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着る服や髪型に悩みに悩んで、意を決して出掛けるぞという段階では靴にも迷ってしまった。
時間前に着いたら張り切っているみたいで恥ずかしいなぁと元々ぴったりに着く予定だったから、結果的に待ち合わせ場所である駅に着いたのは十二時を少しすぎた頃だった。

駅が見えてきたあたりで、背の高い男の子が立っていることには気がついた。
真琴は時計と携帯を交互に見ながら待っていて、ふと顔をあげたときにパチリと目が合う。

「なまえ!」

ふわっと柔らかく笑って目尻が下がる、この優しい笑い方が好きだった。

「…おはよう、遅れてごめんね」
「大丈夫だよ。行こう」

三月ももうすぐ終わろうとしている季節、昼間なら大分暖かくなってきたのに真琴の吐いた息は白くて、鼻は少し赤い。
駅の改札へ足を進めた真琴の横に並ぶ。

「真琴、どこ行くの?」
「んーなまえも行ったことあるところだよ。はい、切符」
「えっあ、ありがとう…」

はいっと渡されたのは電車の切符。
先に買っておいてくれたそれには電車代がいくらか明記されているけれど、それだけで行先がわかるわけがなかった。

「真琴、お金…」
「いいよ、それくらい」

断られるだろうな、とは思ったけれどやっぱりで、カバンから出したお財布はそのまま仕舞うことになった。
ガタンガタン、と電車が音を立てながらゆるやかに進む。
空いている車内で隣に座るけれど必要最低限にしか言葉は交わさなくて、少し居心地が悪かった。

「なまえ、次の駅で降りよう」
「わかった…、もしかして行き先って」

下車駅を告げられて頭にすぐに浮かんだところがひとつ。
この駅で有名な場所と言ったらここだし、岩鳶に住んでいる人だったら一度はきっと行ったことがある。

「水族館…?」

岩鳶高校の課外授業でも行ったその場所を言えば、真琴がまた優しく笑った。



世間の幼稚園や学校も春休み中なこともあって水族館は混んでいた。
前に真琴と来た…というか学校のみんなで来て真琴と二人で回ることになったときは特別空いていたのだなぁと思う。

「俺、ここ来るの久しぶり」
「わたしも…一年生のとき以来だなぁ」

人の多さに驚いたけれど、小さい子供が多いから水槽は後ろのほうからでも見ることができた。
真琴は小学生の妹と弟がいるし、SCで子供たちのコーチもしていたから子供を見る目は人並み以上に優しいと思う。
隣を見上げると頬を緩めている真琴がいて、なんだか嬉しくなった。

…そんなことを考えていたら、横からドンっと軽い衝撃があった。

「わっ」

前を見ずに走ってきた子供にぶつかられたみたいで、いくら相手が子供でも油断しているときに体当たりをされたらよろけてしまう。
真琴のほうへ一歩踏み出して、わたしの肩と真琴の腕がぶつかった。

「ご、ごめんね真琴」
「いや…大丈夫?」
「うん、わたしは平気。僕、大丈夫だった?」

わたしにぶつかった男の子は自分のおでこを擦っている、かわいい。
問いかけているうちにその子のお母さんがやってきて「すみませんでした!」と頭を下げられた。
少しぶつかっただけだし全然大丈夫ですよ、と返して男の子も平気そうだったから真琴の袖をくいっと引っ張ってここから移動しようと伝えた。

真琴の袖を掴んだまま人の比較的少ないエリアに来ると、ようやく一息つくことができた。

「ふぅ…やっぱり鮫とかエイとか大きいお魚のエリアは子供に人気なんだね」
「そうだね、ぶつかったところ本当に平気?」

真琴が少し身をかがめてくれて顔を覗き込まれた。
ぐっと近付いた真琴の顔に思わず身体を後ろに引いてしまったところで、彼のコートの袖を掴んだままなことに気が付いて慌てて離した。

「う、うん。平気だよ」
「よかった」

真琴が笑うと胸がぎゅっとなる。
せっかく何もなかったみたいに一緒に歩けるようになれたのに、これ以上もう何も望まないのに、昨日の真琴の告白みたいな言葉や抱き締められた腕を勝手に思い出しては胸が苦しかった。

ふわふわと浮いているクラゲたちを見つめるけれど、その輪郭はなんだかぼやけている。
水槽の前には座れるようにモニュメントのようなベンチが置いてあって、「ちょっと休憩する?」と言う真琴の言葉に頷いて二人で並んで腰をおろした。

「…」
「……綺麗」
「うん」

クラゲエリアは大人のお客さんが多くて、静かにゆっくりと見ていく人ばっかりだ。
お客さんたちの話し声は控えめだけれど全くの沈黙ではないから、わたしも真琴も何も発さないけれど嫌な感じはしなかった。

「なまえ、四時からイルカショーだって」

パラパラと館内パンフレットを見ていた真琴が顔を上げて言う。
前に来たとき、イルカショーは別々に見たんだっけ。

「…見たいな」
「うん、俺も」

十五分前からイルカショーのプールへ入場ができるらしくて、その時間までまたのんびりと館内を回ることにした。
今日会ったばかりの時はどこに行くんだろうとか、話をさせてと言った真琴がいつ切り出してくるんだろうかとか、そわそわと落ち着かなかった。
まだ少し緊張はあるけれど悠々と泳ぐ魚たちを見ていたらわたしの心も徐々に凪いできた気がする。

「そういえば、桐嶋夏也さんと芹沢尚さんって知ってる?」
「…うん、中学の先輩だけど。なまえ知り合いだったの?」
「大学の受験日に水泳部のプール探してたら桐嶋さんが案内してくれて。そこで芹沢さんとも挨拶したの」
「えっじゃあ同じ大学になるってこと?」
「そうそう。二人ともすごく良い人だったなぁ。真琴によろしくって言ってたよ」

受験が終わってから真琴と話す機会はあったのにこのことを伝え忘れていた。

「そっか、懐かしいなぁ」

真琴が目を細める。
中学から会ってないみたいだし、そりゃ先輩たちに会いたいよね。

「なまえ、大学でもマネージャーやるんだよね?」
「うん、そのつもり」
「じゃあ尚先輩たちはなまえと同じ部活かぁ。羨ましいな」

そう言ってすぐに真琴があっと呟いて口を手で覆った。

「大会とかできっと会えるよ」
「え、うん、そうじゃなくて…」
「?」
「…いや、なまえのそういうところ良いと思うよ」
「えっなに?前向きなところ?」

わたしそんなにポジティブなタイプじゃないんだけどな、と首を傾げたら苦笑いされてしまった。



イルカショーは一日に何回か行われるけれど四時の回が本日最後のショーだ。
子供連れの家族や、カップルたちに囲まれながらわたしと真琴もイルカたちに拍手を送る。
イルカショーのお姉さんがイルカたちに指示を出して、それに従ってイルカが縦横無尽にプールの中を泳いだり、飛び跳ねたり。

「綺麗…」

かわいいなぁ、すごいなぁ、なんて子供みたいな感想ばかり浮かぶけれど口をついて出たのはクラゲを見ていたときと同じ言葉だった。
イルカが舞ったときの水飛沫に光が反射してキラキラと煌めいて、なぜか涙が出そうになる。

ふと隣を見ると真琴は瞳を輝かせて穏やかな表情を浮かべていた。
わたしの視線に気が付くとこっちを見て「ん?」と優しく微笑む真琴になんでもないよ、と返す。


今までのことだってなんともないよって、そう言えたらいいのにな。



(2018.07.09.)



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