夢に翔ける

※夢要素少なめ。最終回を読む前に書いた捏造だらけのお話です。


「き、緊張する……」
「俺も…吐きそう……」
「日向みたいなこと言わないでください菅原先輩…」

緊張する、と誰にでもない言葉をつぶやいたら、隣にいた菅原先輩もわたしと同じように心臓のあたりをぎゅっと押さえていた。
大地さんが「お前らが緊張してどうするんだ」と呆れたように言うけれどその目尻は優しく下がっている。
「吐きそうと言えばあいつ初めての練習試合の時にバスで…」と田中が思い出したようにつぶやいて、何を言いたいのかすぐにみんなも思い当たったように顔を見合わせて笑った。

日向が高校一年生の春。
初めての練習試合に向かうバスに揺られ緊張とバス酔いで日向は田中の着ていたジャージを盛大に汚したことがあった。
田中のジャージを袋に詰めたり、日向に顔を洗いなさいと水道まで一緒に走ったり試合前から大騒ぎで。
試合のたびにわくわくして飛び跳ねていたのに同時に緊張でお腹が痛いと大騒ぎしてトイレに駆け込むことも少なくなかった。
あの日向が。
今日、日の丸をつけて、真っ赤なJAPANのユニフォームで世界の舞台に立つ。
その隣には当たり前かのように影山くんがいるんだから、本当にすごい後輩を持ったものだ。

有明アリーナに向かうために、新橋駅でみんなと待ち合わせをした。
ゆりかもめのホームにはわたしたちと同じくバレーボールの試合を観に行くのであろう人たちがたくさんいて、ユニフォームを着たりフェイスペイントをしていたり、もうとにかくこれから始まる試合が楽しみで仕方がないという顔をしている。
緊張のせいとはいえこんなに深刻そうな顔をしているのはわたしたちくらいかもしれない。
旭さんも仁花ちゃんも「胃がキリキリする…」とお腹のあたりを押さえていて、山口くんが「大丈夫ですか?胃薬いりますか?」と聞く姿がたくましく巣立った雛鳥を見ている気分だ。
多分顔が勝手に緩んでいたんだと思う。
月島くんに「顔青くさせたりニヤついたり忙しそうですね」と言われてしまった。

日向が国際試合に出るのは初めてではない。
運だけで選ばれるほど甘くないプロスポーツの世界で、日向は着実に実績を積み上げてきた。
初めて日本代表に召集されたとニュースになった時はなぜかわたしが泣いてしまったし、本人から直接聞いたと言っていた仁花ちゃんもわたしが電話をしたらやっぱり泣いていた。
公式発表されてから、日向からメッセージアプリで全員に向けて「選ばれました!!」と連絡がきた日は、一日中ずっと通知が鳴りっぱなしだったっけ。
もちろん観に行ける試合はみんなで連れ立って観に行った。
だけど四年に一度のスポーツの祭典、オリンピックだ。
影山くんは前回大会のリオオリンピックにも出場したけれど、自国開催のオリンピックなんてきっと一生に一度の経験。
その東京オリンピックに、仲間が出るなんて楽しみ喜びを通り越した域に来てしまっても仕方ないと思う。

数日前に行われた開会式、選手入場の時にバレーの選手陣は目立っていた。
ぴょんぴょん飛び跳ねる日向、その隣でむずがゆそうに口元を緩ませている影山、いつも通りどっしりした面持ちの牛島さん。
木兎さんは日向と一緒になって携帯で動画を撮っていて、見切れていた宮さんはその画角に収まるようにピースをしていたけれど結局見切れていて、それがニュースで取り上げられていた。
及川さんのSNSには行進中に撮られた影山くんとのツーショットがあげられていて、コメント欄といいねの数がとんでもないことになっていたり、二十四時間しか残らない投稿には普段綺麗な笑顔ばっかりな及川さんが日向と顔をくしゃくしゃにして笑っている動画をあがっていたり、相変わらず華やかさと少年らしさがまぜこぜになったような人だと思う。
開会式はテレビで観ていたけれど、まさしくお祭りだった。
だけどお祭りに参加するだけでは満足なんてしていないって、選手たちを見ていたらわかる。
まずは予選を勝ち抜くこと。
開催国ということもあって、日本の初戦はオープニングゲームとしてセッティングされていた。
自国開催だからといっても競技によっては盛り上がり切らないこともあるなかで、男子バレーがこれだけ人気があってチケットも手に入りにくい事態になったのは、選手たちの努力ももちろんあるけれどバレー協会の尽力によるものも大きいと聞いた。

