5.

フラワーセレモニーに表彰式、エキシビジョンの練習。
その合間にインタビューがばんばん入っていてスケジュールは全く余裕がなかった。

首に金メダルをかけて、ナショナルジャージを着て各テレビ局の特設スタジオをハシゴするのはなかなか大変だ。
だけど各所でいただく大きな花束を抱えて「おめでとうございます」と言われれば自然と笑顔がこぼれた。

こんな経験、人生で何度あるかわからない。
改めてオリンピックは特別なのだと思った。
グランプリシリーズや世界選手権も祝われはするけれど、ここまでではないもん。

「今一番やりたいことはなんですか?」と聞かれて寝たいですと素直に答えるわけにもいかず、家族に会いたいと答えた。
これだって本心だし、家族と口にしたときユーリの顔が浮かんだのは間違っていないと思う。


あくびを隠すこともなく大きく口を開けながら選手村の自分の部屋に帰ると、部屋のダウンライトが点いていた。
今朝部屋を出るときに消し忘れたわけではないし、そもそも朝はダウンライトなんて使っていない。
またベッドに潜り込んでるのかなぁと思ったけれど、ベッドの手前にあるソファの上に丸まっている何かが、もぞりと動いた。

何か…改めユーリは寒そうに身を小さくしてソファで寝入っていた。
手には携帯が握り締められている。

(待ってくれているうちに、寝ちゃったのかな)

「ユーリ、風邪ひくよ」
「…ん」
「起きて、ちゃんとベッドで寝よ」
「……」

長い睫毛に縁取られた瞳は閉じたままで、起きる気配がない。
そりゃあ疲れてるよね。
男子シングルは女子シングルよりも数日早く競技が終わったけれど、その分休めているというわけではなくて取材に追われていたみたいだ。
色素の薄い睫毛と同じ色をした髪を撫でると、さらさらと手触りのいい髪の毛が指の隙間をすり抜けて行く。

「ユーリ」
「ん…なまえ…?」
「あ、起きた」
「やべぇ寝てた」
「ごめんね、待っててくれたんだよね」

目をこすりながら身を起こす。

「あぁ…男子の試合終わってからあんま話す時間なかったから」
「うん」
「…ちょっと顔洗ってくる」

のそ、と立ち上がってぺたぺたと洗面所に歩いて行ってしまった。

ユーリが戻ってきたらわたしもシャワーを浴びないと。
正直このままベッドに飛び込みたいけれど、そんなことしたら明日の自分が後悔するのは目に見えている。

「あ、おかえり」
「おう。なまえもおかえり」

ポタポタ落ちる水滴をタオルで拭いながらユーリが戻ってきた。

「帰ってきたばっかのとこ悪いけど、ちょっと出られるか」
「え、出掛けるの?今から?」
「ちょっとだけな」
「いいけど…どこ行くの、着替えたほうがいいかな?」

こんな時間に出掛けようなんて夜食でも食べたいのかな、それだったら着替えなくちゃ…といまの自分の服装を見る。
めちゃくちゃカジュアル。
というかナショナルジャージ。

「あー…いや、まぁ大丈夫。屋上行くだけだから」
「あっそうなの?何かあったかい飲みものとか持って行く?」

夜景見るなら寒いよなぁと思って提案したけれど、いらないと返される。

「じゃあマフラーだけ持って行く」
「おう」



夜中だからこんな時間に出歩いている人は宿舎内にはいなくて、屋上までは誰にも会うことなく辿り着いた。

外へ続く扉を開けたそこには澄んだ冬の星空。
冷たい風が吹いていて、ユーリとわたしの髪を揺らした。

「わぁ、綺麗」
「あぁ」

街を見下ろせる場所まで行こうと歩き始めたら、ユーリに右手を取られた。
さっきまで彼が自分のポケットに入れていた手は温かくて指の間に入り込む体温がくすぐったい。
肩越しに彼を振り返ると、きゅっと眉間のあたりに力が入った表情。

「…ユーリ?」

いつも二人きりのときは柔らかい表情をして気の抜けたような雰囲気を纏っていることが多いのに、振り返った先にあったユーリの顔はどこか張り詰めたように不安そうで、儚さすら感じる。

