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普段全く台所に立たないことと他所の家で勝手がわからないこと、なまえと久しぶりに話せた動揺とかいろんなことが相まって手元が覚束ない。
レトルトのお粥をレンジで温めるだけなのに。

お粥のパッケージに書かれた温め時間をしっかり確認して電子レンジに入れたところでやっと一息ついた。
どうして土曜の昼間になまえの家にいるかというと、江ちゃんから連絡が来たからだ。

「なまえちゃん、すっごく体調悪いのに土日は家に一人みたいで。真琴先輩、様子見に行ってあげてくれませんか?」

どうして俺が…とか、江ちゃんが行ったほうがなまえも気が楽なんじゃ…とか、色々頭に浮かんだけれど結局は自分一人で来てしまった。
やっぱり誰かしら誘うべきだっただろうか。
うーん、とみょうじ家の前で少し悩んだけれど意を決してインターホンを鳴らす。
応答があるまで心臓が馬鹿みたいにうるさくて、来る前に連絡すればよかっただろうかとか迷惑かもしれないとか、ここまで来ても不安ばっかりだ。

『はい、』

掠れた声が機械越しに聞こえて肩がビクつく。
我ながら情けなさすぎて誰にも見られなくてよかった。

「なまえ?俺だけど…」
『俺、?』

「真琴です」

声だけじゃわからないよな、当たり前だ。
インターホン越しだし。
まさか俺が来るなんて夢にも思っていないだろうし。
すぐに俺だとわかってもらえなかった、なんて、こんなことでいちいち傷付いていたらキリがない。

だけど名前を告げてもすぐに返事がなくて、それには焦った。
扉を開けてくれたなまえがふらふらと今にも倒れそうで、嫌がられるのを覚悟で細い身体を抱き上げてなまえの部屋へ連れて行く。
触れた身体は、俺が知っているものよりも細くて軽くて、体温は熱い。

部屋に脱ぎ捨てられたニットとジーンズに一瞬ぎょっとしたけれど、片付けるのも億劫なくらいに体調が悪いのだろう。
病院にも行っていないし薬も飲んでいないというけれど、食事を食べたくないわけではなさそうだったから台所を借りると断りを入れてなまえの部屋を出た。


(…なんか緊張したな)


さっきまで慌てていたから気にならなかったけれど、部屋を出たら心臓の音がいつもよりうるさい気がしてつい自分の左胸を押さえた。

台所に着いてまず思いつく限り買い込んできた体調が悪いときに役に立ちそうなもの、ゼリーや飲み物なんかを冷蔵庫に入れる。
レトルトのお粥は作ったことがなかったけれど、パッケージに書いてある調理方法をしっかり守りながら温めるべく電子レンジに入れた。

(…食べてもらったら薬と、あと冷えピタ…はさっき貼ってもらえばよかったな)

そこまで考えてさっきなまえに「お母さんみたい」と笑われてしまったことを思い出して顔が緩んだ。



「なまえ?入るよ」

コンコン、と扉をノックして小さく声をかける。
なまえは目を瞑っていて、眠っているのかと思ったけれど俺が部屋に足を踏み入れると目を開けた。
ぱちぱちとまばたきをして、「一瞬寝てた…」と言った声はやっぱり少し掠れているけれど、ふんわりと笑いながら寝転がったまま俺のほうを向く。

「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん。お粥、ありがとう」
「どういたしまして。色々仕舞いたくて冷蔵庫勝手に開けちゃった」
「全然いいよ。電子レンジ使えた?大丈夫だった?」

なまえが身を起こしながら妙に心配をしてくる。

「電子レンジの使い方くらいわかるよ」
「真琴のお料理の出来なさは壊滅的だからつい」

そんなことない、とは言えないから苦笑いで返事をして持ってきたお粥をトレーごとローテーブルに置くと、ベッドからのそのそと出てくる。
大きなトレーナーにだぼだぼのスウェットパンツを身に着けたなまえは余計に華奢に見えた。
…部屋着、久しぶりに見たな。

「起き上がって大丈夫?」
「うん、さっきより楽かも…水分欲してたのかな」

ベッドサイドに置かれたペットボトルの中身は、確かに減っていた。

「いただきます」
「熱いから気を付けて」
「ん、」

ふーっとお粥を冷ます仕草が妙に子供っぽくて、かわいくて。
だけど唇は熱のせいか色付いているように見えて思わずなまえから目をそらした。
ゆっくり一口ずつ冷ましながら、だけど残すことなく食べ終えたなまえが両手を胸のまえで合わせて「ごちそうさまでした」と言う。

