3.

「来月から公演始まります、よろしくお願いします」

そんな声が聞こえてくるのは天鵞絨町では日常茶飯事で、今日もどこかの劇団がストリートACTやチラシ配りをしているんだろうと特に気に留めなかった。

「お姉さん、演劇に興味ないですか?役者やりませんか?」

これもよく…ではないけれど珍しくはない誘い言葉だ。
けれど言われたほうが「いえ…」と断っているのにしつこく「とにかく観に来てください!これ俺の連絡先です」とか言ってんのが聞こえてきて、オイそれ目的変わってんだろ?と思わずそっちを見たらフラ高の制服を着た女子が絡まれていて、その女子が振り返ったら知っている顔だったものだから驚いた。
あいつO高じゃなかったのか、なんてことを思うくらいには頭は働いていたけれど。


「……」

関わっても良いことがないと考えなくてもわかる。
素知らぬふりで通り過ぎるつもりだったのに、聞こえてくる会話の雲行きが怪しすぎて立ち止まってしまった。

「あの、」
「連絡先だけでも、ね?」
「えっと…」

無理矢理なにか紙を渡されそうになっていて、無視して振り切ればいいのに断りきれないようでおろおろと歯切れが悪い。

「……おい、」

声をかけてしまったのは、こいつらがトラブってうちのカンパニーに何か影響が出たら面倒だから、それだけだ。

「えっ…摂津、さん」
「遅れて悪い。俺のツレになんか用っすか?」

待ち合わせていた体で絡まれていた女…なまえの腕を掴んで、男の方へ向き直る。
見下ろして睨みつけるように上から下まで視線を走らせればそいつは顔を青くさせて「いえ!」とだけ言ってチラシを抱えて去って行った。

あいつチラシはけさせないで劇団戻ったら怒られんじゃねーの、どうでもいいけど。

男の姿が見えなくなったところで、掴んだままだった手を離す。
咄嗟だったとは言えいがみ合っている相手に何してんだ。

「あの、ありがとうございました」

…すげー不服そうに言われても。
強く掴んではいないから痛むわけではないだろうに、掴んだ手をなまえが擦りながら唇を引き結んでいる。

「別に。つかあんくらい適当にあしらえよ」
「真剣に舞台のお誘いだったら悪いなぁと思ったら、なんか断りにくくて」
「いや、だったら渡してくんのは連絡先じゃなくてチラシだから」

初対面の時から兵頭に喧嘩売ってる俺には強気だったくせに自分に向かってくるもんには腰が引けるのだろうか。

「そうですよね…すみません」

つーか敬語だし、いつもより大人しくて俺を睨む視線もないし、調子狂う。

「…今日は、寮来んの?」

天鵞絨町に住んでいるわけではないらしいし、学校はフラ高だしこの駅に用事があるなら兵頭に会いに来たのだろうか。
向かう先が同じだとして、寮まで一緒に…というのはさすがに、こいつだって気まずいだろうし。

「今日は…この辺りのカフェにケーキ食べに行くんです」
「ふーん。一人で?友達いねぇの?」

なんて。
どうせ兵頭とだろうということは、この前よく一緒にスイーツを食いに出かけていると聞いたから想像がついた。

「ち、違います!十ちゃんとです」

さっきまでしおらしかったのにバッと顔を上げて、やっぱ今日も睨まれた。
全然怖くねぇけど。

「あっそ。じゃーな」
「はい…ありがとうございました」

二人でずっといる理由もないし、さっさと帰るべく足を踏み出したらもう一度礼を言われた。
いつもと違う態度でなんか調子狂うわ、と前髪をかきあげて溜息を吐いた…ら、背後からまたさっきと同じようなやりとりが聞こえた。

「芝居に興味ありませんか?劇団員募集してます!」
「いえ、わたしは…」
「もうどこかに所属してる?うちは兼業オッケーなんで見学だけでもどうですか?」
「えっと…」

……あいつ、適当にあしらえっつったのに。
寮に向かうはずだった足を止めて振り返る。
クソ、めんどくせぇな。

「おい…ちんたら歩いてんな」
「えっ」

絡んできた男にはさっきとは違い声はかけないし視線もやらなかった。
代わりになまえの手首をまた掴んでグイっと引っ張って大股で駅前から立ち去る。

「せ、摂津さん、」
「なに」
「あの、もう大丈夫だと思うので、手…」

俺が早足で歩けば、背の高さも足の長さも違うこいつは小走りになっていた。
上がりそうな息を整えながら後ろから俺を呼ぶ声が必死で、パッと手を離して「悪い」と謝るときょとんと目を瞬かせる。

「謝るんだ…」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
「聞こえてるっつーの!失礼な奴だな」

俺のことなんだと思ってるんだ。
チッと舌打ちをするのはもう反射というか癖みたいなもんで、だけどなまえはビビるような様子はなかった。
普段から兵頭といるからヤンキー耐性はついているんだろう。
いや、別にヤンキーなつもりは自分ではないんだけど。

「…待ち合わせ、どこ」
「え?」
「そこまで付いてってやるよ、一人にしたらまた絡まれそうだから」
「いやいや、大丈夫です!今日はたまたまで」
「いーから。もしお前になんかあったら俺が寝覚め悪ぃんだよ」

俺が折れないことを察したのだろう、待ち合わせ場所はカフェの前だと店名を小さな声で口にした。

「あー、あそこな」
「知ってるんですか?」
「行ったことある」
「えっ」
「なんだよ」
「…ヤンキーなのにカフェ…」
「いや、ヤンキーじゃねぇし」
「でも幸ちゃんが、ネオヤンって」
「ってかそれ言うなら兵頭だろ、あのナリでカフェとか」

話しながら歩き出して、なまえが付いて来るのを目で確認してずんずんと足を進める。
…なんでこいつと二人で歩いてんだと思うけれど、自分で送ってやると言ってしまったし。
ちょこまかと足を動かすなまえを横目で見ながら何やってんだ、とまた思う。

「十ちゃんは、見た目は少し怖いかもしれないけどすっごく優しいんです」

見下ろしていた横顔が、柔らかく緩んだ。
俺には向けない表情だ。

「…あっそ」

カフェが見えてきて、その場にそぐわない見た目のデカい男がそわそわと落ち着きのない様子で店の前にいるのが見えた。

「じゃ、俺はここで」
「十ちゃんに会わないんですか?」
「寮で毎日顔合わせてんのにこんなとこでまで会いたくねーよ」
「…本当に仲悪いんですね…」

仲悪いっつーか、気に入らねぇっつーか。
本当なら兵頭のツレのこいつともこんな風に話す予定はなかったんだけどな。

「じゃーな」
「はい、ありがとうございました」

ぺこ、と頭を下げられて、それに返事をするように右手をあげてしまってハッとした。

なに手ぇ振ろうとしてんだ、別に送ってやったのはあいつのためじゃなくて万が一の時に俺が怒られたくねぇからで。
それ以外の理由なんて何もない。

少し足を進めたところで「十ちゃん」と兵頭を呼ぶ声が聞こえた。
俺に向けるトゲのある声とは全く違う、柔らかい温度を持った声色。
肩越しに店を振り返ると、ポケットに手を突っ込んでいたのであろう兵頭がなまえに向けて手を振って口角がわずかに上がっている。
気色悪ぃ顔しやがって…と急いで視線を逸らしてしまった。
吐いた溜息もなぜか出た舌打ちも、誰の耳にも届かない。


(2018.12.02.)



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