6.

寒空の下でぎゅうぎゅう抱き締め合って、子供みたいなキスをした。

抱き締められたときの指輪の行方はというと、さっと箱の蓋を閉じて、パッとポケットに仕舞っていたらしい。
「なにその神業」と笑ったら、ユーリは「よく覚えてない」と拗ねたみたいな顔をして、一拍おいて二人で笑い合った。
必死だったんだよ、と言うユーリがかわいかった。


「指輪、はめてもいいか?」
「うん、もちろん。お願いします」

左手を差し出したら、ひどく丁寧に指先に触れられる。
小さな指輪がユーリの手からわたしの薬指にはめられると、見慣れた自分の左手が輝いて見えた。
今までプレゼントをもらったことは何度もある。
いつだって、どれだって、ユーリがわたしに選んでくれたものは大切で特別。
だけどやっぱりいまこの瞬間は、今まで感じたことのない気持ちで胸がいっぱいになる。

「…ぴったり」
「だな」
「ありがとう、ユーリ。すごく嬉しい」

嬉しいのに泣きそうで、だけどユーリの記憶に残る表情が泣き顔なんて嫌だから精一杯笑った。

「うん、俺も嬉しい」

目尻を下げて顔をくしゃくしゃにしてユーリも笑ってくれた。





昨日の夜のことがまるで夢みたいだと思う。
だけど首元に手をやればそこにはチェーンを通した指輪がかかっていて、手で触れるたび、鏡を見るたびに現実だよと教えてくれた。

…夢みたいだといえば、この光景だってそうだ。
大会が終わればほとんどの場合はエキシビションが行われる。
だけどやっぱり四年に一度のオリンピックでのエキシビションはお客さんの高揚感も他の大会よりもすごくて、それがわたしたち選手にも伝染するようにパフォーマンスの熱はあがっていって、会場中が熱気に包まれていた。

女子、男子、アイスダンス、そしてペアのメダリストたちが次々にエキシビションのために用意した演技を披露する。
オープニングでも一度リンクに立ったのだけれど、そのあとは自分の出番まで裏で待機の時間があった。
自分の出番まで身体が冷えないようにしっかり上まであげていたナショナルジャージのファスナーを下ろしてリンクへと向かう通路を歩いていると、背筋をシャンと伸ばして大きなヘッドホンをしているユーリがいる。
昔は妖精だ、天使だと言われた彼は、今では精悍な横顔をしていた。

彼の集中を途切れさせないよう、声はかけずにそっと通り過ぎようとした、ら。

「…おい、素通りかよ」
「…声かけないほうがいいかなーって」

手首をがっしりと掴まれた。

「次、なまえの演技か」
「うん。ユーリは最後だよね」
「おう…これ、してるのか」

ユーリの右手がさらりとわたしの首筋を撫でる。
昨日まではしていなかったネックレスチェーン、実はこれもユーリから贈られたものだった。
指輪自体は見えないように衣装の中に隠している。
左手の薬指に指輪を付けたら、演技以外のところに注目が行ってしまうと思ったからだ。
スケート以外のことで騒がれるのは得意ではない。

「朝からずっと付けてたよ?」
「服で見えなかった」

昨晩の出来事のあと、いつものように一緒のベッドで眠って、みんなが起き始めるだろう時間の少し前にユーリは自室に戻って行った。
朝食はナショナルチームのみんなと食堂で時間がかぶったから一緒に食べたし、ユーリもいたんだけれど。
その時もジャージのファスナーは上まであげていたんだっけ。

ジッと、エメラルドの瞳がわたしを見下ろす。

「…なに?」
「いや…なんか、嬉しいもんだなと思って」

ユーリが目尻を下げて柔らかく笑う。
こんな表情、今までの長い付き合いの中でもそう見たことがない。
ぱちぱち、と思わずまばたきをしたら今度は照れたように視線を外された。

「時間大丈夫なのか?」
「あっうん、そろそろ行くね。ユーリも頑張って」
「ん。なまえもな」

じゃあ、と手を振ろうとしたらあげた右手をユーリの左手が弱く掴む。
不思議に思って首を傾げたら、そっと頬に手が添えられた。
ここが部屋の中なら、きっとキスのひとつでもされているだろうと思うけれどここはリンク裏で、スタッフさんたちが慌ただしく動き回っている。

