リボン結びをほどく

「就活ですか?」
「え、」

暇さえあれば通っている地元のカフェがある。
チェーン店だけれど、温かい雰囲気とかラテのふわふわのミルクとか、なんとなく他の店舗よりも好きで駅に着いてから家に帰る前に寄るのが日課。

今日もお気に入りのチャイラテを飲みながら本とノートを広げていたら店員さんに声をかけられた。
通い詰めていたし店員さんの顔もほとんど把握はしていた。
頭上から不意打ちで降ってきた言葉にすぐには頭が働かなかったけれど、「就活ですか?」と柔らかい笑顔で話しかけてくれた店員さんのことも昔から…というと大げさだけれどは知っていた。
ふわふわな色素の薄い髪の毛と泣きぼくろと、何より笑顔が印象的な人。


「あっ突然すみません、最近よく難しそうな顔してるなぁって思ってて」
「いえ…そんな顔してましたか?」

自分の頬に手をあてながら見上げればニコニコと笑顔を崩さずに「はい」という返事。

「就活、俺も去年やってたんでちょっとは気持ちわかります。しんどいですよね」
「あー…まぁまだ本格的には始まってないので…」
「もう筆記の対策してるんですか?偉いなぁ」

開いていたSPIの参考書を閉じながら思わずため息が出てしまったのは、なんとなくこの店員さんの人懐っこい笑顔にほだされたからだろうか。

「他に何すればいいのかわからなくて。志望の業界とか絞れてないだけなので全然偉くないです」
「俺も直前まで業界絞ってなかったですよ、いろんなとこ受けました」
「えっそうなんですか。ちなみに何系に就職決まったんですか?」
「スポーツ用品のメーカーです、昔からバレーボールやってたんで」
「へぇーおめでとうございます」
「ありがとうございます、頑張ってくださいね」

初めて話したときはこんな会話だったと思う。
話をしながらチラッと名札を見てしまったのは別に深い意味はなくて、「菅原孝支」という名前を頭に入れたものの呼ぶことはないんだろうなぁと思っていた。





「あっこんにちは」
「こんにちは」
「今日は何にしますか?チャイ?」
「えっ」
「え?」
「お客さんの好きなもの、覚えてるんですね」
「…まぁ、常連さんのは自然に覚えちゃいます」
「すごいですね、えっと…けど今日はこの限定のにします」
「かしこまりました」

サイズを告げてお金を払って、「赤いランプの下でお待ちください」というお決まりのセリフを言われて会釈をしてレジをあとにした。
ここのカフェはレジとドリンク作業は分かれていて、ドリンクを渡してくれる人は作ってくれた店員さん。
だから菅原さんとは今日はもうお話しないかなーと思っていた、のに。

「お待たせいたしました」

カウンターからドリンクを出してくれたのは菅原さんだった。

「あ、りがとうございます」
「?」
「ドリンク、菅原さんが出してくれると思わなくてびっくりしました」

そう正直に言えば今度は菅原さんが驚いたような顔。
わたし変なこと言ったかな?

「名前、知ってたんですね」
「あっすみません…急に名前言われたらびっくりしますよね」
「いえいえ、名札見ればわかりますもんね」
「みょうじです」
「え?」
「わたしの名前、みょうじなまえって言います」

顔見知りみたいになったのに一方的に名前を知っているのもな…と思って名前を言ったらまたきょとんと、男性にしては大きな瞳が揺れた。

「みょうじさん、律儀だなぁ」

そう笑ってくれた菅原さんの笑顔は接客業の営業スマイルではなくて、今まで見てきた笑顔よりも柔らかくて、効果音をつけるとしたらふにゃって感じで。
なんだか照れくさくて、お礼を言って菅原さんが作ってくれたというドリンクを受け取ったらそそくさと席についた。
甘いチョコレートのドリンクに心まで溶けていくような感覚。
体がぽかぽかするのは、温かい飲み物のおかげだけではない気がした。




そのカフェに行くときは菅原さんいるかな?って真っ先に姿を探すようになってしまった。
目が合ったらにっこり笑ってくれたり、お店が落ち着いているときは声をかけてくれたり、今までは地元だからって平気ですっぴんで行っていたのに、もうすっぴんなんてとんでもない。
今日も今日とていつものカバンに勉強道具を詰め込んで家を出た。
誰に会うわけでもないのに髪の毛を巻いてしまったのは別に今日がバレンタインだからとかではない。
だってチョコなんて用意していないし。
いくら顔見知りになったからって、ただのお客さんからチョコなんてもらっても困るだろう。
他のお客さんとか店員さんの目もあるし、無理無理。

