いちごの憧憬

※夢っぽくないかもです








「誰かに用事?」

三年生の教室が並ぶ廊下を歩くのはとても緊張した。
だってまだ中学生になって数ヶ月だし。
先輩の知り合いなんて水泳部の人だけだし。
すれ違うたびに「一年生?」と囁かれるのは落ち着かない。
目的の三年二組の教室を前に足を踏み入れていいものか悩んでいたら、後ろから声をかけられて肩が跳ねた。

「えっ」
「呼ぼっか?」

振り返ると、女子の先輩が首を傾げながらそう言ってくれる。

「あの、なつ…あっ桐嶋先輩いますか?」
「夏也?オッケー、ちょっと待ってね」
「ありがとうございます!」

夏也先輩、と言ってしまいそうになって慌てて言い直したのに「夏也」と返ってきて少し驚く。
水泳部は下の名前で呼び合うルールがあるけれど、夏也先輩は他の人ともそうなんだな。
体育祭で応援団長をやるくらいだしきっと絶対友達も多いんだろう。

ちょっと待って、と言ってなんのためらいもなく教室に入っていったから、この先輩もこのクラスの人らしい。
窓際から二列目の後ろから三番目。
机につっぷしていた、塩素で少し色素が抜けた髪の毛をわしゃわしゃと先輩がかき混ぜた。

「なーつや!」
「…っ?!なんだ?!」

眠りが浅かったようで、夏也先輩はすぐに飛び起きる。

「後輩くんが呼んでるよ、起きて」
「おー…」
「よだれ垂れてる」
「タオル貸して」
「えっ絶対にイヤ」

周りのクラスメイトはそれを笑いながら見ているからそれだけでこの二人が普段からこんな感じなのかなって思った。

「芹沢、夏也がタオルほしいって」
「みょうじは俺を夏也のなんだと思ってるのかな?」

そう言いながらも尚先輩がタオルを差し出していてドッと笑いが起きていた。
この二人は部活の時と変わらないらしい。

「って真琴じゃねぇか、どうした?」
「夏也先輩!こんにちは!」

いつもの習慣でピシッと姿勢を正して挨拶。
さっきの女子の先輩…みょうじ先輩がそれを見て「えっ夏也って部活のときそんなに偉そうなの?」とからかうように言う。

「…なまえ、俺いちおう部長な」

ジトリとした視線をなまえと呼んだ先輩に向けてから席を立って教室の入り口まで来てくれた。





みょうじ先輩との接点…と言えるほどのものではないかもしれないけれど初対面はこの時で、二度目はわりとすぐだったと思う。

「あ、なまえ先輩だー」

体育の授業が始まる前にグラウンドに集まって本鈴が鳴るのを待っていたら隣のクラスの貴澄が言った。
ハルとクラスが分かれたときは悲しかったけれど体育は合同なおかげで貴澄や旭と仲良くなるキッカケができたっけ。
貴澄の視線の先は校舎の上の方で「え?」と俺が反応したら「ほら、三階の窓際のところ。顔出してる人いるでしょ」と教えてくれた。

「なまえ先輩だと?!貴澄、お前女子の先輩と知り合いなのか…?!」
「うん、バスケ部のマネージャーなんだよ。旭だって水泳部に女子の先輩いるでしょ?」
「そ、それもそうだな……」
「旭はすーぐいやらしいことに結びつけるからなぁ。旭のえっちー」
「な…!うるせーなぁ!」
「うるさいのは旭のほうだよ」
「郁弥は関係ねぇだろ!」

そんないつも通りのやりとりが聞こえたのかはわからないけれど、(聞こえていたら少し恥ずかしい)みょうじ先輩がこっちを向いた。

「あ、」
「ん?なぁに真琴」
「先輩がこっち見たから…」
「本当だ、なまえセンパーイ!」

先輩が貴澄に手を振って「体育?頑張ってねー!」と声をかけてくれる。
俺のこと覚えてないだろうなぁと思いながらも見上げていたら先輩と目が合った、ような気がした。
さっき貴澄にしたみたいに大きな仕草じゃなくて、小さく控えめに手を振ってくれた、ような気が、した。
だけど俺に向けてだという確信なんて持てなくて振り返すことはできず軽く会釈をして返事をした。

「え、真琴も知り合いなの?」
「いや、知り合いっていうか…」

なんて言えばいいかな、と考えていたら窓からもう一人、見知った顔がひょこっと出てきた。

「あっ」

多分いちばん最初に反応していたのは郁弥。

「夏也先輩!」

旭が背筋を伸ばして、それを聞いたハルも校舎を見上げた。
貴澄以外のメンバーがピシッと背筋を正したらやっぱりみょうじ先輩はけらけらと笑っていて、夏也先輩は多分「笑うな」とかそういう事を言って顔をしかめている。

「郁弥のお兄さんとなまえ先輩、仲良いんだねぇ」
「あの先輩、前うちに来てた」
「えっ夏也先輩の彼女か?!」
「知らないよ」
「仲良さそうだよねぇ」

郁弥の言葉に旭が食いつくと、郁弥は複雑そうに顔をしかめて貴澄はのんびりと返す。

「彼女…俺も三年生になる頃には……」
「旭は学年とか関係ないと思うけど」
「なんだとぉ〜?!」

彼女、かぁ。
誰が誰を好きとか、そういう話は小学生の時にもしている人がいたけれど俺はまだよくわからないや。
見上げた校舎の窓にはもう誰の姿もなくて程なくして本鈴が鳴った。






