3.

「えっ、なに?どうしたの?」
「どうしたって、ここで寝ようと思って」
「いやいやいや、家じゃないんだからさすがにダメだよ」

シャワーを浴びて明日の予定を確認しながら日課のストレッチをしていたらコンコンと部屋の扉をノックする音がした。
ドアスコープを覗いたらそこには寝る準備を整えたのかスウェットに着替えたユーリがいて、慌てて部屋に引き入れた。
わたしの部屋の前にこんな時間にユーリが来ているなんて、他の人にバレたら面倒だからだ。
ユーリの腕を引いた姿勢のままさっきの押し問答をすることになってしまった。

「ダメ」と言ったらムッとした顔でわたしを見下ろしてくる。
見上げる顔の位置はすっかり高くなったし、掴んだ腕の逞しさは昔と比べ物にならないくらい逞しくなったけれど、こういうときの表情は小さい頃から変わらないなぁと思う。

「なんでだよ。あと寝るだけだろ」

ユーリの視線がわたしの頭のてっぺんから足までをなぞって、掴んでいないほうの手で頬をむにむにとつままれた。

「そうだけど。自分の部屋で寝てください」
「やだ」

やだって。
子供か。

ぐいぐいと背中を押されて、抵抗むなしくセミダブルのベッドにぽんっと乗せられた。
オリンピックのために用意された選手村の中は設備から家具まで快適に設えてあって、ふかふかのベッドがなかなか寝心地がいいことは昨日確認済みだ。

「ほら、寝ようぜ。明日男子は公式練習なんだよ」
「…女子はサブリンクで調整ですー」

言外にまだ寝ない、一緒には寝ないという気持ちを込めてみたけれどユーリに通じるわけがなかった。
まぁ早く寝るに越したことはないし、こうなったら彼が折れることはない。
「もう、」とぶつくさ言いながら自らもぞもぞと羽毛布団の中に潜り込めば空けていた隣のスペースにするっとユーリが入ってくる。
わざと背中を向けて寝る体勢に入ると、後ろからユーリの腕が回されてわたしのお腹のあたりに手を置かれてた。

「こんな体勢で寝たら明日身体かたまっちゃうよ?」
「いつもこうだろ、大丈夫」
「そうだけど…」

スリ、とユーリの鼻がわたしの髪の毛を掠める気配がして、すんすんと今度はにおいをかいでいる。

「ちょっと」
「シャンプー、家から持ってきたのか」
「うん…合わないシャンプーできしんだら嫌だから」
「ふぅん」
「?ってなんでもっと擦り寄るの…!」
「ここ何日かさ、」
「人の話聞いてる?」

ユーリが耳元で話すたびくすぐったくて、少し身を捩ればわたしを抱きしめるユーリの腕がぎゅうと強くなる。

「ひとりで寝てただろ」
「うん」
「…なかなか、寝付けなくて」

開催地までの飛行機ではアイマスクをつけて爆睡していたのに…寝付けないなんて時差のせいだろうか。
でもこっちに来て何日か経っているしその間だって練習はみっちりしているから疲れていないわけではないだろうに。
枕が変わると眠れなくなるようなタイプではないはずだから少し驚く。
ご飯はちゃんと食べているみたいだったからメンタル的には大丈夫そうだと思っていたけれど、繊細な面が睡眠に表れていたんだなぁ。

「なまえと一緒なら眠れるんじゃないかと思って」
「……そっか。ねぇユーリ、ちょっと腕緩めてほしいな」
「なんでだよ」
「別に逃げたりしないから」

そう言うと躊躇いながらもふっと腕の力が緩んだ。
ユーリの腕の中でくるりと身体を回転させて、向かい合うようにしておさまりのいいところを探す。
もぞもぞと動くわたしを、ユーリは大人しく見ていた。

「あんまり寝れてなかったの?」
「…寝付くのに時間がかかるのと、スッキリ起きられねぇ」
「いつもベッド入るとすぐ寝るのにね」
「ん、」

緩めてくれていた腕にまたぎゅっと抱きすくめられて、視界がユーリのパジャマでいっぱいになる。
とくん、とくんと一定の速度で響く心臓の音に安心するのはわたしのほうだ。
胸いっぱいにユーリのにおいを感じる。

「おやすみ、ユーリ」
「…ん」

かろうじて返ってきた返事がもう眠たそうで、自分に安眠効果なんてあるのかはわからないけれど明日のユーリがすっきりした顔で起きてくれるといいなぁと思いながら、わたしも瞼を閉じた。




(2018.05.07.)


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