「そういえば、昨日黒尾から連絡あったぞ。今日来るんなら試合後にでも会おうってさ」
「黒尾さん、そんな暇あるんですか?」

大地さんが携帯を見ながら「夜なら時間空くってさ」と昨日黒尾さんから送られたらしいメッセージを見せてくれた。

「…黒尾さんがバレーボール協会の人って信じられませんね」
「選手になるよりもある意味狭き門らしいな」
「しかも競技普及事業部?ですっけ?あの黒尾さんが……」

確かに面倒見のいい人だった。
あの研磨くんをバレーに誘って春高に出場するような選手になるまで一緒にバレーを続けて、「たかが部活」なんて一生懸命になろうとしない月島くんをブロックの名手に導いた。
…なんならその月島くんが今でもバレーボールを続けて選手になったこともビックリなんだけど。
チラッと月島くんの顔を見上げたら視線に気が付いた月島くんに「…なんですか、みょうじ先輩」と眉をひそめられてしまった。

「ん?月島くんも黒尾さんに会いたいんじゃないかなーって思って」
「僕は別に」
「ツッキーは先月も会ってるもんね!」
「山口うるさい」

みんなで笑い合っているうちに気分も落ち着いてきて、ゆりかもめに乗り込んで東京の景色を眺める。
フジテレビ、レインボーブリッジ、有名な商業施設、そして見慣れない建物が視界に飛び込んできたあたりで電車の車内アナウンスが「次は新豊洲」と到着駅の駅名を告げた。



「わ、人もうかなり集まってますね」
「本当だな、すげー」

混雑緩和のために座席エリアによって入場時間が区切られていて、わたしたちの席は関係者席付近らしく時間設定は遅めだった。
スタイリッシュな外観の会場に人がどんどん吸い込まれていく。
あの中で、オリンピックの試合が行われるんだ。
日向と影山が日本代表としてバレーボールの試合に出るんだ。
自然とみんな口数が減って、自分の心臓がバクバクとうるさくなっていくのがわかった。
試合開始までまだ三十分はあるのに、今から泣いてしまいそう。
自分の涙腺をごまかすために隣にいた菅原先輩の顔を見上げたら、先輩も眉間にシワをよせて口元をぎゅっと引き結んで何かに耐えているようだった。

「菅原先輩、顔すんごいことになってますよ」
「…そういうなまえも」
「一歩間違えたら泣きそうです」
「早い早い」

先輩がわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた後に、弱い力で撫でてくれる。

「楽しみだな、試合」
「はい…!」

自動運転の車体が駅に滑り込んで、なめらかな動きで停車した。
ほとんどの乗客がこの駅で降りる。
目的地は全員同じだろう。
ユニフォームを着ている人の背中に「HINATA」、「KAGEYAMA」の文字を見つけると自分のことみたいに嬉しい。
わたしも二人分のユニフォームを買ったけれど、今日はどっちを着たらいいのかわからなくて両方ともカバンの中に仕舞ったままだ。
あわよくばサインをもらおうとちゃっかりサインペンも持ってきた。
ミーハーな自覚はある。

「仁花ちゃん、大丈夫?」
「は、はい…!めちゃくちゃ緊張しますけど、日向と影山くんのほうが緊張してますよね…!」
「二人はもう楽しむだけって感じもするけど…」
「たしかに……」

相手が強ければ強いほど、高く飛ぼうとする。
そういう選手だ。
とんでもないところまで来たけれど、好きだけじゃどうにもならない世界だと思う。
努力が全部報われるとは限らない。
運や才能だけでもない、いろんなことを味方にして、吸収して、周りからハンディキャップだと思われることをバネにして。
努力を努力と思わずにここまで駆け抜けてきたんだろう。
わたしが近くで見ていた高校二年間だけでも楽しいことだけじゃなかった。
悔しい思いもたくさんした。
バレーボールが好きだから辛いこともあった。


