7.

最終の通し稽古を終え、明日のゲネプロに向けてさっさと寝ようと解散をした。
はずなのに。
臣が持ってきてしまった小道具を劇場へ置きに行った監督ちゃんがバタバタと寮に戻ってきて、その手にあるものを見て全員が顔を青ざめさせた。

「…んだよ、それ」
「衣装、全部ぼろぼろになってるの」

監督ちゃんの両腕に抱えられているもの、新生秋組公演で俺たちが着る予定だった衣装だ。
その衣装が、ズタズタに切り裂かれていた。

信じられない気持ちで自分の衣装を手に取ると、布ではない感触に触れる。
違和感の正体はすぐにわかった。

「なぁ、これ」

ポケットの中に無造作につっこまれていた紙を出して広げるけれど、広げる前からそこに何が書かれているのかはなんとなく予想がついてしまう。

「舞台を中止シろ……」

案の定というか、それは前にも届いた脅迫状だった。
脅してこようが直接ケンカを売ってこようがそんなもんはねのけりゃあいい。
けれどこれは、衣装は別だ。
衣装係の幸がどんだけ気合入れて俺らのために作ってくれたもんか、この寮にいる人間なら全員知っている。

明日のゲネプロは中止するしかないが、衣装は幸が一日で作り直すと啖呵を切ったから、俺たちもそれを信じてやれるだけのことをやるしかない。
腹をくくれば各々の行動は早く監督ちゃんが指示を出した。

「支配人、公開ゲネプロは中止で!至急連絡お願いします!」

あと、と兵頭へ向き直る。

「十座くん、なまえちゃんにもゲネプロ中止って連絡してもらえる?」
「あぁ…」

兵頭が携帯を取り出して、少し考え込むような表情をして「なまえには、理由を言っていいか」といつも以上に低い声で聞いた。

「え?」
「衣装、なまえなら手伝えるだろ。でも言ったら、」

兵頭が言い淀むとさっきまでバタバタと動き出していた幸たちがピタリと止まる。
なまえに衣装のことを言えば何があったのか話さざるをえないだろう。
切り裂かれた衣装を見たらどんな顔をするのか、想像しただけでこっちまで辛い。
……いや、俺は辛いっつーかもし泣かれでもしたらめんどくせーな、と、そう思う。

「…そうだね、なまえちゃんにはできれば言いたくないんだけど……」
「なまえには俺から言うよ」
「幸くん?」
「どうせ本番で衣装見たらなまえは気付くでしょ。だったら先に言ったほうがいい」

幸が悔しそうに俯いた。




「お邪魔しまーす…」

夜もすっかり更けた時間、天鵞絨駅まで兵頭が迎えに行ってなまえが寮へ顔を出した。
準備の手伝いをしてほしいから泊まってくれ、とだけ伝えたらしくデカいボストンバックを持っている。
すんなり泊まりの許可が下りるのはいとこである椋と兵頭がいるからだろう。

秋組全員と幸、監督ちゃんまで集まって談話室にいる状況に目を丸くしていて、その表情を見ると今から聞かせる内容に思わず眉の間に力が入った。

「実は、」と切り出した幸の悔しさを滲ませた声になまえが丸くしていた目を細める。
衣装を見せられて言葉もなく呆然とする姿に、改めて俺も起きた出来事に拳を握った。
見ていられなくて視線を外すと、ぐすっという鼻をすする音。

「…わかった、出来ることがあったらなんでも言って」
「助かる。夜中にごめん」
「幸ちゃんが謝ることじゃないよ」
「っちょ、なに」

幸が焦ったような声をあげたからまた何かあったのかと思ったら、なまえが幸を抱きしめていた。
っつっても、幸よりもなまえのほうが背が低いから抱きついているような体勢だけれど。
劇団員のなかで一番小さい幸よりも、ちっせーんだよなぁ。

「幸ちゃんの衣装、すごく綺麗で大好きだよ」
「……」
「頑張って作ってたの知ってる」
「うん」
「絶対に間に合わせよう」
「…当然」

幸が、なまえのことを一度抱きしめ返しすぐに身体を離した。

「てゆーか俺が男って忘れてない?」
「え?あはは」
「笑いごとじゃないよ」

まったく、と溜息をはく幸の顔色がさっきよりもだいぶ良い。
なまえも切り替えたようで腕まくりをして「何からやればいい?」と表情を引き締めていた。
泣くかと思ったのに逆にハッパかけるとか……なんなんだよ。




