となりの高尾くん

疲れた体を引きずるようにして家に着いても、部屋は真っ暗で人の気配なんてない。
学生の頃はあんなに憧れていた1人暮らしも働き始めて数か月経てばなんの新鮮味もおもしろみもなくて、無心で電気をつけて、すぐにテレビの電源を入れる。


(疲れた…)


今日も理不尽なことで上司に怒られて、先輩社員に嫌味を言われて、それでも不機嫌な顔なんてできない。
泣くことなんてできない。
愛想笑いをしている自分に嫌悪感すら感じるけれど、それでも明日も明後日も、仕事はある。
テレビから聞こえる笑い声を上の空で聞きながら、帰り道のコンビニで買ってきたお弁当をつついていたら、涙が出そうになった。


誰かに話を聞いてほしい。
でも誰とも話したくない。矛盾してるなぁ。
思考がぐるぐる堂々巡りで、行き場のないもやもやとした気持ちで心が落ち着かない。
悲しいのか情けないのか腹立たしいのか、自分で自分がわからない。


(もういらないや)


濃く味付けされているはずのお弁当の味がよくわからなくて残してしまった。
冷蔵庫から缶ビールを取り出して狭いベランダに出る。
夜風が気持ちいい季節になったなぁ。
最近は1日1日があっと言う間で、季節の変わり目なんて感じる余裕がなかった。
こうやってどんどん年を取って、知らない間におばちゃんになってしまうのかなぁ。

「そんなのやだなぁ」
「なにがいやなの?」

ちびちびとビールを飲みながら物思いに耽りそんなことを考えていたら、お隣のベランダからコンコン、という音と見知った青年がひょこっと顔を出した。

「なまえさん?」
「わ…高尾くんいたんだ…気付かなかった」
「うん、静かにしてたもん」
「盗み聞きよくないよーもう」
「ごめんごめん、でもなまえさん独り言全然言わないからなにも聞いてないよ」

相変わらず綺麗な顔で笑う高尾くんは、今年の4月にお隣に引っ越してきた大学1年生だ。
ここから電車で2駅の大学に通っているらしい。

「いやー寒くなったね」
「もう11月も半分終わっちゃったもんねーそりゃ寒いよー」
「この寒いなかベランダで防寒もせずに缶ビールって、なかなか寂しくない?」

くつくつと肩を震わせながら笑う高尾くんの顔は、陰りも疲れもなくてキラキラしている。

「余計なお世話ですーひとりで飲みたいときもあるんですよ、大人には」

つん、と言いながらビールを煽ると荒れてんねーと苦笑が返ってきた。

「寒いなら部屋入ってなよ、高尾くんまで風邪引いちゃうよ?」
「オレ体鍛えてるもん。だいじょぶだいじょぶ」
「お?まさかのスポーツマン?」
「まさかって、バリバリのスポーツマンですよ」
「え、現役の?大学で部活やってるってけっこうガチだよね」

高尾くんっていかにも大学生を満喫してますって雰囲気の、暑苦しいのとか苦手ですってタイプなんだと思ってたよーと勝手な感想を言うと、大きな口でカハハと、楽しそうに笑う。
スポーツってなにやってるの?と聞こうとしたところで、高尾くんが先に言葉を発した。


「で、なにがいやなの?」

小首を傾げながら聞いてくる高尾くんは、まだ19歳で、キャンパスライフ…ではなくスポーツマン生活を満喫しているに違いない。
そんな彼に会社のごたごたとか、大人の汚い部分なんて見せたくないな。

「なんでもないよー?」
「なんでもないって顔じゃないけどね」

にこにこしてるけど、目線が鋭い。

「疲れてるんなら、弱音吐いてもいいんじゃない?」

なまえさん頑張り屋さんだからーと少し茶化すように言うのは、わたしが重く受け止めないようにだと思うのは、考え過ぎだろうか。
目を合わせたら、愚痴を吐いてしまいそうで、そんな姿見せたくないと思ってただ目の前に広がる街を眺める。
職場と家を往復するだけの生活には疲れてしまって、希望を抱いてここに引っ越してきた3月の終わりがずっと前のことみたいに感じる。
最初はベランダから見える狭い空も夜が更けても明るい街灯も、なにも感じなかったのに今ではそのいつも通りの光景にひどく虚無感を感じる。