「あ、あの!」

知り合いといえるような間柄でもないのに声をかけてしまったのは、自分よりも小さな背中がよろよろと両手いっぱいに積まれたノートを抱えていたからだ。

「え?」
「こっこんにちは。あの、よかったらノート、半分、持ちます」

うわぁ、うまく言えなかった…!
どもりまくってしまった、恥ずかしい。
一年生の教室がある一階を歩いていたら、同じく一階にある職員室からみょうじ先輩が出てきたのだ。


「ありがとう…ってあれ、夏也の?」
「はい!」
「いいよー三年の教室遠いし、後輩に持ってもらうわけにはいきません」
「えっ」

まさか断られるとは思わなくて情けない声が出てしまった。

「あはは、うそうそ。せっかくだから持ってもらっちゃおうかな」
「は、はい!」

笑われた…だけど手伝いの許可をもらったことにホッとして、差し出してくれたノートを半分よりも気持ち少し多く手に取った。

「え、多くない?」
「大丈夫です!」
「さっすが男の子、水泳部で夏也にビシバシ鍛えられてるんだもんね」
「いえ、えっと、はい」

話すことが苦手なわけではないはずなのにみょうじ先輩が相手だと全然うまく話せなくて恥ずかしさのせいか顔が熱い。

「ふふ、部活楽しい?」
「はい、楽しいです」
「そっかぁ。水泳は昔からやってるの?」
「はい、SCに通ってて、」
「ごめん、えすしーってなに…?」
「あっすみません、スイミングクラブのことです」

へぇ〜!と、嫌な感じではなく相槌を打ってくれる。
俺も三年生になったらこんな風に後輩と話せるようになるのだろうか。

「せ、先輩はバスケ部のマネージャーなんですよね」
「うん、そうだよ。鴫野くんに聞いた?」

この前体育のとき仲良さそうだったもんね、と言われてやっぱりあの時は俺にも手を振ってくれていたんだと今更ながら思う。

「はい」
「鴫野くん、入学式の日から入部しますって部活に顔出してくれたんだよね」
「えっそうだったんですか」
「うん。すごいよね。社交性のカタマリって感じ」

どの部活に入るか、俺はなかなか決められなくて結局夏也先輩と郁弥の口喧嘩に巻き込まれるような形で水泳部に入ったっけ。
もしもハルと喧嘩したままでバスケ部に入ることを選んだとしたら、みょうじ先輩と同じ部活だったんだなぁ。
…なんて、水泳部にいない自分もハルと泳いでいない自分も想像できないけれど。

しどろもどろだけれど話をしていたらあっという間に先輩の教室についた。
少し前に感じた、上級生のフロアを歩くむずがゆさはまだあって今日は先輩といるからか余計に視線を感じるような気がしてしまう。

「ありがとう、ここで大丈夫だよー。上のってけくれる?」
「はい」

教室の前で、俺が持っていたぶんを先輩のぶんに乗せる。
ずしっと効果音がしそうな重さが先輩の腕に負荷をかけた。

「置いてくるからちょっとだけ待てる?」
「え、大丈夫ですけど…」
「すぐ戻ってくるね」

そういうとササっと教室に入って、ノートをどさっと教卓に置いたかと思うと自分の席だろう机にかけていたカバンから何かを取り出して、また廊下に戻ってきた。

「橘くん、手出して?」
「え、」

なんで苗字、と思ったけれど制服の胸ポケットに名札が付いているのだった。
動揺したまま右手を差し出したら、手のひらにコロンっと飴が一粒転がった。
白い包装紙に赤いイチゴが散りばめてプリントされている、よく見るイチゴ飴。
みょうじ先輩の顔をぱっと見ると「あげる」と目尻を下げて笑っている。

「手伝ってくれてありがとう」
「いえ、飴いいんですか…?」
「先生に見つかったら怒られるからこっそり食べてね」

中学校はお菓子の持ち込みが禁止だ。
先輩が人差し指を自分の唇にあててそう言うからなんだか悪いことをしているような気がして、それだけで三年生ってやっぱり大人だなんて思った。

「はい、ありがとうございます」
「こちらこそ」
「おい。何やってんだ」

低い声が聞こえたと思ったら同時に、横から大きな手が割って入ってきて飴を持っていた俺の手を掴むから背筋が一気に冷えた。

「っ……なんだ、夏也先輩かぁ」
「なんだとはなんだ」

いつもよりも低い声で話しかけてきたのは絶対にわざとだ。

「先生かと思って一瞬ほんとにビックリしたからやめて」
「はは、悪い悪い」

みょうじ先輩が俺の思ったことを代弁してくれて、うんうんと頷いていたら夏也先輩が「で、真琴何かあったのか?」と俺に向き直る。

「え?いえ、特には…」
「橘くん、ノート運ぶの手伝ってくれたんだよ。夏也に用はありませーん」
「別に用事がないのはいいけどお前に言われると腹立つな」
「橘くん、本当ありがとね。夏也のことが嫌になったらいつでもバスケ部に来てね」
「無視か。真琴、次からこいつに会っても無視していいからな」
「なんでよ!せっかくかわいい後輩と知り合いになったのに!」

かわいい、なんて子供の時ぶりに言われたかもしれない。
同学年の子よりも背が伸びるのが早くて未だに伸びている身長は夏也先輩とあまり変わらない。
それに弟と妹がいるから、かわいいという褒め言葉は下の兄弟へ向けて言われることばっかりだ。

胸がざわざわと鳴っている気がするのは言われ慣れない言葉にどう反応すればいいのかわからないから。
そうに決まっている。
夏也先輩がいつも来ている黄緑色のTシャツが今日はなぜかすごく先輩らしく見えて、自分がきっちりと上まで止めた制服のシャツに息苦しさを感じた。

タイミング良く鳴った予鈴に背を押されるように先輩たちに手を振って、イチゴの飴は先生に見つからないようポケットに押し込んだ。




(2019.09.02.)



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