時間よ止まれ、なんて

夏休みはあんまり好きじゃない。
そう言うと友達は信じられないような顔をした後に「まぁそうだよね」とニヤニヤ笑うのだ。






「…おかしい、こんなはずじゃなかった」
「……けどなまえ、夏休み学校ないの嫌だって言ってたじゃん」
「そうだけど!補習で来るのとは違うじゃん!」
「はいはい、わかったから課題やって。話してるときに先生来たらダルいから」
「…はーい」

期末テストの結果がよろしくなかった生徒だけで行われる夏休みの補習に、わたしは一教科だけ引っかかってしまった。
いいんだ、だってその科目は受験で使わない予定なんだから。
そう言っても単位は取らなければ進級できないわけで、暑い真夏の日にわざわざ学校まで来ている。
…唯一の救いは、仲の良いさっちゃんも一緒に補習だったことかな。

補習は三日間に渡って行われて、午前二時間、午後も二時間。
えっなにこのスパルタ。
普段からこれだけ勉強していたらきっと補習になんてならなかった。
内心でそんなことを思いながらなんとか午前中の課題を終わらせて、やっとお昼休憩を迎えたときにはもう疲労困憊だ。
持って来ていたお母さんお手製のお弁当を三十分で食べて(夏休みまでお弁当作ることになると思わなかった、とお母さんは嘆いていた)、残りの三十分の休み時間はさっちゃんとダラダラしようと思っていたのだけれど、午前中で疲れ切った脳みそがわたしに指令を送って来た。

「さっちゃん、わたし坂ノ下行ってくる」
「え、今から?この暑いなか?」

さっちゃんは信じられないという顔で「わたしは行かない」と言っているのが表情だけで理解できた。

「アイス食べたくなった」
「帰りに寄れば?」
「いま食べたい気分。そういうときあるでしょ?」

善は急げ、残り半分の休み時間を無駄にしないためにもお財布と携帯だけを手に掴んで立ち上がると、さっちゃんはやっぱり信じられないという顔のままで「いってらっしゃーい」と手をひらひら振るのだった。





上履きからローファーに履き替えて、冷房の効いた校舎を出ると真夏の日差しがジリジリと襲ってくる。
さすがに暑いなぁ…。
立っているだけで汗が出てくる。うん、夏って感じだ。
太陽に負けることなく足を一歩前に踏み出そうとした、その時。


「うおーーーーー!」

なんだかものすごい叫び声が、校舎裏のほうから聞こえてきた。
しかも一人の声ではない、複数人の男の子の声。


えっなに?


校舎裏には体育館とグラウンドがあって、夏休みに活動のある運動部の声だろうか。
それにしても気合い入れとか、声援とか、そういう類のものではなくて、さっきまで心地良く流れていた吹奏楽部の練習の音がプピー!なんて間抜けな音を立てて中断された。
もしかしなくてもさっきの叫び声にビックリしたのだろう。

他に目的があっても、近くで何かが起きているのであればやっぱり気になる。
アイスを買いに行くという選択肢はもちろん消えていないのだけれど、足が勝手に校舎裏に向かっていた。




「あざーす!!」
「おい翔陽!勝手に選ぶな!ジャンケンだ!!」

さっきよりも近付いた分、なにを話しているのか鮮明に聞こえるようになってきた。
どうやら体育館から聞こえてくるみたいで、グラウンドやテニスコートにいる運動部のみなさんが「またバレー部かよ」とか「この暑さでなんであんなに元気なの」とか呆れ半分、微笑ましさ半分という感じで話していた。

声の出所はバレー部らしい。
それがわかったら余計に気になってしまう。

今日、バレー部あったんだ。
ていうか多分ほとんど毎日部活あるみたいだけど。


…いるかな、いるよね?


なんて、もうミーハーというかこれは下心だ。
アイスも食べたいけど、時間がなくなるようだったら最悪自販機のミルクティーで糖分補給は我慢しよう。


わぁわぁと元気な声が未だに聞こえてくる体育館へ足音を立てないように近付く。
これだけ騒がしければ足音になんて誰も気が付かないとは思うけれど。
こっそり姿を見て、そうしたらすぐに立ち去る。
別に話がしたいわけではないし。
長い長い夏休みに、一目でも見られたらいいなって、それだけだ。

開け放たれた体育館の入り口の横から、こっそり、誰にも見つからないように中を覗き込む。
はたから見たら不審者だけれど幸い体育館の入り口が見える位置には誰もいない。

Tシャツにハーフパンツという格好の男の子たちがみんな棒突きのアイスを持って楽しそうに話している。
なるほど、さっきの叫び声の原因はアイスか。
コーチからの差し入れとかかな?
いいなぁ、わたしもアイス食べたい。


