1.

喧嘩に負けたのは生まれて初めてだったし、負けた相手の女に「二度と十ちゃんに近付かないで」ときつく睨まれたのも初めてだった。
兵頭の野郎、女に十ちゃんなんて呼ばれてんのかよ。
なんてことに考えが及んだのは、兵頭に張り合う為に入った劇団でその女と再会したときだった。


「十ちゃん、このダンボールこっちでいい?」

劇団のオーディションを難なくパスし、寮に入ることが決まったまではよかった。
なのに、どうして俺がよりによって兵頭と同室なのだ。
最悪だ。
不機嫌を隠す気などさらさらなく、入寮の日に部屋の扉を乱暴に開けた途端に女の声がするなんて誰が想像しただろう。

「あぁ」

女がダンボールを抱えたままニコニコ締まりなく笑っていて、それに返事をする兵頭の顔も心なしかいつもより緩んで見えて吐き気がした。

「……」
「あ、同室の方ですか?ってあれ、どこかで会ったことありましたっけ…?」

無言で部屋の入り口で立ち尽くしていたら俺に気付いた女がこちらに愛想良く声をかけてきて首を傾げた。
どこかでって、ふざけんなよ。

「なまえ、こいつには挨拶なんてしなくていい」
「えっでも」

チッと舌打ちをしたらなまえと呼ばれた女がぎょっとした顔をして、自分の顔が歪むのがわかった。

「おいてめぇ女連れとか余裕じゃねぇか」

いい身分だなぁと続けると、女が「あっ」と声を上げる。

「その声、この前のヤンキー…?こんなとこまで十ちゃんのこと追いかけてきたの?!」

そう言うと兵頭の前に立ちふさがるように両手を広げた。
声を聞くまでわからなかったのだろうか。
たしかにあの時は暗かったけれど、いちいちムカつく女だ。
もう二度と近付くなと睨まれた初対面のときと同じ表情、全く迫力がないその顔を、この前は地面に倒れ込んだ状態で見たけれど今日は見下ろして鼻で笑ってやる。

「はっ、女に守られてるとかダッセェ奴」
「んだと…」
「十ちゃんに返り討ちにされたくせに」

俺に言い返そうとした兵頭を女が細っこい腕で制しながらまたそんな事を言うからギリっと拳を握った。
女を殴る趣味はないから振り上げた拳で壁を力任せに叩きつけると女の肩がビクッと揺れた。
こんくらいでビビるくせに俺と兵頭に間に入るとか馬鹿かよ。

「ちょ、」
「胸糞わりぃ」

こいつらが揃った状態で部屋の荷解きなんて出来るか。
持っていたカバンを肩にかけ直して部屋を出る。

「どこ行くの」
「うるせーな、関係ねぇだろ」

今日中に整理してしまいたかったのに予定外の邪魔が入ったせいで終わるものも終わらなさそうだ。
談話室にいた監督ちゃんに「出かけてくる」と声をかけたら「夜ご飯までには帰って来てね」とか、ガキじゃねぇんだから。
ただ夜は新生秋組の歓迎会をやるから絶対に参加しろと前々から言われていたし、「わかってる」とだけ返して乱暴に寮の扉を閉めた。


時間を潰すのは大抵ゲーセンで、しばらくそこで憂さ晴らしみたいに対戦相手をぶっ倒して行く。
少し前まではこれを生身の人間相手にやっていたけれど劇団に入るならケンカは厳禁だと監督ちゃんにきつく言われた。
そろそろあの女は帰っただろうかと思い返すだけで腹が立つ先ほどの光景が頭に浮かぶ。
時計を見ながらどうして俺があっちの都合に合わせなきゃいけないんだとまた苛立ちが募った。

何をしていても解消されない胸糞の悪さは、あの女に会うもうずっと前から消えずに在るのだけれど。



噂に聞いた兵頭に喧嘩を売りに行った日、兵頭は女と歩いていた。
調度良い、女の前で恥をかかせてやろうと暗い道で声をかけて殴りかかったけれど気が付いたら地面に臥せっていたのは俺の方で、悔しいなんてものではなかった。
俺を見下ろす兵頭の顔も、「二度と近付くな」と震える声で俺を睨みつけた女の姿も、頭にこびりついている。

なのにあの女。

部屋に入った俺の姿を見てへらへら笑いかけてきやがった。
あーくそ、むかつく。
笑っていた顔が、俺の声を聞いた途端に歪んだ瞬間がまた脳裏に浮かんで腹の底がぐらぐらと苛立つ感覚がした。





「あ、万里くんおかえり!」
「ただいま」
「ご飯の前に、万里くんちょっと右手出して」
「はぁ?なんでだよ…って、おい」

寮に帰るなり監督ちゃんに右腕を掴まれて、まじまじと見られる。

「なんだよ」
「んー怪我はしてないね、よかった」
「はぁ?」
「出掛ける前に部屋で女の子に会ったでしょう?その子が万里くんもしかしたら右手を怪我してるかもしれないって」

でもなんでなまえちゃんそう思ったんだろう?と監督ちゃんが俺の手を解放して首を傾げる。
あいつ、俺が壁殴ったことは言わなかったのか。

「大事な役者さんだから、ってなまえちゃん言ってたよ。良い子だよねぇ」

良い子っつーかお人好しかよ。

「なまえちゃんとはまた寮で会うと思うから、仲良くしてね」
「…なんで俺が。てかまた来んのかよ、うぜーな」
「はいはい、そういうこと言わない」

仲良くなんて死んでもしねー、とか言ったら監督ちゃんの話は長くなりそうだから言わないけれど、出来ればもう顔を合わせたくないとこの時の俺は本気で思っていた。



(2018.09.09.)




万里くんお誕生日おめでとうございます!
内容関係なくてごめんなさい。
のんびり書いていきたいです。


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