「ユーリ?」
「…なんでもねぇ」

絶対なんでもないって雰囲気でも表情でもないのに、ユーリも大人になったんだなぁ。
パッと解放されてなんだかおかしくって笑ってしまったら唇を尖らせて「笑うな」だって。

今度こそ手を振ってその場を離れて、緩む頬を両手で押さえながらリンクへと向かった。




エキシビションのラストは、全出演者によるパフォーマンスだ。
順番にリンクへ滑り出して行き、ラインダンスやフォーメーションダンス、それぞれに見せ場となる得意なスピンやジャンプなどを織り交ぜて盛り上げていく。

普段絡みのないシングルの選手同士で、ペアの選手のような演技をする場面なんかもエキシビションの醍醐味だ。
今回は同じメダルの色同士で組むことになって、わたしはユーリとのペアだったからあまり気負いすることなく練習にも臨めた。

試合は緊張でいっぱいで、地に足がついていないというか他人事のような感覚さえあった。
表彰式を終えてユーリと一晩過ごして、エキシビションの練習をして。
この時間は四年に一度なんかじゃなくて人生に一度きりの、もう二度と味わうことはないであろう特別な時間だ。
目一杯楽しもう。
言葉にしなくてもユーリと目が合えばそれだけで笑顔になって、繋ぐ手から想いが伝わればいいなと思った。

そして本番、女子選手でのフォーメーションを終えてペアを組む男子選手のもとへそれぞれ滑って行く。
大きな歓声に後押しされるようにユーリのもとへ向かうと手を差し出してくれるからなんのためらいもなくその手を取る。

「すごいね、お客さんの歓声」
「あぁ」
「楽しいなぁ」

わたしたちが話している声はきっと絶対周りには聞こえていない。
歓声が大きすぎて、すぐ近くにいるユーリの声がかろうじて拾えるくらいだ。

二人で手を繋いだままでもできる簡単なステップをして、次は見せ場となるリフトだ。
もちろん本格的なものは短い練習時間ではできなかったけれど、一瞬だけふわっと持ち上げられて滑らかに着氷…これを提案したのは実はユーリだ。

曰く「昔カツ丼とやってたのが羨ましかった」とか。

練習のときに言われてもすぐには思い出せなくて首を傾げたら「何年か前のNHK杯」とふてくされたように言われて驚いた。
そのときのエキシビションで勇利くんとペアで踊った時に、振付の先生の思い付きでリフトをしてもらったんだっけ。
本人ですら言われるまで忘れていたのに…

「え、もしかしてずっと覚えてたの?」
「…悪いかよ」
「悪くないけど…かわいいなぁと思いまして」
「かわいくねぇ!」

そんなやりとりがあって、練習中についニヤニヤしてしまってユーリに怒られた。
もちろん練習は真面目にやったし準備は万端だけれど。

ユーリの手がわたしのウエストに添えられて、スケーティングの勢いのままに氷を蹴ったら宙に浮いたような感覚がした。
抱えてくれる目の前の大好きな人に身を任せてくるくると回るとまるで自分がお姫様になったみたいだ。
楽しくて、夢みたいで、油断すると涙が出そうなくらい幸せで。
氷に下ろされる仕草もひどく優しくてふわっと笑うユーリの表情も全部愛おしい。

優しく細められたユーリの瞳を見つめ返したら、スケート靴のブレードが氷に着いた瞬間にぐいっと腰を引かれて抱き締められた。

「…ユーリ!」
「あはは」

あはは、って。
そんな快活に笑うユーリには滅多にお目にかかれない。
この場の雰囲気にテンションが上がってしまうのはわかるけれど、だからってこんな公にも程がある場所でなんてことをするんだろう。
抱き締められたのは一瞬だったから、お客さんや他の出演者に変に思われるような感じではなかったけれどわたしの頬はずっと熱をもったままだった。


夢みたい、本当に。

世界中のスケートファンの祝福を体全部で受け止めて、ユーリと繋いだままの手にきゅっと力を込めた。



(2019.12.25.)



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