キョロキョロと目的の人物の姿を探すけれど、あれ、いない。
滅多に会えないからって見落とすはずはないのに、今日はお休みなのかな。

体調不良とか?
考えたところでわたしには知る術がないのだから仕方ないのだけれど、心配だな…と思ったところで、肩をポンっと叩かれた。

「みょうじさん?」
「ひゃっ、」
「あっごめん、驚かせた」
「す、菅原先輩」
「どーした?誰かに用事?」

探していた人物がまさか自分の後ろにいるなんて誰が思うだろうか。
本当だったらあの輪の中にいるはずなのに、なんでこんなところに。
わたしが体育館を覗いて首を傾げていた姿も見られていたのかな、恥ずかしすぎる。

「えっと、そういうわけじゃないんですけど」
「うん?」

歯切れの悪いわたしに不思議そうに瞬きをしている。

「菅原先輩こそ、どこか行ってたんですか?」
「あーうん、顔洗いに行ってた」

タオルでぽたぽたと落ちる水滴を拭きながら体育館の裏側を指差す。
そっちに水道があるからだ。

「そうなんですね。じゃあわたしはこれで!」

不審な行動を菅原先輩にこれ以上ツッコまれる前に逃げなければ。
一目見れたらいいな、という淡い期待がお話までできてしまった。
嬉しいはずなのに変な汗が出てきそう。

「あれ、なまえじゃねーか!」

歩き出そうとしたところで、今度は体育館から声をかけられてしまった。
わたし、隠密行動向いてないみたい。

「ゆ、夕…」

やたら声のデカいクラスメイト、西谷夕だ。
夕のせいでバレー部のみなさんの視線がこっちを向いてしまう。

「そーいやなまえ、補習あるって言ってたな!」
「夕ちょっとうるさい」
「みょうじさん補習抜けてきたの?大丈夫?」
「大丈夫です!いまお昼休憩なのでサボってるわけじゃないんです!!」

わぁーもう夕が余計なこと言うから菅原先輩にあらぬ疑いをかけられてしまった。
補習ってバレたのも恥ずかしいしサボりと思われるなんて不名誉すぎる。
必死に弁明しようとするけれど、菅原先輩は「あはは」なんてわかってくれたのか微妙な反応で、うぅ、泣きそう。

「お昼休憩、何時までなの?」
「え?えーっとあと二十分くらいあります」
「じゃあよかったら寄り道していかない?」
「寄り道、ですか…?」
「うん。西谷、まだアイス余ってる?」
「はい!スガさんの分も、なまえの分もあります!」
「じゃーふたつちょうだい」

菅原先輩はまだ外履き用のスニーカーを履いていて、体育館には入らないみたいだ。
夕がアイスを両手に持ってこちらに走ってきて、わたしはいまいち状況が飲み込めない。
先輩が夕からアイスを受け取って「サンキュ」なんて爽やかに笑う。

「みょうじさん、体育館蒸してるからあっちの日陰で食べよっか」
「え、これわたしがもらっていいんですか?みんなの分は?」
「いつも余分に買ってきてくれるから余ってるんだよ」
「そーそー!なまえは気にせず食え!」
「でもわたしバレー部じゃないし…お金払います」

手に持っていたお財布を握りしめて言ったけれど、菅原先輩が「本当にいーから」と持ち上げたわたしの手を制するように触れて下げさせた。
そのまま手首を優しく掴まれて、先輩に引っ張られるような形で体育館を後にする。

「なまえまたなー!補習頑張れよー!」
「夕ほんっとうるさい!練習頑張ってね!」

背中越しに聞こえてきた夕の声にこれ以上補習を強調しないでくれと思いながら返事をしたら、菅原先輩が声を出して笑った。
うぅ、本当恥ずかしい。




「ここでいっか。はい、アイス」

菅原先輩に連れられて体育館の入り口からぐるっと反対側に辿り着いたところで掴まれていた手首をパッと離されて、代わりにアイスを渡される。

「あ、ありがとうございます」
「いーえ。町内会の人がたまに差し入れしてくれるんだけど毎回余分にくれるから余った分は争奪戦になるんだよ。だからもらってくれて助かる」

そう言いながらアイスの袋を開けてシャリ、と一口かじった。

「みょうじさんも早く食べないと溶けるよ」

多分、まだ悪いなって思っているわたしが食べやすいようにしてくれている。
こういうことをさりげなくしてくれる人なんだよなぁ。

「いただきます」
「どうぞ。てかみょうじさんなんで体育館にいたの?」
「えっと…」
「うん?」
「本当は坂ノ下に行こうと思ってたんです。けど下駄箱出たらすごい叫び声が聞こえてきて、気になって」
「あーなるほど。確かに差し入れあるときの喜びっぷりはすごいよなぁ」