っていうか別に、好き、とかじゃないし。
かっこいいなぁっては思うけれど。
それだけだし。



日曜日ということもあってお店はいつもより賑わっていた。
親子連れも多くて、テーブル席は空いていなかったのでカウンターの席に荷物を置いてレジに並んだ。
菅原さんは…今日はいないのかなぁ、見当たらない。
日曜日だし、バレンタインだし、もしかしたら彼女とデートかな。
彼女、いるのかな。
あんなにかっこよくて人当たりもよければ彼女くらいいるよね。

あれ、わたしなんで落ち込んでるんだ。


以前菅原さんが作ってくれたものと同じドリンクを注文したけれど、なんだか今日のは味がしない。
バレンタイン限定のチョコレートのドリンク、甘いはずなのになぜか苦くすら感じて、開いた参考書の文字を追っても全く頭に入ってこない。

今日は集中できないからこれを飲み終わったら帰ろうかな…と思いまた一口飲んだ。



「みょうじさん、今日も頑張ってるねー」

いつかみたいにいきなり頭上から降ってきた声はもうすっかり聞き慣れた声で、呼ばれることに違和感がなくなった名字はどうしてこの人に呼ばれると甘く意味を持つのだろう。
いつの間にか敬語が取れていたくだけた口調ですらこそばゆい。

「菅原さん…今日いないのかと思いました」
「休憩行ってたんだ。あ、隣いい?」

なんだ、休憩取ってたんだ。
毎日いるわけではないってわかってるのに、今日シフト入ってるんだってなぜか安心した。

「どうぞ、休憩まだ時間平気なんですか?」
「うん、あと10分くらいだけど。みょうじさんがいるの外から見えたから早めに戻ってきた」
「…菅原さんってコミュ力高いですよね……」
「あはは、ありがとう?」

わたしがいたから早めに戻ってきた、なんて。
そんなこと言われたら嬉しくて、深い意味なんてないはずなのに緩みそうになる顔を隠すように俯いた。

「勉強順調?」
「ぼちぼちって感じです。自己分析とか業界絞るのが進まなくて…」
「あー」
「自分のことって考えれば考えるほどわからなくて」
「だからまた難しい顔してたんだ」
「未来が見えません…ってこんなこと言われても困りますよね」
「いやいや。よかったら、今度俺の就活ノート見る?自己分析とか他己分析とか、なんでも書いてたノート」
「え、いいんですか?」
「うん、俺の悩んでたこととかもぜーんぶ書いてるからちょっと恥ずかしいけど。今度持ってくるよ」
「ありがとうございます…」

そろそろ戻らないと、と席を立った菅原さんはよく見たらいつも付けているエプロンをつけていなくて、ただのシャツとデニム姿なのにそれさえかっこいいってどういうことだろう。
お仕事頑張ってください、って言ったらみょうじさんも勉強頑張ってね、と言ってくれて、なんだかそれだけですごく頑張れる気がした。
さっきまで味がしないと思っていたドリンクはいま飲んだら甘さが胸に沁みた。




「今日もお疲れさま」

そろそろ帰ろうと思って荷物を片付けていたら、図ったように菅原さんが声をかけてきてくれた。

「菅原さん」
「あのさ、これ俺の連絡先。次来るとき連絡くれたらノートその日に持ってくるよ」
「え…あ、わかりました」

菅原孝支、という名前と電話番号とアルファベットが書かれたメモを手渡されてぎょっとしたけれど、なるほど、さっきの約束のためか。

「あとこれ」

メモをまじまじと見て、字綺麗だなぁなんて思っていたら、わたしの目線とメモとの間にずいっと小さな箱が差し出された。
ネイビーの箱に、赤いリボンが結ばれたそれは最近色めき立つ街に溢れているもののようで、「え、え、?」と言葉にならない声を発することしかできない。

「あげる、チョコ。今日バレンタインだから」
「え、っと。確かにそうなんですけど、え?」
「逆チョコって言うんだっけ?いつも頑張ってるからご褒美」

疲れた頭には糖分!って満面の笑みを浮かべる菅原さんに、カーッと顔に熱が集まる。

「菅原さんコミュ力っていうか、女子力高い…」
「それ褒めてる?」
「めちゃくちゃ褒めてますよ、すごく嬉しいです」
「ならよかった!」

ホワイトデー期待してるなっていまだに呆けているわたしの頭をくしゃっと撫でられて、あぁ今日髪の毛巻いてきてよかったなぁと思った。


(2016.02.14.)

ハッピーバレンタイン!



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