恋色桜

「わたし聖川家に生まれたかった」


いきなり「聞いてよ!」と俺の自室の扉を、壊れんばかりの勢いで開いて入ってきたのは腐れ縁である神宮寺の妹、なまえだった。

「なまえ、ノックくらいしろと何度言えば、」
「ごめんごめん、今度からします」
「お前はいつもそう言って全く改善が見られないな…」

溜息を吐きながら手にしていた筆を硯に置く。

「あ、邪魔してごめんなさい」
「いや、いつものことだろう」
「間違いないです…」

いつも突然押し掛けてくるなまえには今更何を言っても無駄だろうとわかっているから、書道は諦めて、畳の端で小さく正座をしている彼女の前に腰を下ろす。

「…で、今日は一体どうしたんだ」
「わたし聖川家に生まれたかったです」
「それは先程聞いたが」

普段着として愛用している着物の衿を正しながら尋ねるが、うん…と口ごもるなまえにはいつものキレというか勢いがない。

「何かあったのか?」
「真衣ちゃんみたいな妹がほしかったな、って」
「何を言う。神宮寺もお兄様もお前を溺愛しているではないか」

俺と神宮寺は幼い頃から家の関係で親しくしていた。
…親しかったつもりはないが、顔見知りであったことは確かで、いつも神宮寺にくっついて歩いていたなまえと、俺が友人になるのもしごく当然のことだった。
早乙女学園に入って、俺達が再会したことでなまえともまた交流するようになったが、神宮寺にはうるさいくらいに「なまえには手を出すな」と釘を刺された。
自分は女性関係に決して誠実ではないくせに、と軽く流していたが。
シスコンもいいところだ。

「まぁね。でも家の跡継ぎ問題が解決して、レン兄のことも落ち着いたら今度はわたしの将来が心配になったみたいでね、最近お見合いの話ばっかり」
なまえが自嘲気味に笑う。
悲しみとか怒りとか、そういう感情ではないのだろう。

「今日も見合いだったのか」

振袖に身を包んでいるのはそのためか、と尋ねると「つまんなくてすぐ帰って来ちゃったけど、」と溜息を吐いた。
きっちりと、しかし今時の若者らしさも失われないよう華やかに結い上げられた髪と、一目見ただけで仕立ての良さが伝わる振袖。
母親譲りの整った顔立ちは憂いを帯びた表情すらも美しく見せた。

「お前のことがかわいいからこそ心配なのだろうな」
「うん、それはわかってるんだけど、」

ひとつ息を吐いて気だるそうに続ける。

「どの家も神宮寺との繋がりがほしいだけでわたしのことなんて興味ないんだもん」
「…相手の思惑は置いておくとして、誠一郎さんたちがお前の幸せを願っているのは事実だろう」

それもわかってる、と溜息交じりに言う。
正座をした膝に行儀よく乗せていた手をぎゅっと掴んで、行き場のない憤りを堪えているかのようだ。

「でも、それでも。わたしはよく知りもしない相手と結婚するのなんて嫌だな」

わがままかなぁ、と苦笑するなまえにそんなことはない、と言える立場ではない。
自分自身、家のしがらみに振り回されてきた。
俺が芸能の世界に身を置くことを許してもらえたとは言え、跡取りの問題が全て解決したわけではない。
俺が跡を継がないとなると、真衣が婿を取ることになるかもしれない。
真衣もいつか、今のなまえのように葛藤する日が来るのだろうか。
俺の人生、生き方は、俺1人だけの問題ではない。
俺もなまえも、そういう世界で生きている。



「少し、外に出るか」

立ち上がりかけると疲れたから嫌、と不機嫌そうな声が返ってくる。
弱い力で俺の着物の裾を引っ張られるが、今日は散歩日和だぞと立つように促しながら掴んだなまえの手首が折れそうな程に華奢で少し驚いた。
こんな細い体で、家のことを自分や神宮寺のように悩み、ひとりで抱えて悩んでいるのか。

「わっ」

そんなことが瞬時に頭をよぎると、強く手を引きすぎてしまったらしくバランスを崩したなまえが俺のほうへ倒れ掛かった。
自分よりも大分小さくて華奢な彼女を抱きとめることなど造作もないことだが、心臓が跳ねたことと、熱を持った顔を見られたくなくて「ビックリしたー真斗くん人の話聞いてる?!」と言う抗議の声を「あぁ、すまない」と軽く流すふりをして、そのまま手を引き部屋を出た。

「真斗くんて以外と強引だよね」と後ろからぶつぶつ言っているなまえの言葉は無視をするけれど、繋いだ手に軽く力を籠めれば弱く握り返してくれる。
そんな彼女の素直さにふっと笑いが漏れたら、「笑わないで」と怒られてしまった。



部屋を出て、長い廊下を抜けると事務所の寮とは思えない豪華絢爛な広間がある。
誰にも会うことなく続く玄関を出て少し歩くと、ここは本当に都会の真ん中だろうかと疑いたくなるような見事な庭が広がっている。
春には桜が咲き誇り、夏には新緑が美しい。
季節は初春、八分咲きの桜が眼前に広がる様は実に美しい。



