4.

新生秋組公演の稽古が進んで、衣装の仮縫いが済んだというから今日は衣装を着てメイクを試してみる日だ。
秋組五人と衣装係の幸、監督ちゃんがいるのはわかる、当たり前だ。

「わーちょっと待って十ちゃん、出しすぎ!」

だけど、どうしてここになまえがいるんだろうか。



「はい、ネオヤンの分はこれ。まだ仮縫いの状態だから着るとき気を付けて」
「了解」

幸がこだわって作り上げたという衣装は中学生が採寸からデザイン、何から何まで一人で行ったとは思えないクオリティだった。
ヴィンテージものを使わせろと左京さんとやりあってただけのことはある。
ルチアーノのためだけに仕立てられたキャメルのダブルジャケットは驚くくらい俺にしっくりと馴染んだ。
…のだけれど、幸はまだ満足していないらしく身頃を調整するために全身を隅々まで確認してあちこちに針を刺していった。
どこをどう詰めたら見映えがいいのか、逆に動きやすくするためにははどこを緩めればいいのか、舞台用の衣装を作るのは三作目らしいけれど手際の良さに驚いた。
褒めても生意気なことしか言わなさそうだから黙ってたけど。


チラ、と視線をずらすとなまえと兵頭が稽古場の隅で話をしていた。
五人同時進行というのはなかなか難しいから、俺が衣装合わせをしている間に他の奴らはメイクを試したり着たままの状態で軽く
立ち稽古をしたりしているのだけれど、兵頭たちはメイクの順番らしい。
ずらっと並べられたメイク道具を兵頭が恐る恐る手に取っていた。

「これが下地。ファンデーションの前に塗るんだよ」
「…ファンデーション……」
「そう。で、これが化粧水と乳液。場合によってはクリームも使ったほうがいいかなぁ」
「にゅ、にゅうえき」
「元の肌が乾燥してるとどんなに下地とかファンデ頑張っても崩れやすくなるんだよ」
「……そうなのか」

美容講習か。

聞こうと思っているわけではないのに二人の会話が耳に入ってきて思わずそっちを見ると兵頭が眉間にシワを寄せながら化粧品のボトルを手にしていた。
それを見てなまえが苦笑しながら化粧水をコットンに浸して兵頭に渡す。
それを兵頭が受け取って自分の頬に乱暴にあてた…ところを見ていたら頭に軽い衝撃が走った、物理的に、だ。

「いってぇな、何すんだよ」
「気になるのはわかったけどよそ見はするな」
「っ…はぁ?」
「ちょっと横向いてみて」
 
気が付いたらジャケットのあちこちに刺さったまち針が増えている。
そんなにぼけっとしていたつもりはねぇんだけど。

「…そんなに気に入らない?なまえのこと」

真剣な顔つきで生地を触りながら幸がぽつりと口にして、今度はすぐに反応ができなかった。

「十座とはなんだかんだうまくやってるじゃん、なのになまえのことはなんで気に食わないの?」
「まず兵頭とうまくなんてやってねーよ」
「それには即答できるんだね」

幸となまえが同じ空間にいるところを見るのは初めてで、逆を言えば俺となまえが穏やかでない雰囲気であることを幸だって見ていないはずなのに、太一あたりから何か聞いているんだろうか。

「なまえ、良い子じゃん。今だってあんなにかいがいしく十座の面倒見てさ」

人によそ見すんなとか言っといて幸だってそっち見てたんじゃねーか。
なんてことは思っても口に出したら二倍にも三倍にもなって返って来ることは短い付き合いでもわかる。

チラ、と稽古場の隅に目線をやれば、なまえから何かのボトルを手渡された兵頭がボタボタと手のひらに液体を出していて「出しすぎ!」となまえの焦った声が聞こえた。
声は焦っているのに表情は柔らかい、あの顔が嫌いだ。

「仲良くしろとは言わないけどさ。あんまいじめないでよね、なまえのこと」

俺がいつあいつをいじめたんだ。
睨み合いも言い合いも、全部お互い様だろ。
つーか今日は別に何にも起きてねぇし顔を合わせたときに挨拶だってした。
なまえが「あ…」と戸惑うように眉を寄せたから、「よう」と顔も見ず返事をしたら案の定監督ちゃんに「万里くん。よう、は挨拶じゃありません」と怒られた。
それを言うならなまえにだろ。
あいつは「あ」の一文字しか発してねーぞ。

「…いじめてねーよ」
「ならいいけど。うん、衣装はこれでオッケーかな。まち針刺したままだから脱ぐとき刺さらないようにね」
「りょーかい」

衣装を慎重に脱いで稽古着のジャージに着替える。
次は臣の衣装合わせの番らしく、さっきまで太一と本読みをしていた臣が幸にジャケットを羽織るよう促されていた。

「万里くん、次メイク試してみてね」

着替えを終えたあたりを見計らって監督ちゃんに声をかけられる。
「りょーかい」と返事をしたものの、メイク道具一式は兵頭たちの近くにある。
近寄りたくねぇと思うけれど、時間を無駄にしたら左京さんあたりの雷が落ちるだろうということはわかるから渋々、仕方なく、本意では決してないけれど、兵頭となまえの近くに腰を下ろした。

