▼ 26.本当は世界中の人に、
高校二年生になってすぐ、部活にも新入部員が入ってきた。
今日は身体測定と体力測定のために名前と測定項目の書かれた紙をバインダーに用意して、一年生くんたちと向き合う日です。
「じゃあ次の人、五色…えっとごめんね、下の名前なんて読むの?」
「はい!ツトムと読みます!」
「工って書いてつとむって読むんだぁ、珍しいね」
つとむくんかぁ、と言ったら五色くんの顔がボンっと効果音がつきそうなくらいに赤くなった。
「あ、ごめんね、慣れ慣れしかったよね」
「いえ!ツトムとお呼びください!」
そう言うと五色くん…工くんはびしっと背筋を伸ばした。
「あはは、じゃあ工くんで」
「はい!」
五色工くん、良い子そう!
白鳥沢男子バレー部は強豪校で毎年のように全国大会に進んでいるから、他県からも有望な選手が入って来る。
今年も新入部員はたくさんいて、まずはみんなの名前と顔を覚えることが大変なのだけれど工くんとはこんなやりとりがあったから一発で覚えられた。
「先輩、おはようございます!」
「工くんおはようー」
「今日もよろしくお願いします!」
「うん、こちらこそ」
工くんはとっても礼儀正しい。
毎日律儀に挨拶をしてくれて、その度にわたしは自分の顔がほころぶのがわかった。
後輩はみんなかわいいけれど、工くんみたいに接してくれる子はやっぱり殊更かわいく感じてしまう。
「…何ひとりで笑ってんの」
「え、わっ白布!おはよう」
「はよ。なんか良いことあった?」
「うんー、工くんが今日も良い子でかわいいなぁ、と」
「つとむ…って誰」
眠たそうに細めていた白布の目が丸く見開かれた後、いつもよりも低い声で聞かれる。
入部してまだ数日だし、たくさんいる新入部員の下の名前まで覚えていないのは仕方ないけれど、そんなに顔をしかめなくても。
「五色くんだよ。下の名前、工事の工って書いてつとむって読むんだって」
「…あぁ、あのうるさい一年。もう仲良くなったの」
「うん!」
「ふーん」
低血圧らしい白布は、朝は大体テンションが低い。
昼間だって無駄に騒ぐようなタイプではないけれど、今日はいつも以上に機嫌が悪そうだ。
「白布、もしかして寝不足?」
「いや別に。なんで?」
「眠そうだなって。無理しないでね」
綺麗な顔をしているから(本人に言ったら怒りそうだから言ったことはないけれど)不機嫌そうな顔をしていると迫力がすごい。
「…みょうじもな」
「うん、ありがとう」
それでもいつもわたしのことも気にかけてくれるんだよなぁ。
一年生も他の部員に混ざって通常の練習に混ざるようになったのだけれど、中学生と高校生の体力はかなり差があるらしい。
去年白布も大変そうだったもんなぁ。
わたしも、マネージャーだけれど部員数の多さに比例して仕事量も中学より格段に増えて四苦八苦していたっけ。
部活の休憩時間、みんなにタオルとドリンクを配って回るけれど一年生の大半は倒れ込むようにへばっていた。
「はい、水分とってね」
「あざす…」
「ドリンクどうぞ」
「どうも…」
「工くん、起きられる?」
「はい…ありがとうございます…」
体育館の床とこんにちはしている子たちも律儀にお礼を言ってくれる。
工くんはギギギ…とブリキみたいにこっちを見てくれたけれど、みんなしんどそうで心配だ。
「うーん……」
「みょうじ?どうした?」
「白布、お疲れさま」
汗を拭いながら声をかけてくれた白布に笑いかけたら、もう一度「何かあったか?」と首を傾げる。
そんなに考え込んでる顔してたかな?
「何かあったわけではないんだけど」
「うん」
「…去年、白布も練習きつかった?よね?」
「あーまぁ」
「そうだよねぇ」
けどこればっかりはわたしがどうこうしてあげられるものではないからなぁ…なんてぶつぶつ言っていたら白布は合点がいったようで「あぁ…」と隣で息を吐いた。
えっいまの溜息ですか?
