの画面に表示された。
白布にちゃんと報告はしておこう、と思っていたら。

「あっ来たよ、白布くん」
「え?」
「あはは、顔怖いなぁ」

ズンズン、と足音がしそうな足取りと形相で白布が人波を縫って向かってきていた。
すぐに椅子から立ち上がると及川さんが空っぽだったわたしのカップと自分のカップとを持って立ち上がる。

「捨ててくるね」
「あ、ありがとうございます」
「うん」
「みょうじ、」

白布がお店の扉を開けて入ってきた。
お店の中だから声は抑えている、だけど。

お、怒ってらっしゃる……。
そりゃそうか、ごめんなさい。

「とりあえずお店出ようか」

飄々と笑って及川さんがわたしの肩を押すからそれに従って三人でお店を出た。
押された手は肩からすぐに離されて、今度は白布の手がわたしの手首を掴んで引き寄せる。

「遅れて悪い」
「えっううん、わたしが早く来すぎちゃったから…」
「けど待ち合わせ六時でしょ?白布くんなまえちゃんからの電話のあと急いで来てくれたんだねぇ」

たしかにさっき時間を確認したら六時まではあと十分くらいあった。
及川さんがへらりと言ったら白布は「…当たり前でしょう」と低い声で言う。

「なまえちゃん借りちゃってごめんね、デート楽しんでね」
「……はい」
「あの、ありがとうございました」

白布の前だから何に対するお礼だよって勘違いされるのも嫌だったけどここで何も言わないのはさすがに失礼だし、と控えめに伝えたら案の定手首を握る手がわずかに震えた気がする。

「どーいたしまして!っていうかこちらこそ!二人ともまたね」

そう言うと及川さんは部活用だろうカバンを肩からかけ直してわたしたちに背を向けた。

「……」
「白布?及川さん付き合わせたからって飲み物ごちそうしてくれたから…」
「うん」
「えーっと…」

手首を掴んでいた白布の手がふと緩んで指と指が絡む。

「何の話してたの」
「…及川さんの恋愛相談?」
「はぁ?」
「彼女に振られたんだって。あと、白布の話…とか」

指の間に入り込んで来た白布の指に、白布の不安とか苛立ちが消えるようにきゅっと少しだけ力を込めた。

「白布のこと好きだなぁって、話してたらまた思いました」
「……みょうじ、それずるい」

ずるい、なんて。
わたしがいつも白布に思っていることを言われてびっくりしてしまう。

「そんなこと言われたら何にも言えない」

ふぅ、と白布が小さく息をはいて、一拍おいてこっちを見てくれる。

「…急いで来てくれたの?」
「おう」
「ありがとう」
「いや、待たせてごめん。……浴衣、似合ってるな」

照れくさそうにしながら、だけどちゃんと目を見て言ってくれて嬉しくてこんなにも胸があったかくなって。
この気持ちに理由があるのかと聞かれると明確な答えなんてすぐには答えられないけれど、会いたいと思う、手に触れたくて繋いだ手から伝わる体温にほっとする。
もう一度「ありがとう」を伝えたらさっきまで不機嫌そうだった表情が和らいだ。


(2020.04.25.)



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