「真琴に何か作ってもらったの、初めてだね」
「…そうだね、いつもやってもらうばっかりだったな」
「そんなことないよ。お弁当、いつも食べてくれて嬉しかった」

なまえが視線を俯けて言うけれど、弁当だって作ってほしいと言ったのは俺だ。

「作ってって頼んだの俺だよ」

元彼女とこんな状況でなんて会話をしているんだろうか。
ありがとう、と伝えれば二紗子が柔らかく微笑むけれどお互いにやっぱりどこかぎこちなかった。

「…薬、飲める?」
「うん。お水も持ってきてくれたんだね」

総合風邪薬と銘打たれている箱を開けて、なまえに薬のシートを差し出すと意図をわかってくれたようで手のひらを上にして俺の前に出してくれる。
その手のうえに、錠剤をぽとりと三粒出してあげるとそのまま口へ運んで、水の入ったコップを渡すと受け取って飲み下した。

「あとはゆっくり寝て。疲れが出たんだろうって江ちゃんが言ってたよ」
「そんなに疲れるようなことはしてないんだけどなぁ」

なんでだろう、と首を傾げたなまえにベッドに入るように促す。
またのんびりとした動きでもぞもぞとタオルケットを口元まであげたなまえに、「それだけじゃ冷えるよ」と毛布をかけてあげたら「お粥のおかげでぽかぽかする」と、外に出ている目だけで笑う。


「受験疲れじゃない?無事に決まったんだってね、おめでとう」
「うん…ありがとう」

直接報告を受けたわけではないんだけれど、今朝の電話で江ちゃんからなまえが東京への進学を決めたことは聞いていた。

『なまえちゃんが東京に行く前に遊ぼうねって話していたんですけど、』
「…東京?じゃあなまえ進路決まったんだ」
『え、はっはい…真琴先輩ご存知なかったんですね、すみません…』
「ううん、教えてくれてありがとう」
『とにかく!きっと受験疲れだと思うんです。心配なので真琴先輩が様子見に行ってくれませんか…?』
「じゃあ江ちゃんも一緒に、」
『いえ!わたしは他の用事ができてしまったので!じゃあよろしくお願いしますね!』


ブツン、と切られた通話に思わず数秒携帯を見つめてしまった。
なまえのところへ行こうか行くまいか、悩んだけれどこうやって来てしまったのは心配だったからだ。


「真琴は?進路、決まった?」
「うん。俺も、東京の大学」
「そっか…おめでとう」

視線が外されてなまえの瞼が閉じられる。
体調が悪いのだからこのまま寝かせてあげればいいのだろうけれど、言葉が口をついて出た。

「この前、ハルと東京行って物件探ししたんだ。俺はすぐ決まったんだけどハルの理想の風呂がなかなか見つからなくってさ」
「ハルらしいなぁ」

なまえがくすくすと笑うと二人きりの部屋の空気が揺れるみたいでなんだかくすぐったかった。
だけど部屋探しの話なんて、どうでもよくて。
聞きたいことは他にあるんだ。

「なまえは…」
「うん?」
「なまえは、どうして、東京に行こうと思ったの」

本当はずっと聞きたかった。
答えを聞いたら自分の傷を抉るだけかもしれない、むしろその可能性が高い。
そんなことはわかっているのに。

なまえが山崎くんのことを幼馴染として以上に大切に想っていたことは、高校でなまえと再会したときになんとなく気が付いていた。
東京にいた山崎くんがこっちに戻って来て、彼が今後の進路をどうするのかは知らないけれどなまえが東京進学を決めたことと、山崎くんの存在は関係があるのだろうか。

返ってくる言葉が怖くて俯いてなまえから視線を外した。

「…東京に行こうと思ったのは、入りたい学校があって。やりたいことがあったから」
「やりたいことって…聞いてもいいかな」
「水泳のこととか、スポーツのこと勉強したいなって。…進路決められたの、真琴たちのおかげだよ」
「えっ…俺たち?」
「…うん。わたしね、」

もぞ、となまえがベッドの上で身動ぎをする音がしてそちらを見たら、仰向けに寝ていたなまえが俺のほうを向いていた。
視線が絡んで、なまえの瞳は熱のせいか少し潤んでいた。

「岩鳶に入るまで、マネージャーになるまで、水泳があんまり好きじゃなかった。だけど関わることでちゃんと向き合えるようになって、そしたら好きじゃなかったはずの水泳も、泳いでる人のことも、気が付いたら大好きになってた」

水泳部のマネージャーになってほしいと言った時、快諾してくれるだろうと思っていたなまえが渋っていたことを思い出す。
凛や山崎くんと小さい頃から一緒にいたなまえが、水泳を好きじゃなかったなんて誰が思うだろうか。


「目を逸らしてた水泳に向き合えたのは真琴のおかげ。だから、ありがとう」




(2018.06.09.)



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