兵頭が目を瞑りジッとしていて、その顔を覗き込むようにしてなまえが化粧を施していた。
化粧をしているのだから当たり前だとは思うけれど、二人の距離が近い。

「……」
「十ちゃん、公演始まるまでにアイライン自分で引けるようになってね」
「…努力する」
「練習あるのみ!」

見るからに不器用そうな兵頭が化粧なんてできるわけねーだろ、と内心で毒づく。
話しかけることはせずに置いてあった化粧の手順が書かれた紙に目を通した。
舞台メイクなんてやり方さえ覚えりゃ余裕だろ。

「おい、摂津。お前も素人なんだからわかる奴に聞きながらやれ」

置いてある化粧水の瓶を手にとって適当にやるか、と思っていたら心の内を見透かされたかのように左京さんの声が飛んできた。

「なまえ、摂津の面倒も見てやれ」
「えっ」
「いや別にこんくらい一人で、」
「頼んだぞ」

俺の言葉を遮った左京さんになまえが苦笑しながら「はい」と答える。
チッと思わず出た舌打ちにも相変わらず動じない。

「十ちゃんはとりあえず終わったから次はお衣装だね」
「あぁ、ありがとう」
「どういたしまして」

素直に礼を言う兵頭に鳥肌が立ちそうだし、腑抜けた笑いを返すなまえのことはまっすぐ見ることができない。
けどこれ以上左京さんに小言を言われるのもめんどくせぇから大人しく兵頭がさっきまでいた場所に移動する。

「よろしくお願いします」
「ん」

やってもらうのは俺のほうなのに、なぜかなまえが頭を下げた。

「これ塗んの?」
「はい…ってまずは手を綺麗にしてからです!」

手に取った化粧水をすぐ手のひらに出そうとしたらすげー勢いで止められた。
雑菌が付いた手で化粧をすると顔全体に汚れが広がってしまうだとか。
本当はちゃんと手を洗うほうがいいんですけど、と手渡されたウェットティッシュで手を拭いて改めて化粧水をコットンに浸したけれど俺の手元をじっと見てくるから落ち着かない。

「……」
「…あっ」
「今度はなに」
「あんまり擦らないでください」
「は?」
「えっと、コットンは肌に滑らすようにして、」

なまえが言葉で説明しようとするけれど全然わかんねぇしさっきからやることにダメだしばっかでだんだんイラついてきた。
なんだよ滑らすって。

「……」

言われてもわかんねぇし無言で手にしていたコットンを無理矢理なまえに渡す。

「え?」
「口で言われてもわかんねぇんだよ。ほら」

お前がやれ、と言葉にせずとも目線で察したらしいなまえがもごもごと言いにくそうに口を開く。

「…あの、いいんですか?」
「何が」

一度目線を俯けて、手にしたコットンを見ている。
さっさとしろと喉まで出かけていたけれど流石に飲み込んだ。

「いえ、なんでもないです」

失礼します、と言ってなまえが俺の方ににじり寄った。
コットンを持つ右手が俺の顔に伸ばされて、そっと頬に触れる感覚が妙にくすぐったいしなまえの顔が近くにあって思わず目を瞑る。
左の頬、右の頬、額や鼻と順番にコットンがあてられていく。
さっき滑らせると言われてピンとこなかったけれど、なるほど確かにスッと擦らずに絶妙な力加減で壊れ物でも扱うかのようだ。

「あとは指のお腹でぎゅっぎゅって、こう、化粧水を染み込ませるような感じで」

コットンは用済みなようで、なまえが自分の手を自分の頬にあてるようにして「こう」とやってみせてくれる。
両手を両頬にあてているのがなんだかおもしろくて不覚にも笑いそうになった。

なまえの真似をして化粧水、乳液、クリームと手順を踏んでその後はファンデーションを塗りたくられた。
女ってこんなこと毎日やってんの?
姉がいるとは言え、朝の準備を一部始終見ているわけではないから普通に驚いた。
そーいや風呂上がりにパックしながらドライヤーしてるの見たことあるしアイクリームやら酵素洗顔がどうとか騒いでんな。

「…摂津さん、お肌綺麗ですね」
「あ?普通だろ」
「ファンデ塗らなくてもよさそう…」
「お前も塗ってんの?」
「わたしは出かけるときは薄くメイクしますけど、普段はほとんどやらないです」

今日は日焼け止めとお粉だけです、と言われてお粉とは?と思ったけれど多分すぐそこに並べられた化粧品の中にあるどれかだろう。

「ふーん」

俯いた睫毛が長くて唇がふっくらと色付いていて。
頬はなんのトラブルもないしこんなに近くで見ても…って何考えてんだ。

一通りの工程を終えて「どーも」と伝えたら緩い笑みが返ってきた。
やっぱこいつのこの顔は好きじゃない。





「万里くんもなまえちゃんと仲良くなったみたいでよかった」
「は?」
「いつの間に打ち解けたの?」

衣装合わせを終えて化粧を落とした頃合いで監督ちゃんがニコニコと笑いながら声をかけてきた。
幸にはいじめるなと言われたのに監督ちゃんには打ち解けたように見えたらしい。
意味わかんねぇ。

「だって嫌いとか苦手だったら顔触らせるなんて絶対しないでしょ、万里くんは」




(2019.02.25.)




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