「みょうじはいてくれるだけでいいって前に言っただろ」
「う…でもそれは、白布だから…そう言ってくれるだけで」
言いながら尻すぼみになってしまう。
白布がわたしを特別扱いしている、みたいなそんな言い方を自分でしてしまった。
部活のときはみんなと同じように接してくれているし、わたしだってそうしているのに。
もにょもにょ、と口籠っていたら白布がぱちぱちと瞬きをする。
恥ずかしくなって俯いたらぽんっと頭に何かが乗った感触がして、考えなくても白布の手だということはわかった。
「そうかもな」
ぱっと顔を上げたら、白布が柔らかく笑っていた。
手のひらはすぐに離れてしまったけれど励まそうとしてくれた気持ちが嬉しい。
「白布の役に立ててるなら、嬉しい…です」
「おう」
これだけで頑張れるなぁ、なんて緩む顔を両手で隠そうとしたら、体育館からふらふらと出ていく後ろ姿を見つけた。
あの綺麗なおかっぱ頭は、工くんだ。
「白布、ごめんちょっと行って来るね」
「…あぁ」
うちの練習はきつい。
慣れないうちはさっきも言ったようにへとへとになるし、マネージャーであるわたしでさえ夜はベッドに入った瞬間、眠りに落ちた記憶がない…というくらい即寝してしまったものだ。
床に倒れ込んでいた工くんが覚束ない足取りで外に、ということは、相当しんどいのだと思う。
行かないほうがいいかも、と思うけれど心配だから。
もし一人で倒れてしまったら大変だ。
工くんの後を追いかけて行くと、水道で顔を洗っているところだった。
「…はぁ……」
「工くん、新しいタオルどうぞ」
「うわぁ?!っなまえ先輩!」
「わ、ビックリさせちゃった」
ごめんね、とタオルを差し出したら「ありがとうございます」といつもより大分ボリュームの小さい声でお礼を言ってくれる。
「大丈夫?」
「はい、全然大丈夫です」
「そっか」
…まぁ大丈夫かと聞かれて、大丈夫じゃないと言う人はなかなかいないよなぁ。
「これ飲んで、ちょっと日陰で休もうか。体育館は熱こもってるし」
「…はい」
持ってきていたスクイズボトルを渡して体育館の日陰に誘導するとしっかりした足取りで素直に付いて来てくれたからホッとする。
「はい、座って。ドリンク飲んでね。吐き気はない?」
休憩時間はあと数分。
わたしもずっと工くんに付きっきりでいるわけにもいかないから、「大丈夫です」という返事を聞いて座りこまずに体育館に戻った。
しばらくしてから体育館に入ってきた工くんが、さっきよりもだいぶスッキリとした顔をしていてこっそりと息を吐いた。
「なまえ先輩!今日はありがとうございました!」
「工くん、いいえー元気そうでよかった」
「もうすっかり元通りであります!」
「うんうん、無理はしないでね」
練習が終わったタイミング、自主練に残る人たちに付き合おうと準備をしていたら工くんがわざわざお礼を言いに来てくれた。
ピシっと姿勢を正している工くんを見てつい顔がほわっと緩む。
「みょうじって五色と仲良いんだな」
「川西くん。うん、よく話すよねー工くん」
「はっはい!なまえ先輩にはとても良くしていただいています!」
「へー。工くんになまえ先輩、だってよ。白布」
「……なんで俺に振るんだよ」
近くにいた川西くんに仲が良いと言われて、傍から見てそう思われるってなんだか嬉しいなって工くんのほうを向いてにっこりと笑いかければ工くんも肯定してくれた。
毎年新しい出会いがあって、新しい関係を作り上げるのはやっぱりドキドキする。
工くん以外の一年生もみんなかわいいんだよなぁ。
「みょうじのこと名前で呼ぶのって、今まで天童さんくらいだったよな」
「あぁ、そういえばそうかも?」
「みょうじも下の名前で呼んでる奴なんて今までいなかったし」
「えっ」
「おいそこで顔赤くさせたら後でやばい目に合うぞ、五色」
「煽ってんのは太一だろ…」
「川西くん?煽るのはやめてあげて」
「みょうじは意味もわからずに言うのやめろ」
よくわからずに川西くんに言えば頭に白布の手刀がヒットした、もちろん痛くない程度の力だ。
「五色、みょうじに惚れるなよ」
「えっ急に何を言い出すの川西くん」
「こういうのは早めに言っといたほうがいいぞ、白布」
「おい、太一…」
「ど…どういうことでしょう…?」
ごくり、と工くんが唾を飲み込む音が聞こえた。
「お前の懐いてるなまえ先輩は、白布のもんってこと」
な?と川西くんがわたしと白布のほうを向くけれど、この状況でなんて言えばいいのかな、と白布の出方を窺おうと表情をチラっと見る。
「…白布……?」
名前を呼んだら、唇をきゅっと引き結んだ。
もしかして機嫌悪い…?
わたしにはいつもすごく優しいのだけれど、部内ではけっこう怖い顔をしていることがあって、今も綺麗な顔を歪ませている。
「五色、」
工くんの名前を呼んだ白布の腕が、わたしの背後から肩を通って首の前に回された。
ん?なんかこれ拘束されているみたいなんですけど?
「そういうことだから」
回された腕に手を添えたら白布がそんなことを言うから思わずぎゅっと力が入ってしまった。
ぶわっと顔に熱が集まったのが自分でわかる。
一応部活中だというのに、この人はなんてことを言うのだろうか。
いや、事実なんだけど。嬉しいんだけど。
練習は終わっているとは言え、自主練をする選手たちはまだたくさん残っていてそのほとんどがこっちを見ているしものすごくざわついている。
「〜〜〜っ白布!」
「あ、悪い」
名前を呼んだら苦しかったか?と言って腕を離してくれたけど、そうじゃない。
バッと振り返って一言、何か言おうと思うけれど白布の顔を見上げたら何も言葉が浮かんで来ない。
だって、妙にスッキリしたような顔をしてるんだもん。
「なんでそんな言ってやった、みたいな表情してるの…」
工くんは別にわたしのこと、その、好きになるとか、そういうんじゃ絶対ないのに。
「お二人は、お付き合いされているんですか?」
「う…うん」
ポカンとしていた工くんが言葉を挟んできて、否定するのは嘘になるからどもりながらも肯定したらなぜか工くんの顔が赤くなった。
ボンって効果音がつきそうなくらいな勢いで。
それを見たらやっぱり恥ずかしくて、白布に文句を言いたいのにまた頭の上に乗った手のひらが温かくて優しくて、なんだか満足げに笑いかけてくるものだから口をつぐんでしまった。
その横で川西くんがニヤニヤと笑っていて、そもそも彼が余計なことを言ったのが原因だったから痛くない程度に足を踏ん付けてやった。
(2018.10.02.)