1.土曜、午後四時

「なまえさん?」

街中で知り合いらしき人の後ろ姿を見かけて、多分他の人だったら追いかけることも声をかけることもしない。
見かけたのがなまえさんだったから。
いつもなら寮に遊びに来たときか、舞台を観に来たときにしか会えない人。
会えたとしても隣には違う男がいて、その男というのがまた。
敵わないとは思いたくないけれど敵に回すのも面倒っつーか仲を拗らせたくねぇっつーか、劇団の仲間でありゲーム仲間。

「えっ万里くんだ」
「どうも。今日は至さんと一緒じゃないんすね」
「うん。土日は予定があるんだって」
「あー…」

至さんの彼女、みょうじなまえさん。
社会人になってから出会ったという二人は、至さんがめちゃくちゃ押しまくって付き合うようになったらしい。
あのゲーオタ廃人が三次元の女に本気になって押しまくったと至さんから話を聞いたときは想像できなかった。
しかもなまえさんと俺たちが初めて顔を合わせる前に至さんはこう言ったのだ。

「なまえは俺がオタクだということを知らない」と。


寮に入ったばかりの頃も趣味の事は隠していたらしいがすぐにバレたと聞いている。
そりゃそうだろう。
生活の中心がゲーム、働くのもゲームのため。
芝居にあそこまで真剣になったのが奇跡だと本人が言っていた。
なまえさんと付き合い始めたのはカンパニーに入った後で、「彼女が出来た、今度寮に来る、だけど俺がオタクだと知らない」と告げられたときは寮が大騒ぎになった。
そもそも部屋に入れられないどうしよう、と相談されたから他の奴の部屋借りればと提案したら「他の男の部屋になまえを入れるとか無理」と、くそめんどくせぇことを言い始めて結局至さんの部屋のモニターやらゲーム機を隣の俺と兵頭の部屋に移動させるのに何日かかけて掃除をさせられた。
なんで至さんのためにここまでやってんだよと文句を言いながらも至さんのおごりでピザのデリバリーをしこたま頼ませてくれたから許した。


そういえばこの土日は部屋に引きこもってソシャゲのイベントをやると張り切っていた。
推しイベだからと金曜の夜は目をギラギラさせながら会社から帰って来てさすがに引いたし、なまえさんにはもちろん事実は言えなかったのだろう。
付き合っているからって毎週デートするもんでもないとは思うけれど「予定があるんだって」と言うなまえさんは少し寂しそうに見えた。

「なまえさんは買い物っすか?」
「うん、ずっと家にいるのもなぁって」

手には化粧品ブランドの小さな紙袋。
実家で姉が使っていたのを見たことがある。
ということはもう買い物は終えたんだろうか。

「…なまえさん、時間ある?」
「今?あと帰るだけだけど」
「じゃあ、コーヒーでも飲みません?まだ時間早ぇし」

奢ります、と言ったら「えっいやいや大学生に奢ってもらうわけには」となまえさんが慌てたように両手を顔の横で振る。
手のひらが見えて、右手の薬指にはめられた華奢な指輪が光った。
…誰にもらったかなんて考えなくてもわかる。
あの人、実は独占欲やばそうだしな。

「いや数百円だし。そこの店でいい?」
「いいけど、むしろご馳走しますよ」
「いやいや」
「いやいやいや」

なんだこのやりとり、と思わず吹き出したらなまえさんも目尻を下げて笑ってくれた。



「至くん、春組公演の準備で忙しいんだって?ちゃんと寝てる?」
「あー……睡眠時間は短いほうかもな。けどあの人顔に出ないっしょ」
「うん。顔に出さないから、その、」
「心配?」
「うん……」
「なまえさんと二人のときはどんな感じなの、至さん」
「至くんはいつもなんか、完璧すぎるくらい完璧というか」

だから寮でみんなと話してるときの至くん見てちょっとビックリしたんだよね。
そういうと弱く笑ってなまえさんは視線を落とした。
伏せた目元に丁寧に施された化粧が映える。

「なんか油断してるっていうか実家に戻ったときみたいな。あっご実家に行ったことはもちろんないんだけど」
「…まぁ、好きな女の前ではかっこつけときたいもんなんじゃねーの」
「そうかなぁ」
「油断っつーか寮だとけっこうだらしないっすよ、至さん」

本人がいたら「なまえの前でそんなこと言わないでくれる?」と表情を崩さないまま怒られそうなことを教えてやる。
オンとオフがあんなに激しい人間はそういないと思うし、寮ではだらしないなんてもんではない。
寮での姿が本当の姿っつーことは、なまえさんに見せているのは仮の姿ということになるんだろうか。
それを少しでも感じ取ってしまったのなら、彼女としてはそりゃ寂しいだろう。
付き合う前に全部見せりゃよかったのに、そうもいかないのが恋というやつなんだろうか。