ゲネプロが行われるはずだった土曜は丸一日衣装の復旧作業にあてることになった。
昨日の夜から寝ていないけれど不思議と眠気はなくそれぞれが集中して黙々と作業をしている。
ただ、こんな時でも腹は減るもんで。
綴が差し入れに軽食とコーヒーを用意してくれた。
「みんな少し休憩しよう」と声をかけられ、ふっと肩から力が抜ける。
ぐっと伸びをするとパキッと首の骨が鳴った。

「綴さん、ありがとうございます…」
「なまえちゃん大丈夫?ちょっと寝たら?」
「いえ……わたしは大丈夫なんですけど、」

そう言いながら兵頭の分であろうコーヒーにミルクと砂糖をどぼどぼ入れている。
それコーヒーの味すんのかよ…。
綴がそれを見てぎょっとしていたけれどそれになまえは気付かず、談話室のローテーブルで作業をしている太一に目をやっていた。

「太一くんが…」
「え?」
「なんか無理しているような気がして、」

キッチンにいた俺、綴にしか聞こえないくらいの声量でなまえがぽつりとこぼすように言って、太一の後ろ姿しか見えないけれどその背中はいつもよりも丸まっているように見える。

「そうか?」
「はい…なんとなく、なんですけど」

綴さんがうーん、と首を傾げて太一となまえを見比べている。
太一のすぐそばには臣がいて、普段は幸の周りでわんわんと犬が尻尾をふるように構ってくれとアピールしているのに今は静かだ。
まぁ状況が状況だし、幸にへたなことを言えば辛辣な言葉が飛んでくるかもしれないことを思えば賢明だろうけど。

なんてことを考えながら綴の用意してくれたコーヒーをキッチンで飲むけれど、綴の手がなまえの頭に乗って思わずコーヒーを噴き出すところだった。
どいつもこいつもパーソナルスペース狭すぎじゃねぇの?
気管に入りかけて若干むせただろうが。

「なまえちゃん、これ太一に持ってってやんなよ」
「コーヒーですか?」
「うん。なまえちゃんにもらったほうが俺が持ってくより嬉しいだろ、太一も」

なまえの頭を軽く撫でた綴は、まるで妹にでもするように優しくアドバイスしてやっていて、なるほどさすが大家族の兄貴だ。
数秒じっと綴に渡されたコーヒーを見たなまえが「そうします」と弱く笑ってキッチンを出た。

「……万里、水いるか?」
「いや、なんで」
「むせてただろ?」

むせてねぇけど、と誤魔化しにもならないことを言えばなぜか笑われた。

「弟にもあぁいう風にしちゃうんだけど、女の子の髪の毛触るのはよくなかったかな」
「…知らねぇよ」

もう一口、マグカップに口をつけたら思いがけずズズ…と音がした。



「太一くん」
「…なんスか?」
「コーヒーどうぞ」
「あー、ありがとう」

なまえがマグカップを太一に渡して、普段よりもだいぶ低いテンションで太一が受け答えをする。
その様子になまえは言葉が続かないようだったけれど、すとんと太一の隣に腰を下ろした。

「太一くん、ちょっと休んだら?これの続きわたしできると思うし…」
「なんで?別に大丈夫ッスよ」
「でも顔色良くないし、」
「大丈夫だってば!」
「っ、」
「…あ……。その、なまえちゃんこそ、関係ないのにこんな時間まで、起きてなくても」

談話室にいた全員が、手を止めた。
太一が強い口調で返したこと。
なまえに対して「関係ない」と言ったこと。
普段であれば考えられない様子に、太一自身もハッとしたように表情を曇らせた。
なまえが二、三度驚いたように目を瞬かせる。

「太一、少し寝てきたらどうだ?」
「臣くん……」
「な。疲れてないと思っても疲労は溜まるもんだ」
「…わかった、ありがとう」
「あぁ。三十分したら起こしに行くよ」

なまえから渡されたコーヒーを手に、太一が立ち上がる。

「なまえちゃん…コーヒー、ありがと」
「ううん…」

目は合わせないままで談話室を出て行った太一の背中は少しだけふらついているように見えた。

「みんなも、順番に仮眠とったほうがいいな」
「そうだな。全く寝ないのも初日に響く」

臣と左京さんがそうまとめ、作業の手をまた再開させた。



(2019.11.03.)

続きます。



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