雨雲の向こう

しとしと、降り続ける雨を教室の窓から眺める。
お昼ご飯を食べた後の五時間目の授業はとても眠たくて先生の声は呪文のように右耳から左耳に抜けていった。
毎週この時間に見下ろすグラウンドが今日は雨でぐちゃぐちゃになっていて、あの人の姿が見えなくてホッとするのと同時に、また心の中に黒いシミが広がるような気がした。


「みょうじって良く窓の外見てるよな」

やっと一日の授業が終わって、さぁ帰ろうとスクールバッグに必要な荷物を詰めていたら後ろの席から声をかけられる。
全く話さないわけではないけれど、雑談をする程仲が良いわけではないクラスメイトから話しかけられて一瞬自分だとわからなくてフリーズ。

「…え、そう?」
「えっ無意識?」

自覚がないわけではないけれど、自分で意識的に外を見ている時間は決まった授業のときだけだから「そう?」なんて疑問形になってしまったら、後ろの席の菅原くんが朗らかに笑った。

「あんま真面目に授業聞いてなさそうなのに成績良いよなー」
「褒められてるって認識でいいのかな…」

もちろん、なんて頷きながら言う姿はかわいらしくて、これは男女問わず人好きするわけだ。
三年生になってから早三か月。
先月の終わりに初めての席替えが行われて、運良く窓際・後ろから二番目の席を引き当てた。
そして気が付いたことは、水曜日の五時間目、つまりついさっきの時間割は、三年二組が体育だということ。

「菅原くんこそ部活ばっかりなのにいつ勉強してるの?」
「んー家帰ってからとか、休み時間とか」

きっと短時間に集中して課題を進めるのが得意なんだろうな。
せっかく話しかけてくれたのに「そっか」としか返せない自分のコミュニケーション能力に少し落ち込みながら、部活に行くと言う菅原くんを見送った。

「じゃあまた明日な」
「うん、部活頑張ってね」
「おう!」

……うーん、爽やかだ。







「…おい、スガどうした?」
「……ちょっと自分のコミュ力にへこんでるとこ…」

放課後、いつもの体育館。
部員が集まる前に軽くストレッチをしながら重たい溜息を吐いているところを大地に見られていることには気が付いていたけれど、込み上げる自らの情けなさが耐えきれなくてまた大きく息を吐き出せば見かねたように心配そうに声をかけられた。

「スガはよく周り見て声かけてくれてるけどな」
「あー…男相手ならなんも考えなくてもできるんだけどなぁ」

大地が「あぁ、なるほど」と苦笑いをした。

高校生にとって、教室の席というのはとても大切だ、と思う。
朝から放課後までのほとんどの時間をそこで過ごして、授業中は嫌でも目の前の相手が視界に入る。
そして先日行われた席替えで俺は窓際の一番後ろという最高の席を引き当てた。

ラッキー、と自分の机とイスを移動させて前の席の人物を確認したとき、一瞬だけ呼吸が止まった。

「あ、後ろ菅原くんだ。よろしく」
「おう。よろしくなー」

瞬時に返事ができた自分を褒めてやりたかった。
二年の時も同じクラスだったみょうじさん。
話す機会はほとんどなくて、挨拶とか必要最低限の会話しかしたことはなかったけれど、その度に浮き足立つ自分がいた。
つまり、そういうことだ。



「みょうじさん?」
「…そう」
「席前後だって喜んでたのにどうしたんだよ」
「んー……聞きたいことがあって話しかけたのに肝心なこと聞けずに即会話が終了した」

スガでもそういうことがあるんだなぁ、って大地は俺をなんだと思っているんだろうか。
女子と話すのが得意な男子高校生なんていてたまるか。

「聞きたいことって?」
「…みょうじさん、水曜の五限のときよくグラウンド見てんだよ」
「今日の五限って確か二組が体育だったか?」
「そう。どこかが体育やってるグラウンド眺めてる理由ってなんだと思う?」

