4.まだ君は知らない

ファンレターというのは、イベントやライブでもらう以外にも事務所に届く場合ももちろんある。
ある程度貯まったらまとめてマネージャーさんから手渡される時もあれば、事務所に寄った時にもらうこともあって受け取るタイミングはまちまちだ。
けれど多いシーズン、比較的少ないシーズンというのはある。
ドラマや映画でメディアへの露出がわかりやすい時はありがたいことにファンレターの量も増える。
今はちょうどドラマの放送が始まったタイミングで、関連した仕事に対する感想を書いてくれる人が多い。
もちろんSNSのコメントにも目を通すけれど、手書きの文字は温かみがあって好きだ。

(…あ、なまえちゃんからだ)

ファンレターの束からなまえちゃんの手紙を見つけるとホッとする。
直接顔を見て話すイベントは結局受験前のあの時以降は来てくれていないけれど、今でも俺の仕事を見てくれているんだと嬉しい。

会いたいなぁ。

こんなことを一人のファンに対して思うことは、いけないことだとはわかっていた。





ドラマの撮影で空き時間が出来た。

二時間空くよ、と伝えられたからすぐに「ちょっと出てきます」とマネージャーに伝えてロケ場所の近くにある喫茶店を目指した。
もちろん衣装は私服に着替えて、帽子とメガネも忘れない。
落ち着いた街並みにひっそりと佇む昔ながらの喫茶店は、中学時代の友達のお姉さん…茜さんが旦那さんと営んでいるという。

扉を開けるとカランと小さくベルが鳴った。
店内にはお客さんが二人と茜さんがいて、ベルに気が付いた茜さんが落ち着いた声で「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。

「あれ、真琴くん一人で来るの珍しいね」
「こんにちは。ちょっと時間が空いたので」
「そっか。奥どうぞ」
「ありがとうございます」

純喫茶まろんの店内はそう広くないけれど、カウンターや奥のテーブル席は人目が気にならなくて一人で来てもいいなぁと思っていた。
今までは中学が同じだったハルや、茜さんの弟である椎名旭と一緒に来ていたんだけれど。

案内された席に茜さんがお冷とおしぼりを持ってきてくれる。

「ホットコーヒーください」とお願いをして、台本をカバンから取り出した。
台本カバーを付けているから、あまりにも近くに人がいなければ外で読んでも大丈夫。
それと、昨日もらったばかりのファンレターを数通出す。

「はい、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」

茜さんがコーヒーと、クッキーを持って来てくれた。
あれ?という顔をしてしまった俺に「よかったら食べて」と言われ優しさに顔も心も綻んだ。
ミルクと砂糖を少しだけ入れて、コーヒーをひとくち。
温かさにホッとして、撮影での緊張感で力の入っていた肩が緩む。
アイドルとしてデビューする前からドラマの撮影はしたことがあったけれど、役の大きさやセリフの量、プレッシャーも違う。
役や作品によって力の入れ方が違うわけでは決してないけれど、子供の頃は無邪気に仕事をしていたなと大人になった今では思う。

台本を確認する前に、ファンレターを読もうと手に取った。
こういう空き時間や移動時間、家でのんびりしている時とか、時間を見つけては読むようにしている。
溜め込みたくないし何より力になるからだ。
ファンのみんなが俺に「いつもありがとう」と言葉をくれるのと同じように、俺も読むたびに感謝で胸がいっぱいになる。


コーヒーが残り一口ほどになって、そろそろ戻ろうかと時計に目をやったタイミング。
キッチンの方から「おはようございます」と声が聞こえた。
もう外は暗くなり始めたこの時間に挨拶が「おはようございます」って、芸能界だけじゃないんだな。
そんなことを思っただけで顔を上げたことに深い意味なんてなかったのだけど。
キッチンで茜さんが「おはよう」と返事をしている相手が見知った女の子で。

会いたいなと思っていた相手。


なまえちゃん、だった。


見間違いだろうか、心臓がバクバク鳴っている。
ロケ地の近くとは言え撮影中に野次馬やファンの子が周りにいるなんてことはなかったし、いや、もし場所が知られていてもなまえちゃんはそういう場所に来るような子ではない。
それに茜さんと挨拶をしていたからここで働いているということで。
アルバイト、だよな。
大学生になったと手紙に書いてあったし。
大学が近いんだろうか?
それとも家が近い?
考えても仕方がないのに茜さんと話をしているなまえちゃんを盗み見るようにしてちらりと見ながらぐるぐると思考が巡る。

なまえちゃんはまだ俺には気が付いていなくて、かぶっていた帽子を深く被り直す。
左胸あたりのTシャツをぎゅっと握ったのは無意識だった。

ドキドキと心臓がうるさいのは、気付かれたらどうしようって心配とは違う気がする。
声をかけてもいいだろうか。
俺だってわかるかな。
ビックリさせちゃうよな。
茜さんに迷惑をかけないようにしないと。

そろそろ戻らないといけない。
コーヒーを飲み干して荷物を全部リュックに入れる。
携帯をポケットに突っ込んで、外していたメガネ…は一応かけ直す。
伝票を持って席を立つと茜さんとなまえちゃんの「ありがとうございました」の声が重なってまた心臓が跳ねた。


ぺこ、とどこに向けてか自分でもわからないけれど小さく会釈をする。
レジに向かうと茜さんが対応をしてくれて、「これからまた仕事?」と声をかけてくれるけれど正直それどころではなくて生返事になってしまった気がする。

「頑張ってね」
「はい、クッキーありがとうございました」

ひらひらと茜さんが手を振ってくれて、扉を開けたらチリンと小さく音がする。
なまえちゃんの方を振り返る勇気はなかった。


(2020.03.14.)




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