55

腕の中でなまえが息をのんだのがわかった。


プールサイドでなまえが山崎くんに引っ張られるように連れて行かれて、それを黙って見送ることができなかった。
頭を撫でられて、脇腹あたりにも触られていて、二人がそばにいればいいとなまえから離れたはずなのにその様子を目の当たりにしたら胸がはちきれそうで。
山崎くんがわざとやったのだということは、追いかけるようにシャワー室に足を踏み入れたところでようやく気が付いた。

なまえを抱き締めた手を緩める。
どんな反応をされるのか怖くて仕方がないけれど、俯いたままのなまえは何も言わない。
プールからあがってろくに身体を拭かずにここに来てしまった俺はまだびしょ濡れで、髪から落ちる水滴がなまえの服にシミを作っていく。
なまえの髪の毛やパーカーもTシャツも俺が抱き寄せたせいで濡れてしまっていた。

「ごめん、濡れちゃったね」
「…えっあぁ、うん。大丈夫だよ」
「着替え持ってる?」
「着替えは…ないけど、更衣室のドライヤーで髪乾かしたら服も一緒に乾くと思う」

だから大丈夫、と俯いたままで言うなまえの表情はわからない。

ここでまた何もなかったみたいに、何も核心的なことは言わずになまえの肩に置いた手をどかして自分の気持ちを手のひらの中で握りつぶすことだってできる。

だけど。

「なまえ」
「は、はい」
「こっち見て」
「……」

迷うように顔を上げたなまえの瞳に俺が映る。
目が合うと、じわじわと涙が溜まっていって泣かせたいわけじゃないのにと今まで何度思ったかわからないことをまた思った。

「俺…この数ヵ月ずっと考えてて」

何を言うべきなのかは全くまとまっていないけれど、伝えたいことはひとつなのだということはいつからかわかっていた。
なまえの反応は正直怖くてこの想いを受け止めてくれる保証なんてどこにもない。
あんな風に傷付けておいて今更何を、と罵倒されたって仕方がないことをした。

ぐっと手に力を入れるとなまえの唇がきゅっと引き結ばれた。

…と、同時に、シャワー室の外から俺の名前を呼ぶ声が飛んできた。

「まこちゃーん?」
「っ、渚?」
「こんなとこにいたの!リレーやるからまこちゃんも泳ごうよ!」

ひょこっと顔を出したのは渚で、そこでようやくなまえの肩に置いていた手を離すことができた。

「あれ…なまえちゃん?」
「ま、真琴、リレーだって。行かないと」
「ごめん、僕もしかして邪魔した…?」
「渚くん!違うから、ね、真琴」
「えっうん…ごめん渚、すぐに戻るから先に行っててくれる?」

渚が申し訳なさそうな顔でわかったと言って戻って行く。
先に行ってと伝えたときになまえが小さく「え?」と呟いた声はしっかり聞こえていた。
本当は渚と一緒にここを去りたかったのだろう。

なまえの手をとると、ビクっと肩が揺れた。

「…今度ちゃんと話させて」
「話って、」
「明日って何か用事ある?」

困ったように眉を下げて俺の顔を見上げて「…ないよ」と答えてくれて、内心断られたらどうしようかと思っていたからホッとする。

「じゃあ明日、デートしよう」
「、え?」
「十二時に…なまえの家の最寄り駅待ち合わせでいい?」
「う、うん…」

戻ろう、と手を離してシャワー室の出入り口へ向かうと、なまえも俺の後ろから付いて来る。
まだ心臓はばくばくとうるさい。
触れていた手が熱かった。








凛の壮行会は無事に終わった。
せっかく浮かべたかわいい浮輪たちも最後のほうはプールの端に追いやられていて、本気のレースを繰り広げ出すみんならしさに笑ってしまった。
さっき濡れた髪の毛も服も、その様子を江ちゃんと眺めているうちに乾いた。
前髪が塩素のせいでぱりぱりになったけれどまぁいいかとそのまま家に帰ってすぐにお風呂に入った。


内心、前髪どころではなかった。


真琴にあんな風にまっすぐ見つめられたのはいつぶりだろう。
ぎゅっと抱き寄せられて息ができなかった。
ドキドキと真琴の鼓動が伝わってきて勘違いするなって平静を保とうとぎゅっと目を瞑った。

こっち見て、と真琴の余裕のなさそうな声が降ってきて恐々と見上げたら真琴の瞳も不安そうに揺れていて。
真琴は「好きだ」と言ってくれたけれど返事を求めているようには見えなくてわたしが言葉を発せないように強く抱きしめたのかと思う程に、真琴の腕の強さは痛くて苦しかった。

なのに、

(デートって、言ったよね…)

明日の予定は特にないなんて正直に答えてしまったことを少し後悔した。
行くのが怖い。
待ち合わせを駅でと言ってくれたから、逃げてしまおうかなんて考えるけれど、前は家まで迎えに来てくれることが多かったから駅待ち合わせにしたのは真琴の気遣いなのかもしれない。

やっぱり用事があったから行けない、と嘘をつくことはできるけれど、そんなことをしたらわたしと真琴の、細く細く繋がっていた大切な何かがぷつんと切れてしまう気がした。

そんなの、嫌だ。

どうしたらいいのか、どうしたいのか、わからなくて頭の中はぐちゃぐちゃだった。
明日、どんな顔をして真琴に会えばいいんだろう。



(2018.07.09.)



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -