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まさかお礼を言われるなんて思っていなくて、なまえが照れたように微笑んでいるから嬉しいのと泣きそうなのと、感情がないまぜになる。

「ごめんね、急にこんな話」
「あ…いや、ビックリはしたけど…」
「お薬飲んだし、ちょっと寝ようかな」

パッと雰囲気を変えるようになまえが笑った。

「……うん。そうだ、冷えピタも買って来たんだった」

箱から一枚だけ取り出して、なまえに渡すと「ありがとう」と言いながら額に貼るためシールを剥がそうとするけれど、手元が覚束ないのか一向に剥がれる様子がない。

「あれ…剥がれない…」
「…俺、やろうか?」
「お願いします……」

なまえからシートを受け取って、なまえが苦戦していたシートをぺりっと剥がす。
シート同士がくっついてしまわないように気をつけながらなまえに渡そうとしたら、自分の手で前髪を上げて額をこちらに向けて来た。
その無防備さにドキッとする。

「え?」
「え、あれ、ごめん。てっきり貼ってくれるのかと…」

戸惑ってしまって一瞬固まると、なまえが慌てたように顔を赤くさせた。

「うわ、なんかこれすごい恥ずかしい、勘違いしちゃった…」
「いや別に、貼っていいなら貼るよ。おでこもう一回出して?」
「うん…」

なまえが額を出して、目を瞑る。
長い睫毛が伏せられていることに心を奪われそうになるけれどなんとか平常心を保ってなまえの額にぺたり、とシートを貼り付けた。
髪の毛が手を掠めて、それだけなのに心が波立つ。

「はい、できたよ」
「ありがとう…っ」

パッとなまえが目を開けて、至近距離で視線が絡む。
なまえが息をのんだのがわかった。

手を伸ばしたくなる気持ちを押さえて、なまえからは見えない位置でぐっと拳を握る。
体調もさっきよりは良さそうだし、俺ができることはもうないのだから早く帰ろう。
なまえが眠るまでいようかと思ったけれど、俺がいたらなまえだって落ち着かないだろう。

その証拠に大きな瞳が俺を映したり、天井を映したり、視線が宙を彷徨って行ったり来たりしていた。


「真琴、」
「ん?」
「あのね、これを言ったらもしかしたら真琴はまた気分悪くするかもしれないんだけど」

そう前置きをされて身構えてしまうのは仕方がないだろう。
なまえはタオルケットの端っこをぎゅうっと握りしめながら言葉を続けた。

「東京の大学を受けるか悩んでた時に、宗介が話聞いてくれて…後悔しないようにやれって、言ってくれたのね」

山崎くんの名前がなまえの口から出るのが嫌だった。
なのに付き合っていた頃の俺は、わざと彼のことを話題に出してなまえのことを試すみたいに反応を見てしまっていたこともあった気がする。
なまえはただ優しくて、怪我をしていた幼馴染を慮っていたのに。
余裕なく嫉妬して、なまえを信じられなくて、自分が苦しいからって目を背けた。

「わたし、真琴とのこと…後悔ばっかりで。だから、進路のことは、今目の前のことには、後悔しないようにやってみようって思った」

それなのになまえは、俺とのことは全部自分が悪いみたいに言うんだ。
後悔ばっかりなんて、俺だって。

「真琴にはたくさん嫌な思いさせたし、それはもうやり直せないけど、ただ誤解しないでほしいのは東京に行くのは宗介がいるからとかじゃ、ないよ」

どうして東京に行くのか、と聞いた俺の本意になまえはきっと気付いてくれて、不安や疑念を拭うように話してくれた。
それだけでもう、なんか、充分じゃないか。

「なんか…うまく言えなくてごめんね、伝わったかな…」

なまえが眉を下げて不安げな表情を見せる。

向き合うことから逃げたくせにこんなにも苦しくて、うまく呼吸ができなくて、それが正解だったのか未だにわからない。

「…そっか」
「あの…ごめんね、宗介のこと、言わないほうがいいかなとも思ったけど…隠したくなくて…」

心臓がギシギシと軋んで痛かった。
手を離すのがなまえのためだと思って、だけど本当は自分のためで。
動けずにいる俺に、「真琴…?」と心配そうに表情を窺ってくるなまえから目を逸らしたくて抱き締めたくて、握り締めた手のひらが痛い。

「ごめん、大丈夫。話してくれてありがとう」

眉を下げたなまえが話してよかったと思えるように、出来るだけ優しく笑う。

言わなくてもいいこと、というのはあると思う。
付き合っていた時になまえが山崎くんのことを俺に黙っていたのは、俺に余計な心配をかけたくないだとか、勝手に山崎くんの怪我のことを言うわけにはいかないとか、きっと理由があった。
それを受け止められなかったのは俺の気持ちの問題だった。
こうして話してくれるということは、なまえの中で俺や山崎くんへの感情は整理がついたということだろうか。
それは、それで…やっぱり複雑だと思ってしまう。
俺はこんなに自分勝手な人間だったっけ。

「あと、謝りたいこともあって」
「うん…なに?」
「クリスマスの日のことなんだけど…変なこと言っちゃってごめんなさい」

あんなこと言われても真琴困るよね、となまえがタオルケットを掴む手に力を入れた。

「変なことなんて…それに俺だって、」

俺だって、なまえを混乱させるような態度を取ってしまったと思う。
謝ろうとするけれど言い淀んでしまって、なまえは眉を下げて微笑んだ。

「もうあんなこと言わないから、だから…東京行ってもたまにはハルとみんなでご飯でも行こうね」

ズキズキ、さっきから言葉に刺されるみたいだと思う。
だけど話しているなまえだってずっと苦しそうで、こんな顔をさせているのは俺自身だ。

「うん……そうだね」

俺が答えるとなまえが安心したように息をはいた。
友達にすら戻れないと思っていた頃と比べればよっぽど事態は好転したように思える。

「よかった…」
「え?」
「卒業する前に、真琴と話せてよかった」

だけど、俺はなまえに別れを告げたときから一歩も動けていない。


「…ごめん、なまえ」
「ま、こと…?」
「具合悪いのに話してくれてありがとう」


なまえの瞳にじわじわと涙が溜まっていくのが見てわかる。
言うべきじゃないのかもしれない。
せっかく付き合う前みたいに、何もなかったみたいに話せるようになるかもしれないのに。


「俺も、なまえのことが本当に大事だった」


想いを言葉に込めるけれど、それ以上はもう言えなかった。
熱のせいで赤らんでいる頬へ手を伸ばすと、なまえが少しビクついた。
指の背で頬を撫でたら、なまえの表情が歪んでその拍子に涙がこぼれるみたいに頬を伝って枕に染み込む。
もう傷付けたくない。
大切にしたかった。

今も好きだよ、と言えたら心は軽くなるのだろうか。



(2018.06.22.)



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