「うわぁ…すごいね」

風に吹かれるたびにひらひらと舞う花びらのなかで、空を仰ぐかのように上を見ている。

「あぁ、見事なものだろう」
「ちょうど見頃だったんだねぇ、綺麗だなぁ」
「あぁ…」

ただただ感嘆の声をあげるばかりのなまえの手をきゅっと握りしめる。
幼い頃、俺と神宮寺とでなまえを真ん中に挟んで3人で手を繋いで歩いた。
あの頃よりも背丈も伸びて、繋ぐ手のひらも大きくなった。

ずっと抱いていた感情がある。
成長するにつれ、その想いも大きくなり、息苦しさを覚えるほどになってしまった。

今、伝えたいことがあるのだ。

「なまえ」
「なに?」
「お前は聖川家に生まれたかったと言うが、それは困る」

先程まで桜色の木々を見上げていたなまえが俺のほうへと向き直る。
ただならぬ空気を感じたようで、顔に浮かべていた微笑みがすっと消えた。

「…別にわたしだって本気で言ってるわけじゃ、」
「俺は、確かに妹のようになまえのことを大切に思ってきた」

だが、と次に続ける言葉を選んで少し詰まる。

「だが、俺はお前とは家族や友人、そういう類とは違う愛情を持って接してきたつもりだ」

弱々しく枝を揺らしていた風が止む。
辺りが静かで、俺の胸の鼓動が隣にいるなまえに聞こえてしまうのではないかと思う。

「なまえ」
「…はい」
「お前のことを愛している」

目を丸くしたなまえの頬が徐々に桜色に染まって行く。

「え、え?」

なまえの困惑と、熱が俺にも伝染したかのように急に恥ずかしさが込み上げてきた。

「その、だから、お前が実の妹では困る。お前も俺と同じ気持ちでいてくれるのだと思っているが…どうだろうか」
「どう、ってそんなの…わかってるなら聞かないで…」

好きだ、愛している、だから一緒になろうと無責任に言えるほど子供ではないし、俺に付いて来いと胸を張って言えるほど社会的地位を得た大人でもない。

それでもお前への想いは惑うことなく本物で、自分が一人前になるまで…と言えずにいた思いの丈を胸に秘めたまま、お前が他の家へ嫁ぐくらいならば、少しくらいの見栄は切ってもいいだろうか。

「今はまだ、アイドルとして駆け出しですぐに一緒になろうなどとは言ってやれない」
「うん…わかってるよ」

なまえもまた、近いところで俺のことや神宮寺のことを見ているだけにそのこともわかってくれているようだ。

「自分の道もようやく見つけたばかりの俺がお前にしてやれることは少ないかもしれない。だが、」

静かだった風が吹く。
桜が舞う。
不安げななまえの表情すらも美しく、少し崩れた後れ毛が風に揺れる。

「恥じることのない大人になったら、アイドルとして胸を張って自分の足で立てるようになったら、お前を幸せにすると言える日が来たら、必ず迎えに来る」

だから、待っていてくれ。

言葉を紡ぐたびになまえへの想いが溢れて胸が締め付けられる。
苦しくて痛くて、でもこんなにも愛おしくて。
人を愛することが息もできないほどに切ないものだなんて知らなかった。

「真斗くんも大事なときなのに、わたしのことはいいんだよ」

見つめるなまえの瞳が揺れる。

「待ってて、なんて言われなくても、ずっと待ってるよ。アイドルを好きになるってそういう覚悟がいることなんだって、散々レン兄に聞かされたもん」
「神宮寺に…」
「レン兄はわたしが真斗くんを好きだって気付いてたんだと思う」

さすがだよね、と苦笑しながら、空いていたもう片方の手も繋がれて向き合う形になる。
真正面から見下ろすなまえの後ろで、桜が咲き誇る光景はまるで映画のワンシーンのようで。

俺はこの景色をきっと忘れない。

「待ってるって言うより、一緒に歩いて行きたいんだけど、駄目ですか?」

微笑むなまえがあまりにも綺麗で、言葉に強い意志を感じて、俺が守りたいと思っていた小さい少女がいつのまにかこんなにも逞しくなっていたことに驚く。
堪えきれずに抱き締めたら、「真斗くん、」と名を呼ばれる。

「なんだ?」

声が掠れてうまく出ない。

「大好きだよ」



手を引いて歩くのではない。
どちらかが先を歩くのではない。
繋いだ手で熱を分け合って、支えて、支えられて、そういうふうに肩を並べて歩いて行こう。
幸せにする、ではなくて一緒に幸せになろう。

終わることのない未来、永久に側に。



「しかし、神宮寺が兄になるというのは非常に癪だな」
「なんて呼ぶの?お兄様?」
「それだけはごめんだ」




(2013.06.02)



2000% idol song リリース記念その二。

まあ様オリコンデイリー1位おめでとうございます…!
すごいですね、アイドルってすごいですね
某歌番組でのランキングも二週目なのに10位入ってましたね…。
おとやくんとのダブルランクイン、
本当に嬉しかったです。おめでとう!

レン様は聡いので妹ちゃんの気持ちにも
まあ様の気持ちにも気付いてしまうと思います。
2人とも真剣なのは傍にいてわかるけれど
財閥の御曹司としての立場、アイドルとしての立場、
両方わかるから妹ちゃんには
まあ様はやめとけって言うだろうなぁ、と。
でも、まあ様は中途半端なことはしない男だし、
なんだかんだ認めてるから、ちゃんと祝福してくれますよね。

自分たちで見つけた道を、
2人でしっかり歩んでくれればいいと思います。





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