カラカラという効果音がつきそうに口を大きく開けて笑う菅原先輩の笑い方が好きだ。
初めて会ったときから、ただの委員会の後輩のわたしにも優しくて、夕と友達だとわかってからは余計に気さくになった。
月に一度しかない委員会の集まりが楽しみで、普段校舎で見かけることがあったらその日は一日幸せな気持ちになれるのだから不思議。

補習なんて最悪、と思っていたけれどこんな偶然があるんなら頑張れちゃうなぁ。

「夏休みだと、部活以外の人となかなか会わないからさ、」

菅原先輩が食べ終えたアイスの棒を袋に入れながら言う。
わたしの手の中のアイスはまだ半分くらい残っていて、早く食べないと溶けてしまうと少し焦る。

「みょうじさんに会えるなんて思ってなくて。残りの夏休み期間頑張れそうだなぁ」

多分、きっと、菅原先輩の言葉に特別な意味なんてないのだろうけれど。
たまたま部活以外の人間に会えたことを喜んでいるだけで、それがたまたまわたしだっただけ。
天然人たらしって罪だ。
まんまと引っかかった…っていうと言葉が悪いけれど、絆されてしまったわたしも単純だ。

「…はい、わたしも、補習頑張れそうです」
「補習、まだ何日かあるの?」
「明日と明後日もです…午前と午後それぞれ二時間やるんですよ、夏休みなのに鬼ですよね」
「鬼って。でもそっか、それじゃあ終わる時間バレー部とはズレてるなぁ」
「男バレ、頑張ってますよね。菅原先輩も春高まで残るって夕に聞きました」
「三年は最後だからね」

先輩の横顔を見て、菅原先輩は隣にいるのにずっと遠く先の方を見ているんだなと思う。
たった三日間の補習にひぃひぃ言ってるわたしなんかじゃ駄目だなって、なんとなく。

「よかったら県予選観に来てよ」
「えっいいんですか?」
「もちろん。応援は多い方が心強いし。無理じゃなければだけど」
「行きたいです!日程とか、夕に聞きますね」

社交辞令とかじゃなくて、行きたい。
菅原先輩がこんなにも打ち込んでいるバレー。
絶対絶対スケジュール空けて応援に行く。

「あー…うん。いや、俺が伝えるよ。誘ったの俺だし。みょうじさんいま携帯ある?」
「あ、あります」
「貸して」

素直に画面のロックを外して、菅原先輩に携帯を渡す。
綺麗に整えられた指先で、わたしの携帯を操作する先輩の伏せた睫毛に妙にドキドキした。

「これ、俺の連絡先。暇なときでいいから何か送っといて」

俺、いま携帯なくて…と謝る先輩に、ぶんぶんと首を横に振って「全然です」と返したらまた笑ってくれた。

わたしの携帯に、菅原先輩の連絡先が…!
嬉しさと驚きで表情筋が緩んで仕方ない。

「そろそろ時間か、戻る?」
「あっはい。…二十分ってあっという間ですね」

もっと話したかったな、というのは心の中で呟いて立ち上がりスカートを整える。
短くても先輩と二人で話せたし、自然な流れで連絡先教えてもらえちゃったし、アイスも食べられて今日はラッキーすぎる。

「明日も俺たち練習あるから、もし今日みたいに時間あったら気分転換においで」
「え、でも、邪魔じゃないですか?」
「んー」

んーって。
少し眉を下げて困ったように笑う菅原先輩のことを年上なのにかわいいなぁなんて失礼かな。
邪魔じゃないかという問いに肯定とも否定とも取れる返事で、菅原先輩は邪魔だなんて言わないと思うけれど、これはどういう意味なんだろう。

「邪魔じゃないよ。むしろ逆。みょうじさんに会うと元気出るから、来てくれたら嬉しい」
「…元気、出ます?」
「うん。午後練も頑張れそう」

さっきから嬉しいことが立て続けに起こって、ドキドキどころが心臓がぎゅうぎゅう痛いくらいだ。
暑さのせいでわたしの頭が自分に都合よく幻でも見せてるんじゃないかってくらい。

「俺もそろそろ戻らないと。補習頑張ってね」
「はい。あの…、」
「うん?」
「わたしも、菅原先輩に会えてすっごく元気出ました」

菅原先輩が夏の日差しにも負けないくらい眩しく笑った。



(2017.08.24.)

819の日おめでとうございました!
安定の遅刻…




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