なんて。
大地に聞いてもどうしようもないし、自分で聞いといてなんだけど答えはほぼほぼ出ている。

「あー…好きな奴がいる、とか」
「…だよなぁー」
「二組か。みょうじさんと仲良い奴いるのか清水に聞いてみるか?」
「いーよ。清水だってみょうじさんと親しいわけじゃないし、恥ずかしいし」

自分の中で出ていた答えを、他の人から聞くとダメージが倍増するらしい。
大地は相談に乗ろうとして話を聞いてくれたというのに、俺の心の傷は深くなってしまった。








お昼休み、自動販売機でジュースを買って教室に戻ると教室の前に一方的によく見ている人物が立っていて思わず歩みを止めそうになってしまった。
彼女が立ってうちのクラスを覗き込んでいる、それだけなのに廊下を通り過ぎる人たちの「清水さんだ」「今日も綺麗…」なんて小さな声がわたしの耳にも飛び込んできてジュースのパックを持つ手に力が入った。
清水さんの横を通って教室に入るのとほとんど同じタイミングで菅原くんが教室の入り口を見た。
一瞬だけ目が合って、すぐにわたしの後ろにいるであろう清水さんのほうに視線が動く。

「清水、なんか連絡?」
「うん。今日の練習なんだけど…」

綺麗な子は声までかわいいってなんでなんだろう。
神様は不公平だな。
聞こえてくる清水さんの澄んだ声を聞きたくなくて、わたしが戻ってくるのを待っててくれた友人にいつもより少しだけ大きな声で「ただいま、お昼食べよ」と言った。

清水さんは「綺麗な子がいる」と入学当初から噂になっていた美人さん。
そして男子バレーボール部のマネージャー。
あんな子がマネなんて、選手陣のやる気はそれはそれは上がるんだろうな。
きっと、菅原くんも。



「なぁ、みょうじさんって清水と面識ある?」
「えっ全然ないけど…なんで…?」
「いやー清水って二組じゃん?」
「うん?」

もうすぐお昼休みが終わることを報せる予鈴が鳴るなぁという頃合いで後ろの席からガタと椅子を引く音がして、いきなりそんなことを聞かれたけれど正直意図がわからない。
突然清水さんの名前を出されて変な汗が出そうなくらい心臓がバクバク鳴っていて、菅原くんの次の言葉を待つけれど、彼も「あー…」と少し言い淀む。

「二組に仲良い奴とかいる?」
「?特別仲の良い人はいないかなぁ」

なんだろう、何を言われるんだろう。
菅原くんの声はいつものように穏やかで、たまにしか話さない彼との貴重な会話なのに今は先生早く来て、とすら思ってしまう。

「いつも、」
「うん」
「二組が体育のとき、グラウンド見てるから。誰かのこと見てんのかなって」

ピシ、とわたしの周りだけ空気が固まる音がした。

そういえばこの間も、「良く外を見ている」と話しかけられて、あれは確か水曜日の五限の後だった。
しかもさっき清水さんの名前も出されたし、あぁこれはまずい。

「みょうじ?」
「……えっと」
「あーごめん言いたくないこともあるよな」

菅原くんの顔を窺うように見れば困ったように眉を下げて笑っていた。
たいして仲良くもないただのクラスメイトにまでこんな風に話しかけてくれて、優しくて、部活での彼はどんな風に過ごしているのだろう。
わたしの知らない菅原くんを知っている清水さんを羨ましいと思う。

「…羨ましいな」

あれ、わたし心の声、出た?

もう一度菅原くんの顔を見たら、「あ、やば…俺いま、声に出した?」って。

心の声が出たのはわたしではなくて菅原くんだった。

「羨ましいって、なにが?」
「えー…と、」

さっきからずっと歯切れが悪いけれど、わたしはエスパーとかではないから菅原くんの言わんとしていることが全くわからない。
今の話の流れで菅原くんが何かを羨むようなことはあっただろうか?

「二組の誰か?」
「ん?」

疑問に疑問で返されて、二人して頭の上にハテナを飛ばしながらする会話は進まない。

「みょうじさんが…二組の奴見てんだろーなって最近気付いて、好きな奴見てんのかなって」
「好き……って、え、ないない!違うよ!だって清水さん女の子!」
「え?清水?」
「あっ」

待って、これは変な誤解を生むのでは?

