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「リレーはどうだ」

真琴とハルが子供の頃に通っていた岩鳶スイミングクラブが、リニューアルオープンするにあたってイベントをするらしい。
イベントの企画を考えていることを笹部コーチから聞いて、部活帰りにみんなで何かメインになるものをと話し合っていたらハルが発した言葉だ。

ハルがそう言ってくれたことでみんな一気に盛り上がって「リレーをやるとなると対戦相手が必要だよね!」とすぐ渚くんが凛に電話をかけた。
凛から返事は聞けないままその日は解散することになったけれど凛はきっと断らない。
なんだかんだ優しいし、ハルと対決となったら内心わくわくしているくらいだと思う。
愛ちゃんや他の鮫柄水泳部のメンバーを揃えて参加してくれるだろうな。
…鮫柄水泳部が来るとなるとついこの前再会した幼馴染の顔が浮かぶけれど、小学生の時に凛とリレーのことでケンカをしてからあの二人は一度も一緒のチームでは泳いでいないはず。
凛がもしも誘ったとしても宗介が頷くとは思えないもんなぁ、と嫌な予感を頭から追い出した。



みんなで海岸沿いを歩いて帰り道を進んでいたら、真琴にくいっと袖を引かれる。

「なまえ、このあと時間ある?」
「うん、どうしたの?」
「今日うちの親遅くてさ。蘭と蓮がなまえ呼んでって言うんだ。突然だから駄目なら全然いいんだけど」

どうかな?と首を傾げる仕草に思わず顔を緩む。
もう日が暮れてきた時間帯、お母さんご飯用意しちゃったかなぁと頭の隅で考えながらも答えは迷わなかった。

「いいの?蘭ちゃんと蓮くんにお呼ばれなんて嬉しいなぁ」

「家にご飯いらないって連絡入れるからちょっとごめんね」と断りを入れて携帯を操作した。
付き合う前から何度かハルとお邪魔したことがあった真琴の家に行くことはなんの抵抗もなくて、蘭ちゃんと蓮くんは遊びに行くたびに「なまえちゃんー!」と体当たりしながら歓迎してくれる。
自分にも妹と弟ができたみたいで嬉しいし、真琴もそれを見て嬉しそうにしてくれるんだ。
部活でも部長としてみんなを引っ張ってくれる真琴が、家でお兄ちゃんをしている姿を見られるのも好きだということはなんだか恥ずかしくて真琴には伝えたことがない。

みんなと別れて橘家まで真琴と並んで歩いていると自然に手を繋がれる。
今更照れるなんてことはないけど、大きな手に指を絡めるように取られると心臓も一緒にぎゅって掴まれたみたいな感覚がした。

「真琴のお母さん、晩御飯用意してくれてるの?」
「あー…実はさ、作る時間ないから出前でもって言われてて」

チラッと盗み見るようにわたしの顔をうかがうたれ目を見つめ返す。

「ご飯、作ろっか?」
「本当?!」
「うん、簡単なものでよければ。真琴も一緒に作ろうね」
「う…頑張ります…」

真琴は料理が全くできない。
包丁の使い方も怪しいくらいで、一緒に作ると言っても食材を出してもらったりお皿の準備をしてもらったりってくらいだろうけど、真琴は憂鬱そうにしていてつい笑ってしまった。

解散したときに傾き始めていた夕陽は橘家に着いたときにはすっかり沈んでいた。
ガチャッと鍵を開けて、「ただいま」と言う真琴の後ろに付いて足を踏み入れる。

「お邪魔します」
「はい、どうぞ…あれ、蘭と蓮出てこないね」

いつもなら扉を開けた瞬間にものすごい勢いで走って来るのに、今日はそんな気配が全くない。
おかしいなぁ、と言いながらリビングに入った真琴が、「あぁー…」と苦笑いをした。

「どうしたの?」

真琴が玄関からリビングへの入り口で立ち止まってしまったから、わたしはリビングを覗けない。
制服の裾をクイッと引っ張りながら尋ねると、困ったように眉毛を下げた顔が振り返った。

「蘭と蓮、寝ちゃってる」
「わ、ほんとだ…遊び疲れちゃったのかなぁ」

テレビゲームをしていたようで、リモコンとコントローラーを投げ出すようにして二人でソファに寄り添うようにして眠っていた。

「起こすのかわいそうだし、俺の部屋行こう」

真琴に手を引かれて入った彼の自室。
カバンを置いた真琴が着替えを持ってシャワーを浴びに行く。
…別にこの行動にやましいなにかがあるわけではなくて。
真琴が帰ってきてまずシャワーに行くのはいつものことだ。
一応部活のあとにシャワーでゆすいでいるとは言え、まだ塩素を落としきれていないから、プールから帰ったらすぐにお風呂に入るのが子供の頃からの習慣らしい。
最初はビックリしたけれど、真琴が真っ赤な顔をして「違うんだ!」と弁解する姿があまりにも必死で笑ってしまったっけ。