それでもこの子の前では笑っていたい。

「弱音なんて、吐かないよ」

へらっと笑うと、高尾くんが笑い返す。

「吐けないの間違いじゃないの?」

「オレさーわりと人のキモチの機微とかわかるほうだよー?」

だからオレには隠せないから、辛かったら辛いって言ってよ。

ね?
と言って目を細くして笑うと、わたしの手からビールを奪ってぐびっと一口煽った。

「あ、こら!まだ未成年でしょ?!」

慌てて取り返そうとするけれど、もう全部飲んじゃった、とまた笑う。
屈託のない笑顔が眩しい。

「なまえさんはさ、オレのこと子供だって思ってるからなにも言いたくないのかもしれないけど」

わたしと高尾くんを隔てている胸の高さまである壁にもたれながら上目遣いで諭すように話し出す。

「なまえさんが思ってる程、子供じゃないよ。まだ19だけど、19歳なりにいろいろ考えて、感じて、どうやったらなまえさんが笑ってくれるかなって、今も思ってるよ」
「え?」
「ビールだって飲めるしね」

さらっと驚くようなことを言うくせに、いつも飄々としていて、それでいて弱ってるところにすっと入り込んでくる。

「大人をからかうのはやめなさーい」

カラになった空き缶を奪い返そうと手を伸ばすと、パシッとその手を取られた。

「オレ、なまえさんには笑っててほしいんだよね、ちゃんとさ」

顔は笑ってるけど、目は真剣で、全部見透かされそうで思わず目を逸らししたらグイッと引き寄せられた。壁がなかったらやばかったかもしれない。

「ちょっと…!」
「まぁ言いたくないなら言わなくていいけど、無理に笑う必要ないよ。家でくらい、気ぃはらないでいていいんだよ?ここなまえさんちなんだから、ね?」

オレんちでもあるんだけどねーってまたへらっと笑う高尾くんの笑顔に、なんだか喉のあたりがきゅうっとして不覚にも泣きそうになってしまった。

「うん…そだね、ありがとう」
「どーいたしまして。ってか手ぇつめたーちゃんとあったかくして寝ろよ?」
「ん、高尾くんもね。スポーツしてるんなら、余計体大切にしないと」
「あーじゃあ、今度の土曜日にでもなまえさんの手料理食べたいなー1人暮らしって食生活偏っちゃってさぁ」

手を繋いだまま、でも目線は合わせないで夜景を眺めている横顔をまじまじと見つめると、鼻の頭が少し赤いことに気が付いた。

「あと、オレ今日誕生日なの」
「え?!」

あまりにもサラりと言うものだから、自分の思った以上に大きな声で聞き返してしまった。

「だから土曜日祝ってよ」
「え、てかごめん、わたし知らなくて…今日なにかしてあげられればよかったのに…!」

お祝いできるものあったかな…と部屋に入ってなにか探そうとしたら、繋いだままの手を強く引かれてつんのめってしまった。

「いいからいいから!オレも言うつもり別になかったし?」
「で、でも…聞いちゃった手前なにもしないって言うのは…」
「うん、だから土曜日。駄目?」

社会人のなまえさんに平日祝えーなんて無茶言わないよーと笑ってくれる高尾くんは、本当にわたしが思ってたよりもずっと大人だったみたいだ。

「いいよ、今日慰めてくれたお礼も兼ねて、うちおいで」
「やった、楽しみにしてる」

へへっと笑った高尾くんの顔はやっぱり年相応で、甘えてしまった自分を情けなく思う。


「んじゃ、もう寝ましょうかね」
「あ、ねぇ高尾くん」
「んー?」


「お誕生日おめでとう」



なるべく優しく笑おうとしたけれど、寒さで顔が強張ってしまってうまく笑えなかった気がする。
面食らったような顔をした高尾くんの反応を見て、タイミング間違えたかな…と不安に思うと、今度はくしゃくしゃの笑顔で「ありがと」と返してくれた。



繋いだ手を離すのは寂しくて急に寒さを思い出すけれど、もうさっきまでの心細さはなかった。

「また明日ね」


土曜日には思いを込めたおめでとうと、たくさんのありがとうを伝えるよ。


おやすみなさい、また明日。




(2012.11.21.)


高尾くんお誕生日おめでとう!
お酒は20歳になってからですよ!!
こんなお隣の大学生がいたら、そわそわしちゃって無理です!
おうちでもすっぴんでいられない!



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