「違うの、清水さん見てたのは本当だけど、好きとかじゃなくて、」
「ちょっとみょうじさん落ち着いて」
「好きな男の子はちゃんと他にいるから!」
「えっ」

あぁ、穴があったら入りたいってきっとこういう気持ちのことだ。
だけど女の子を好きだと誤解されたままよりはいいよね、誰が好きかまでは言っていないし。

「…じゃあなんで清水のこと見てたの?」

わたしが一人で慌てているけれど菅原くんはさっきよりもトーンを落とした声でそんなことを聞いて来る。
もう清水さんの話も、好きな人の話も勘弁してほしいのだけれど。

「綺麗な人を見たいと思うのは人として普通のこと…というのは冗談で、」

菅原くんの顔が今まで見たことないくらいに歪んだから途中で軌道修正をする。
いつも爽やかにニコニコ笑っているからこんな顔するんだ…と素直に驚いた。

「清水さんみたいな人が近くにいるってどんな感じなのかなぁ、と思って…」

どう言えばいいのか考えがまとまらないまま、まっすぐな菅原くんの瞳に負けてぽろっと言葉を零す。
菅原くんはよくわからないという表情をしていた。

「やっぱりあんな人が近くにいたら好きになっちゃうのかな」

何も言わない菅原くんについ余計なことを言ってしまった。
バレー部は朝練もがっつりやっているらしいというのは女子バレー部の子に聞いたことがあって、朝も放課後も、清水さんみたいな人に甲斐甲斐しくサポートなんてされたら、わたしが男だったらコロッと好きになってしまう気がする。

「…みょうじさんの好きな奴ってもしかしてバレー部?」

ピシ、とさっきも一度固まったわたしの周りの空気が再び固まった。

「なん、で?」

いやなんでって、数秒前の自分の発言のせいなことは明らかだけれど。

「清水が仲良い男子なんて、いや仲良いって言うのかは微妙だけど、バレー部くらいかなって」

わぁ、菅原くんってやっぱり頭良いんだな。
ってそうじゃなくて、この場合わたしがバカなのか。
あれじゃバレー部に好きな人がいます、と言っているようなものだったかもしれない。

二の句を継げなくて、口を開けたり閉めたりしてしまう。
きっと間抜けな顔をしているだろうけれどなんと返せばいいのかわからない。
わかるのは、自分の顔が赤くなっているだろうことと、菅原くんが妙に真剣な顔をしているということ。

「大地?」
「え?」
「旭…も優しいしな、ヘタレだけど」
「えーっと、」
「二年ってこともあるか、田中も西谷も男前だし」

大地と旭は誰だかわかるけれど、田中クンと西谷クンはバレー部が外周をしているときに見たことあるかも?って程度だ。
多分坊主の子と背の低い子。
もちろん面識はない。

「一年ではないよな、さすがに」

菅原くんは真面目な顔をしたままうんうん唸り始めてしまった。

「…自分かも、とは思わないんだ……」

わたしの好きな人のことなんてどうでもいいだろうに、真剣に考え込む菅原くんの俯いた表情を見ていたらついそんなことを言ってしまった。
さっきから、秘密にしていた扉の鍵が緩むみたいにするっと言葉が出てきてしまう。

「いや、まぁ俺ならいいのにっては思う、けど……」
「え、?」

小さく呟いた声はチャイムの音と重なって聴き取られることはないだろうと思ったのに、菅原くんは耳まで良いらしい。
ぶわっと、漫画だったら効果音がつきそうなくらい自分の顔が一気に赤くなったのがわかる。
それを見た菅原くんが「…みょうじ、顔、赤いけど」なんて言うからなんでだろう、涙が出そうだ。


「みょうじが俺のこと好きならいいのにって、思うよ」


それは、どういう意味?と聞き返す前に授業開始の合図が鳴ってしまって普段はチャイムと同時になんて来ないのんびり屋の先生がガラッと教室の扉を開ける音がした。
この後の授業に身が入らないのは、きっとわたしも菅原くんも同じだ。



(2017.06.16.)

すがさんお誕生日おめでとうございます。




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