「どうしたの?」
「いや…」

繋いだ手に力が込められて、先を歩いていたわたしの隣にユーリが並んだ。
同じ歩幅で一番眺めの良いところまで移動するけれどその間はお互い無言だった。
変なの、と不思議に思って顔を覗き込むように窺う。
言葉を探すみたいに目を泳がせたユーリと視線が絡んでエメラルドグリーンの瞳がゆらゆらと揺れた。

「色々考えたんだ」
「?うん」
「タイミングとか、場所とか。だけど何が一番良いか全然わかんなくて」

全然わからないのはこっちなんだけど、とは思うものの言いたいことがあるみたいなら大人しく聞こう。
何か大切なことを言われるのであろうことはなんとなくわかるから。

向かい合う体勢になるとユーリがきゅっと唇を引き結んだ。
なまえ、と呼ぶ声と同時に吐いた息が白い。


「結婚しよう」


繋いだ手からユーリの緊張が伝わってきて。
目の前がチカチカと、まばたきなんてしていないのに煌めいて見える。
一瞬置いて聞き慣れたユーリの声が紡いだ言葉の意味がじわじわと身体に染み込むみたいに広がった。

「…え、」
「俺と一緒に生きて欲しい」

ユーリの両手に力が込められて、わたしの両手を優しく包む。

「…今すぐに、なんて言うつもりはないけど」

わたしが返事を出来ずにいたら言葉を重ねてくれるけど、違うんだよ、悩んでるとか迷ってるとか、そういうんじゃないんだよ。

「なまえがいない世界なんて考えられなくて、お前がいないとまともに寝ることもできない」

数日前にユーリが一緒に眠ってくれとわたしの部屋にやってきたことが頭をよぎる。
二人で体温を分け合うように眠るのは、いつからかわたしたちの日常になっていた。

視界が滲む、泣きそうだ。
だけど目の前のユーリの瞳にも涙の膜ができていて今にも溢れそうだった。

ちょっとごめん、とユーリが呟いて繋いでいた手が離れていく。
急に寒さを思い出したように風が冷たくて、ユーリがいない世界なんて、わたしだって。


ジャージのポケットに手を入れて、四角い小さな箱を取り出した。
その箱の中になにが入っているのかは予想がついてしまう。
ユーリが箱を差し出す動作がひどく神聖なことをしているように見えて、彼の手に収まる箱の中にはキラキラとわたしには眩しすぎるくらい綺麗な指輪がこちらを向いていた。

「なまえ、」

今まで数えきれないくらい何度も呼ばれた名前。
ユーリの声で紡がれると特別な色がついたみたいに聞こえる。

「俺と結婚してください」
「……はい」

やっと絞り出した声は我ながら小さくて消え入りそうで、だけどユーリの耳にちゃんと届いたみたいで、張り詰めていた表情がふっと緩んだ。
と思ったら手首を掴まれてグイッと引き寄せられて、気が付いたらユーリの腕の中にいた。

「やった、ありがとう」
「うん、わたしも、ありがとう」
「なまえ、」
「うん」
「…なまえ」
「うん、なぁに」


ユーリと恋人になってから、二度のオリンピックを経験した。

スケーターとしてはベテランなんて言われる歳になったけれど、一般的な生活とはかけ離れた道を歩んでいる自覚はあって。
結婚や人生のイベントとされることは、いつかするのかなぁなんてことは考えても現実味を帯びたことはなかった。
ユーリは昔から隣にいて、家族みたいで、結婚なんてしなくてもこれからも一緒にいたいし、いてくれると疑ったことなんてない。
だけどこうやって確かな誓いみたいな約束を交わすことは、とても心をあたたかくしてくれた。


「愛してる」


抱き締められて抱き締めて、お互いの存在を確かめるみたいなハグをした。
温かくて嬉しくて幸せで、愛してるの言葉だけで世界はこんなにも煌めいて、ユーリといるこの先もずっと褪せることはないのだろう。



(2018.09.07.)



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