赤のスターチス

「なまえ?」
「んー」
「こっち向けって」
「宿題してるの、見てわかるでしょ?」

土曜日の夜。
クロがわたしの部屋に来ているけど何をするでもなく、わたしは月曜日提出の宿題をしていた。

「明日やれよ」
「いまやりたい気分なの」

なんて言うのはわたしのつまらない意地だ。
いまはクロに対して優しい顔なんてできないし、甘い雰囲気になんてなれない。







今日の部活は、梟谷まで出向いての練習試合だった。
いつもみたいにドリンクを準備しようと大量のドリンクホルダーを抱えて体育館を出たらクロが知らない女子に掴まっていた。

あーまたか…と思いながらもやっぱり良い気はしない。

クロはモテる。
背ぇ高いし運動部の主将だし人当り良いし、本当は意地悪で食えない奴ってわかっている子はあんまりいない。

話している女の子は制服だから対戦校のマネってわけではないだろう。
わざわざ試合を観に来たのだろうか。
クロを見上げる横顔が、かわいらしく赤く染まっていて胸のあたりがチクチク痛い。

(…それよりドリンク早く作らなきゃ)

視界の端で女の子が携帯をクロに差し出しているのが見えた。
連絡先でも聞いているんだろう。
そのあとクロがどうするのか、なんてことに口出しする気はないから水道に向かうべくその場を離れた。
少しでも早くそこから離れたかった。





「なまえさん」

無心でドリンクを作っていたら後ろから突然声をかけられた。
低くて落ち着いた声。

「赤葦くん」
「それ、一人で運べるんですか?」

それ、と言って梟谷バレー部の赤葦くんが指差したのは大量のドリンクボトル。
さっきは中身が入っていなかったから一人でも運べたけれど、容量いっぱいまでスポーツドリンクが入ったボトルを体育館に持っていくのは最低三往復はしなければいけないだろう。

「ちょっと無理。赤葦くん手伝ってー」
「はいはい」
「えへへ、ラッキー」
「ラッキーって…最初から手伝うつもりで来たんでいいですけど」

赤葦くんはひとつ年下の二年生なのに、すごく落ち着いている。
先輩である木兎くんがぶっ飛んでるから落ち着かざるを得なかったのかもしれない。

「なんか暗い顔してましたけど、なにかありました?」
「え、そんな顔してた?」
「眉間にシワよってました」

そう言いながら赤葦くんが自分の眉間に手を当てる。
その顔が妙に真面目だから少しドキッとした。
んー、と曖昧に返したところで体育館の入り口からクロが顔を出して「なまえおせーよ」ってわたしのことを呼んだ。
続いて木兎くんが「赤葦なにナンパしてんだ!」と至極楽しそうに言った。

「なまえさん、体調悪かったら言ってください」

わたしが音駒サイドに、赤葦くんが梟谷サイドに分かれるときに表情を変えずにそう言われて、合宿とか練習試合で顔見知りになっただけなのに優しい子だなぁって軽く感動した。




それに比べてクロは。

「おせーよ」って。
そりゃ試合に出てる選手のほうが大変だろうけど1人でマネージャー業やるのってそんなに楽じゃないよ?
普段はなんとも思わないはずの言葉も、今は軽く流せなかった。

「なまえ体調悪いのか?」
なんて今更顔を覗き込まれても、ささくれ立ったわたしの心には不愉快なだけだ。

「別に平気。それよりクロは機嫌いいみたいだね。他校でも女子にモテモテとか、そんなんで負けても慰めてあげないからね」
「はァ?」



馬鹿はわたしだ。
こんなこと言ってほんとにかわいくない。
おろおろしている研磨に「なんでもないよ」って向けた顔はちゃんと笑えてたかな。




その日の練習試合は3試合やって1勝2敗。
梟谷にはなかなか勝ち越せない。
実力が拮抗しているチームとの練習試合はお互いに得るものが大きいけれど、やっぱり負けるのは悔しい。

音駒に一度戻ってその日の反省会も兼ねたミーティングを終えて、家に帰る。
クロと研磨と一緒の帰り道はもう何年目かわからないほど慣れたものだけれど、今日はクロとうまく話せない。
研磨は人の機微に敏感だからわたしの様子に気付いて心配してくれていて、ちょっと申し訳ないなぁ。





「じゃあ、また明日ね」
「お疲れ様」

二人と帰り道が分かれるところで、また明日と手を振ると研磨が緩く口角をあげる。
わかりにくい研磨の表情の変化に、荒んだ心がちょっとあったかくなって「ばいばい」と金髪頭を撫でた。

チラッとクロのほうを見上げたら、それはそれは不機嫌ですって顔に書いてあるクロがわたしを見下ろしていて、「なに…」と聞けばわたしの言葉を無視して研磨に話しかける。

「研磨、俺こいつんち寄って帰るから今日は一人で帰れ」
「は?!」
「…わかった」
「え、ちょっと待ってなんで?」
「明日寝坊すんなよ」

クロと研磨が、わたしの頭の上で会話を完結させて研磨はさっさとわたしを置いて行ってしまった。

「……」
「おい、帰るぞ」
「クロの家はあっちだけど」

ぶすっとした顔で研磨の歩いて行った方向を指差すと、その手を取られて「お前んちはこっちだろ」とわたしを引っ張るように歩き出した。

「ほんとに来るの」
「こんなとこで嘘ついてどーすんだよ。たまにはいいだろ」
「疲れてないの?」
「おーすっげ疲れてる」
「じゃあ返ってシャワー浴びて寝たら?黒尾主将」

