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「なまえちゃん!」

岩鳶SCで凛へのサプライズ計画を実行するために今日は岩鳶水泳部と鮫柄水泳部の部員が集まり準備に取り掛かっていて、プールに浮かべるための浮輪を膨らませていたら久しぶりに会う幼馴染に名前を呼ばれた。

「江ちゃん!久しぶり!」
「体調もう大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。この間はごめんね」

電話でも、その後に治ったよってメールでも謝ったけれどそれから江ちゃんには会えていなかった。

「あっそういえば真琴に連絡してくれたんだよね、ありがとね」
「ううん、お節介かなぁともおもったんだけど…」
「そんなことないよ、助かりました」

本当は今日の壮行会には来るべきなのかすごく悩んだ。
だって、岩鳶と鮫柄の合同なんて。
部活を引退してから顔を合わせていなかったメンバーが集まる、つまり、真琴と宗介と同じ空間にいなきゃいけない。
この前、二人がみょうじ家で遭遇してしまったときのことは突然すぎて気まずいなんて思う間もなかった。

夏からの約半年間でそれぞれとゆっくり話す機会はあって気持ちの整理は付けたつもりだし、もう誰かに気を遣わせてしまうようなことはしたくない。
今日は春からオーストラリアに行ってしまう凛の壮行会。
きっと凛は泣くだろうけど、わたしたちは笑顔で送り出さなければ。


「なまえ、江ちゃん、おはよう」

わたしの隣にしゃがみこんでいる江ちゃんの肩を叩いたのは、真琴だった。

「真琴先輩!おはようございます」
「おはよう、真琴」
「浮輪の数すごいね」
「そうなんです、コーチがSCの生徒さんたちにも呼び掛けて借りてくださったみたいで」

プールサイドには色鮮やかで形もサイズも様々な浮輪がたくさんあった。
シャチやヤシの木、スイカだったりフラミンゴだったり、今ってこんなに種類がいっぱいあるんだなぁとわたしも驚いた。

「膨らませるの手伝うよ」

空気入れを使っているとはいえ、この数を一人でやるのは大変だと思っていたところだった。
真琴がわたしの隣に座ろうとするけれど、あいにく空気入れは二つしかない。

「あ、じゃあ江ちゃんと真琴に頼もうかな。わたし段取りの確認してくるね」
「なまえちゃんは空気入れを続けてて!確認ならわたしがしてくるので!」

立ち上がって手に持っていた空気入れを江ちゃんに渡そうと思ったら慌てたようにそんなことを言われた。
突然どうしたのか、と思いながらものすごいスピードでプールを出て行った江ちゃんの後ろ姿を見送っていたら真琴がまだ膨らませていない浮輪を手にしてしゃがんだ。

「江ちゃん、多分俺たちのこと二人にしてくれたんだと思う」
「え…?」
「この前、なまえが風邪引いたときも俺に連絡くれただろ」
「そうだったね」
「俺たちのせいで水泳部の空気が重たくなっちゃったからなぁ、早く仲直りしてほしいって思ってたんだろうね」

そうか、風邪を引いた時に真琴が一人で来たのも、今の不自然な言動も、わたしと真琴が前みたいな関係に戻れるように江ちゃんなりに考えてくれていたんだなぁ。
もうみんなに気を遣わせたくないと思っていた矢先にこれだ。

「…江ちゃんにはわたしから話しておくね」
「話すって、なんて言うの?」

なんて言うの、と聞かれて少し返事に困って、意識的に呼吸を深くするとさっきまでなんとも思わなかった塩素のにおいがやけに濃く感じた。

「…なんて言えばいいかはちょっと考えます」

我ながら答えになっていないな、と思ったら真琴が「なにそれ」と言って吹き出した。
よかった、笑ってくれた。
こうやって少しずつ前みたいに、友達だった頃に戻れたらいい。
重たくて仕方なかった空気が、少しずつ軽くなっていけばいい。
そうしたらわたしの中の真琴への気持ちだって変わっていくかもしれない。
今はまだ確かに残る愛情とか恋心だって、溶けて消えて、友達に戻れる日が来るかもしれない。

「あの…この前ありがとう。風邪のとき」
「ううん。元気そうでよかった」

そう言えば、真琴に会うのは熱が出て看病してもらって以来だった。
会うのがあれ以来と自覚すると、恥ずかしさも少しある。
寝起きの姿を見られたし、思っていたことを打ち明けて、泣いてしまった。
いくら具合が悪くて弱っていたからって元カレの前で泣くなんて重たい女すぎるからあの部分だけでも真琴の記憶から消してほしいなんて、無理なことを思った。





「…男の子になりたいと思ったことってある?」

凛へのサプライズが成功して、みんながプールに飛び込んだ姿を見ながら昔から胸にあった気持ちがぽろっと零れた。

「え?うーん、そうだなぁ…お兄ちゃんの筋肉は大好きだけど、自分があんな筋肉をつけても自分じゃ眺められないからなぁ…」
「江ちゃんらしい答えをありがとう」
「なまえちゃんは、思ったことがあるの?」
「うん、昔はね。今はもう思ってないよ」

男の子だったら、泳げたら、ずっと隣で同じ方向を向いていられただろうか。
そんなことを以前は考えていた。
だけど性別が違っても泳げなくても、彼らと肩を並べることはできる。
そう思えるキッカケをくれた人たちは今もプールの中にいて、同じようにはできないけれどそれでいいんだ。