前を歩く菅原先輩のふわふわ揺れる髪の毛を見ていたら喉の奥がぎゅっとなる。
高校三年の春、菅原先輩はどんな気持ちだっただろう。
後輩である影山くんの存在はどう映っていただろう。
高校最後の県予選を前に、菅原先輩はレギュラーを外れた。
中学生の頃から天才セッターの卵と言われていた影山くんは烏野バレー部に入部した時から実力も意識も人より頭いくつ分か抜けていたように思う。
だけど、きっとみんな菅原先輩の高めに上がったオープントスを旭さんが豪快に打ち切る、あの光景をきっとこの先何年経っても忘れない。
試合に出ていなくても菅原先輩は先輩のできることを探し続けていたし、試合に出ることを諦めてなんかいなくて、そういうところ全部を尊敬していた。
影山くんがユースに呼ばれた時、真っ先に頭を撫でに行ったのは菅原先輩だった。
日向とこっそりお昼休みにトス練習をしていたのも菅原先輩だった。
背番号2を付けた菅原先輩がチームにいてくれることが烏野の強さだったと思う。
菅原先輩がいたから見られた景色がいっぱいあって、その全部がきっと今日に繋がる一端だった。
バレーボールは一人ではできない。
みんなで、全員で戦っていた。
それが烏野高校排球部だった。


大地さんと、菅原先輩と、旭さん、それから潔子さん。
四人が有明アリーナの入り口に向かって歩く背中を携帯で写真に撮った。
カシャッと鳴ったシャッター音に気が付いて四人が振り向くから、昔みたいに走って輪に混ぜてもらう。

「大地さん、肉まん食べたいです!」
「お、いいなぁ。俺も食べたい」
「わたしも」
「おーい!みんな、大地が肉まんおごってくれるってよ!」
「肉まんくらい自分で買いなさい!お前らももう良い大人だろうが!」
「そんなこと言いながらおごってくれる大地さん」
「てか肉まん売ってるんですか…ここは坂ノ下じゃないですよ」
「何かしらのホットフードはあるんじゃない?」


菅原先輩の手がぽんっとわたしの頭に乗る。
あの頃と変わらない大きくてあたたかい手だ。
指の腹は少し柔らかくなったけれど、繋いだ時の優しさは変わらない。
どうにかなってしまいそうなくらい緊張していたのに同じように緊張していた先輩に「もう大丈夫かー?」と心配するように顔をのぞきこまれたら胸につかえていたものが溶けていくみたいだった。

「緊張を凌駕しました」
「凌駕、かっこいいな」
「一周まわってもう楽しまなくちゃなって!」
「だなぁ」

選手たちにとっても一生に一度、応援するわたしたちにとっても一生に一度。
どんな試合だって同じ試合はもう二度とない。
もう一回のない勝負。
緊張していたらもったいない。
菅原先輩と一瞬だけ繋いだ手を、目配せをしてそっと離す。
今更周りに何か言われるような関係でもないけれど、みんなに隠れて手を繋ぐなんて遠征帰りのバスの中みたいだねって言ったら頷いてくれるかな。
みんなと肩を並べて歩く会場への道は、ずっと胸の真ん中に刻んでおきたいくらい眩しい一本道だった。



高校で競技としてのバレーを辞める人、大学でも続ける人、大学に行かず実業団に入る人。
そのどれでもなく自分の道を模索し続ける人。
たくさんの背中を見せてもらってきたけれど、全部が繋がっているんじゃないかと思える。
日向が商店街の小さなテレビで観たという背番号10が高くコートを蹴る背中。
きっとその時の日向みたいにテレビにかじりつく子供が、今日このあとに日本の、世界のどこかにいる。

会場の照明が落とされて、オープニングの音楽が流れて選手紹介が始まった。
一人一人呼ばれる選手の名前。
影山飛雄。
日向翔陽。
名前を呼ばれて入場ゲートから走って出てきた二人を、たくさんの声援と拍手が包む。
心臓はやっぱりバクバクとうるさくて、涙が出そうになるけれど滲んだ視界でこの景色を見るなんてもったいない。
ぐっと唇をかんで背筋を伸ばして。
今この時を身体全部で受け止める。


ボールを落とさないよう仲間と繋いで、何度でも繋いで、常に上を向いてボールを追いかける。
高く舞い上がったボールに合わせて飛ぶのか、高く飛んだ自分に合うようにボールが上げられたのか。
それが後者だとわかってしまったから、歓声と一緒にやっぱり涙が込み上げた。


(2020.07.19.)


最終回記念。
一日早いですが…
完結おめでとうございます。
最高の作品をありがとうございました!




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