手を振り払おうとしたら逆にぎゅっと力を込められてしまった。










「おい、せっかく来たのに宿題やるってどういうことだよ」
「勝手に来たんじゃん、誰も頼んでないよ」

そう、頼んでない。
むしろ今日はなるべく関わりたくなかった。

部屋のローテーブルで英語の教科書とまだ数行しか進んでいないノートを広げる。
クロのことはなるべく意識から外そうと思ったけれど、ひたすら話しかけてくるからそうもいかない。

「さっきから全然進んでねーな」
「…クロが話しかけるからだよ」
「ここ間違ってる」
「え」

英文の横に書いた日本語訳を、指でさして指摘される。

「教えてやろーか」

にやにや笑う顔がむかつく。
人の気も知らないで飄々としている態度がむかつく。

「…別にいいですー自分でやることに意義があるんですー」
「ほー当てられて恥かいても知らねーからな」

なるべく関わりたくない、なんて思っていても話しかけられたら返事しちゃうし、クロのテンポについ合わせてしまって悔しくなる。

「もう本当うるさい、勉強してるんだから黙ってて。てか帰って」

ぷいっと顔を背けてそう言ったところで、テーブルに置いていたわたしの携帯が震えた。
着信はすぐに止まらず、メールではなくて電話であることがすぐにわかる。

誰だろう、と確認しようと携帯の画面を見たら、
「え、赤葦くん?」
予想外の人の名前が表示されていて思わず声に出してしまって自分で自分の口を押さえたけれど時すでに遅し。

「はァ?赤葦?」

いつの間にかすぐ隣に来ていたクロがわたしの手元を覗き込むから、咄嗟に自分の体の後ろに携帯を隠した。

「おい、なんで隠すんだよ」
「人の携帯覗き込むなんて悪趣味!」

言い合いをしている間に赤葦くんからの着信は切れてしまった。

「なんで赤葦から電話なんて来るんだよ。つーかなんで番号知ってんだよコラ」
「前に合宿で聞かれたから…断るのもなんか自意識過剰みたいで変だから連絡先交換しただけだよ。別にそれくらい良いでしょ?」
「いやいや、良くねーだろ」

だって赤葦くんだよ?
梟谷の子だよ?年下だよ?
顔見知りの子に連絡先教えただけで睨まれてるなんて理不尽だ。

自分だって女の子に話しかけられてニコニコおしゃべりしてたくせに。

口を開いたら不満とか文句ばっかり出てきそうで何も言わないでいたら、クロが先に言葉を発した。
話し出す前に大きな溜息を吐かれて腹立たしさが増す。

「…電話、よく来んの」

疑問形のはずなのに語尾が強い。

「…たまに?」
「たまにってどんくらい」

赤葦くんごめんなさい。
そう心の中で謝って嘘をついた。

電話が来たのは初めてで、メールだってアドレスを交換したときに「よろしくお願いします」って礼儀正しい挨拶メールが来ただけだ。

赤葦くんを悪者にしてまで嘘をついたのは、クロにやきもちを妬いてほしいっていう浅はかな考えで。
こんなことしても怒らせるだけで、いつだって余裕綽々なクロが嫉妬するなんてありえないって頭のどこかではわかっているのに。

「練習試合のあととか、合宿のあととか」
「お前さぁ、」

あ、また溜息。

「嘘つくとき目ぇ泳ぐ癖、全然治んねーな」
「…え?」

パッと顔をあげてクロの表情を窺うと、それはもうむかつくようなニヤニヤした顔でこっちを見下ろしていた。

「まぁ今赤葦から電話来たっつーのは本当だろうけど、たまに来るってのは嘘だろ」

お前がなに考えてるかなんて顔見りゃすぐわかんだよ。
そう言うクロはやっぱりニヤニヤしている…のかと思ったら笑みは引っ込んでいて、あんまり見せないような真剣な顔をしている。

「今日の女子のこと気にしてんなら謝るけど、実際なんもねぇのに愛しの彼女に不機嫌な態度とられたら鉄朗くんだって傷つくんですヨ」

するり、とクロの無骨な手がわたしの頬を撫でる。
口調はふざけているのに、こっちを見つめている目がひどく優しくてずるいなぁと思う。
わたし、怒ってたのに。

「赤葦がお前のこと気に入ってんだろうなってのもわかってるから正直いまけっこうムカついてるけど、俺が女子と話してるだけで動揺するとかかわいすぎるから広い心で許す」
「別に…動揺なんてしてないけど…」
「じゃあなんで不機嫌だったの」

ここで不機嫌なんかじゃないって言っても堂々巡りなんだろうな。
でも素直になんて、今更なれない。
返事をしないわたしを見下ろして、クロが溜息をついた。

「…まぁもういいけど。機嫌治せよ、せっかく二人っきりなのに」
「クロが無理やり付いてきたんじゃん…二人っきりもなにも、わたし宿題したい」
「真面目かよ」

くつくつと笑いながら床に置いていたわたしの手を握って、もう片方の手が後頭部に回る。
クロにはわたしのやきもちも、嘘も、全部バレている。
悔しいと思いながらも唇に振れた柔らかい熱を拒否する術なんてわたしにはなかった。


(2016.11.17.)

クロお誕生日おめでとう!



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