「そっかぁ」
「変なこと聞いてごめんね」
「ううん!男女なんて関係なくなまえちゃんのこと大好きだもん!」
「江ちゃん〜…」

思わず隣に座っていた江ちゃんに抱きつくと可愛らしく「きゃー」なんて悲鳴をあげる。
凛がオーストラリアにいるときも、宗介が東京にいるときも、江ちゃんとはずっと一緒にいたから春から離れ離れになるのは本当に寂しいけれど、物理的な距離なんてどうってことないと今なら思える。

「…おい、なに女同士でひっついてんだよ」

べしっと頭に何かが当たって、痛くはなかったけれど江ちゃんと二人して肩が跳ねた。

「っビックリしたー…」
「宗介くんもういいの?」
「レースで盛り上がってきたから抜けた」

みんなと泳いでいた宗介が髪の毛から水をぽたぽた垂らしながら右肩に手を当てた。

「肩、痛いの?冷やすもの持ってくる?」
「あー大丈夫だ。…触るの癖になってるな」
「でも…」
「本当に大丈夫だから」
「宗介くんもうあがるならシャワー浴びる?大きいタオル借りてくるね」

疑わしげな目で見てしまうわたしとは違って江ちゃんは切り替えが早くてタオルを取りにプールから出て行った。

「体調はもういいのか」
「うん、すっかり。お饅頭ありがとね」
「おう」
「…あと、受験のことも、ありがとう」

第一志望の合格発表の後、宗介に受かったことをメッセージで伝えたら「よかったな」とごくシンプルな返事が来ただけだったけれど、それがすごく宗介らしいと思った。

「別に。努力したのはなまえだろ」
「でも、宗介のおかげでもあるから」

宗介の進路の話は聞けていなくて、前に凛が渋い顔で「親父さんの仕事を手伝うって言ってた」と聞いてから情報は更新されていない。
夏に話したときはまだ先のことは考えられないと言っていたけれど、春から宗介はどこで何をするのだろう。
高校に入ったときみたいにお互いどう過ごしているのかよくわからない…なんて状況になったら、やっぱり寂しいな。

「……」

…駄目だ、聞けない。
宗介は卒業したらどうするの?と、サラッと聞けたらいいのに、聞けない。

「っ……」
「え、なんで笑い堪えてるの?」

わたしが一人で勝手に悶々としていたら宗介が急に肩を震わせて何事かとビックリしたけれど、これは笑うのを堪えているやつだ。
突然すぎて全く読めない。

「…いや、悪い。なまえって本当考えてること顔に出るな、と思って」
「そっそんなこと、ないと思う」

どんな顔してたんだろうと思わず自分の頬に手をやるけれど、わからないものはわからなかった。

「聞きたいことあんだろ?今更遠慮とかいらねぇから言ってみろよ」

言ってみろ、なんて言うくせに本当にわたしが今何を考えていたのか、宗介にはわかっていたみたいだ。
言葉に詰まって宗介の顔を見上げるとやけに優しい顔をしていて驚いた。

「…宗介は、卒業したらどうすることにしたの…?」

絞り出した声は情けないことに震えそうだったけれど、宗介はやっぱり優しい顔のままでわたしの頭にポンっと手を置いた。

「地元に残るよ」
「…そう」

凛に聞いていた答えと同じものだったけれど、宗介が晴れ晴れとした顔で言うからそれは彼にとって後ろ向きの選択でないんだとわかる。
水泳を続けてほしいと思ってしまう気持ちは変わらないけれど、宗介が決めたことならもう何も言わない。
十何年も泳ぎ続けてきたのだ、これからは宗介が穏やかでいられる場所ならどこにいたって何をしていたっていい。

「親父の仕事手伝いながら、鮫柄でコーチみたいなことさせてもらおうと思ってる」
「……え?」

コーチ、宗介が。
人に教えるよりも自分でガンガン泳いで我が道を行くってタイプだったはずなのに。

「あー…そんなちゃんとしたもんじゃねぇけど。卒業しても顔は出す、くらいのスタンス」

歯切れ悪く言うのはきっと照れ隠しだ。

「宗介、人に教えるなんてできるの…?」
「失礼だな」
「だって子供のときわたしに教えてくれるのすっごい雑だった」
「何年前の話してんだよ…」

泳げないわたしに宗介と凛が泳ぎを教えてくれていたけれど、宗介はあんまり優しくなかった記憶がある。
凛は昔から面倒見がよくて根気よくわたしの練習に付き合ってくれたけれど、宗介はだんだん飽きてきて一人で自由に泳ぎ出してしまったものだ。

「こう見えて似鳥あたりからは評判いいんだぞ」
「えぇ、信じられない…」

そう言ったら手刀が頭に刺さった。
さっきは優しくポンポン撫でてくれたのに。

「痛い。でも、そっか。ここに残るんだね」
「あぁ。春からは逆だな。俺がこっちでなまえが東京」

せっかくこうして話せるようになったのに、とはわたしだって言わないけれど、宗介も少しは寂しいと思ってくれているのかな。

「うん、帰ってくるときは連絡するね」
「おう」



どちらからともなく避けるようになって距離があいてしまった頃とは違って、幼馴染として男女なんて関係なく話して笑い合えて、いつも見送ってばかりだったわたしが今度は見送られて、帰ってくるほうの立場で。
流れていく季節のなかで変わらないものは少ないのかもしれないけれど、過ごしてきた年月のなかで大切にしたいものはずっと同じ。



(2018.07.05.)



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