真琴の部屋で一人待っていても緊張しなくなったなぁ、なんて考えていたら十分も経たないうちに真琴が戻ってきた。

「相変わらず早いね」
「一人で待たせるの悪いから。せっかく来てくれたのに蘭と蓮寝てるし…」

ごめんね、と言った真琴の髪の毛から水滴がポタポタとフローリングに落ちる。

「…真琴はハルにはお母さんみたいだし、しっかりしたお兄ちゃんなのに自分のことはダメダメだねぇ」

肩にかけられたタオルを取ってわしゃわしゃと髪の毛を拭いてあげる。
身長差があるから立ったままだとやりにくくて、真琴の肩を押して座ってもらった。

「一人のときはちゃんとしてるよ?」
「えーほんとー?」
「なまえといるときは、なまえが拭いてくれるから」

こっちを見上げながらはにかむように笑う真琴は明らかに照れていて、照れるくらいなら言わなきゃいいのになぁ、なんて思うけれどちょっと…いや、かなり嬉しい。
水分を含んだタオルを床に置いて普段見えないつむじのあたりにキスを落としたらおもしろいくらい肩が揺れた。
シャンプーの香りがする髪の毛にもう一度触れるか触れないかくらいに顔を近付けると真琴が慌てているのが伝わって笑ってしまう。

「ちょっと…なまえ…!」
「真琴がかわいいこと言うから」
「…かわいくないよ」
「顔赤いよ?橘くん」
「まーこーと、でしょ」

真琴の肩に置いた手を大きな手で包まれて「名前ちゃんと呼んで」と言われる。
そういうのがかわいいんだけどなぁ。



呼び方が橘くんから真琴に変わったのは付き合い出した時というわけではない。
二年生になって水泳部が出来た頃にハルが突然「ハルでいい」と言い出したことがあったのだ。
最初はなんの話かわからなくて、「なにが?」と聞き返した。

「名前。七瀬くんじゃなくてハルでいい」

そう言ったハルの声はいつもみたいに至極淡々としていたけれど、そう言えば水泳部のみんなは下の名前で呼び合ってるなぁと思って「うん、じゃあ」と頷いた。

「ハルちゃんって呼ぼうかな」
「ちゃん付けはやめろ」
「あはは、ごめん。じゃあハルで」
「ん」

それを聞いていた渚くんも「僕もー!僕のことも名前で呼んでー!」と抱き付いてきて、葉月くんから渚くんに呼び方を変えた。
江ちゃんと怜くんは最初から名前呼びだったなぁ、そういえば。

橘くんは何も言ってこないなぁとチラッと隣にいた橘くんを見たらバッチリ目が合ってしまって。
瞬間的に彼の顔が真っ赤になってビックリした。

「え、なに、」
「…俺いま顔赤い?」
「うん、とっても」
「わー恥ずかしい」

大きな両手で顔を隠すようにして覆っているけれど、耳まで真っ赤だからあんまり意味がない。

「俺も、」
「え?」
「俺のことも名前で呼んでほしいなって」

付き合ってるんだし…ともごもご言う真琴は恋する乙女なの?というほどにかわいくて、みんなには冷やかされるし恥ずかしさと嬉しさでわたしも顔が熱かった。



「なまえ?なんで笑ってるの?」

真琴の大きな手がいつのまにかわたしの頬を包んでいて、顔を覗き込むように首を傾げる。

「ん?思い出し笑い」
「俺といるのに…?」
「名前で呼んでって言ったときの真琴を思い出しちゃったんだよ」
「……だってみんなのこと名前で呼ぶのに、俺だけ名字とか寂しいだろ」

記憶の中の真琴ほどではないけれど、少し赤くなった顔が徐々に近付いてきたと思ったら触れるだけのキスをされた。
まだ濡れている髪の毛が視界に入ってきて唇が首筋をかすめる。

「真琴…?」
「ん?」
「蘭ちゃんと蓮くんリビングにいるよ?」
「うん」
「ご、ご飯食べないの?」
「食べるよ」

鎖骨のあたりに柔らかい唇があたって、そのまま真琴が話すからくすぐったい。
だけど話をしながらも止まらないキスに少し焦る。

「まこ、」
「なまえ、好きだよ」
「いきなりどうしたの?」
「…好きだなぁっていつも思ってる」

首筋に埋められた顔はそのまま、ぎゅっと縋るように抱きすくめられる。
濡れた真琴の髪の毛で制服のシャツがじんわりと冷たい。
背中に回された手はわたしよりずっと大きくて男の子のものなのに、やっぱりかわいく思えて愛おしい。

「わたしも、大好きだよ」

ぎゅっと抱き締め返したらもっとぎゅうぎゅうに抱き返されて、苦しいよと笑ったら真琴も弱く笑ってくれた。


(2014.08.14.)
(2020.07.11.加筆修正)

このあと蘭蓮が突入してくる。



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