「だらしない至くんは想像できないなぁ」
「仕事終わりとか稽古の後はぶっ倒れてますよ」
「えっそうなの…?」

驚いて今度は目を丸くさせる。
その顔には幻滅なんて微塵も浮かんでいなくて、もっと至さんについて聞きたそうだ。
だけどこれ以上のことを言ったら至さんに殺されかねない。

「なまえさんは?至さんといるとき気ぃ張ってたりすんの」

至さんのことを話すなまえさんを見たいわけではないのに自ら話を振ってしまうあたり共通の話題のなさに気付く。
もっとなまえさん自身の話が聞きたいのに。

「うーん…張ってるというほどではないけど、ちゃんとしないとなぁとは思うかも」
「たとえば?」
「……本当は甘い飲み物が好きなのにコーヒー頼んだり」
「好きなもん飲めばいーのに」
「…キャラクターもの好きだけど子供っぽく見られたくないなと思ったり」
「気にしねぇと思うけど」
「家にぬいぐるみある社会人女性って大丈夫かな…?」

いや至さんのほうが絶対やばいもん部屋にわんさかあるから。
なまえさんの部屋にあるというぬいぐるみについて聞いたら某有名テーマパークに行くたびについ買ってしまうらしい。
そんなもんかわいいだけだろ。

「遊園地っすか」
「社会人になってあんまり行けなくなっちゃったんだけど」
「ふーん…至さんと行けばいいのに」
「一回だけ行ったんだよ、楽しかったなぁ」

知っている。
遊園地に行くという前日に「明日はなまえとデート」と緩みきった顔をして寮で会う奴らにいちいち絡んでいたし、帰って来てからはいかに一日が楽しかったか懇切丁寧に教えてくれた。
「見てこの笑顔かわいいでしょ」と見せてくる写真のなまえさんは、至さんに向けてはにかむように笑っていた。

「なまえさん、」
「うん?」
「明日はなんか予定あるんすか?」
「ううん、明日も何もないよ」
「…じゃあ、行く?」
「え?」

首をかしげるその仕草が、こてんっと効果音でもつきそうで。
目をぱちぱちと瞬かせる表情とか、それをわざとらしくなくごく自然にやっているところとか、こういうとこが至さんの惚れる一因だったんだろうか。

「遊園地。明日俺も暇だから一緒に行こうぜ」

テーブルに置いていた携帯を手にとって遊園地のサイトを開く。
たしかネットで入場券を買えるようになったはずだ。
自分で買ったことってそういえばねーな。
自主的に行こうとしたことだってない。

「ば、万里くん…?」
「あっなまえさんもしかして年パス持ち?」
「ううん、違うけど」
「オッケー。明日暇って丸一日だよな、朝から入れるチケット買っていい?」
「えっ」

チケットの券種を選択する画面までサクサク進んだ携帯をなまえさんにも見えるようにすると、画面と俺の顔を交互に見る。
なんつーか、小動物っぽいんだよな。

「いいの?」
「何が」
「万里くん、遊園地とか興味なさそうなのに」

内心ではそこかよ、とつっこみを入れるけれど口には出さずに「結構好き」と伝える。
二人はさすがにまずいだろうかと思うけれど、どうせなら二人でと思ってしまって。
なまえさんはやっぱり少し困惑しているし「他に誰か誘う?」と提案するのは簡単だけれど、あえて助け舟は出さずに次の言葉を待った。
デート…なんて言ったら至さんにまじで殺されそうだしなまえさんもそんな名目をつけたら来てくれないことはわかっているから言わないけれど、二人で出かけられるなら多少強引でもいいと、そう思ってしまった。
今までこんなことを考えたことはなかったのに、二人で話せて欲が出たのだろうか。

「…明日もお天気いいんだよね」
「そーだっけ」
「うん。どこか出かけたいなぁって思ってて。……至くんは遊んでる暇なさそうなのに悪いかな」

いや、あの人普段から全力で趣味にいそしんでますよ、とは言わないでおいた。
今頃くしゃみでもして大事なアイテム逃してんじゃねーかな。

「あー……至さん、行く前に言うと無理して自分も行こうとしそうだから事後報告にしません?」
「たしかに車出すとか言いそう」
「だろ?」
「うん…。えっ本当にいいの?万里くん無理してない?本当に行きたい?」
「めっちゃ行きたい。最近行ってなかったんだよな。今なんのイベントやってんの?」

行きたいっつーのは遊園地という場所が目的ではないことは伝わらなくていい、きっと伝わらないほうがいい。
だけど俺が行きたいと言ったら迷っていた表情が、多分俺にとっては良い方に傾いた。

「今はね、イースターだよ。毎年すっごくかわいいの」
「この時期って行ったことないわ」
「えっそうなの?」
「だからなまえさんよかったら付き合ってくんないっすか?」

重たくならないよう、ただの友達と遊びに行く予定を立てるようなテンションで。
いつもよりも早く動く心臓には気付かないふりをする。
目の前のなまえさんが首を縦に振ってくれたから、気持ちを誤魔化すことも隠すことももうやめてしまいたいと、そう思った。


(2020.03.22.)




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