「音也くん、眠れないの?」
泊まっている旅館のロビーでぼーっとしていたら後ろから声をかけられた。
温泉をあがって、少し涼むつもりでいただけなのにいつの間にかけっこうな時間が経っていたみたいだ。
「なまえ、」
「こんな時間まで音也くんが起きてるなんて珍しいね」
「うん、なんか目ぇ冴えちゃってさ」
今日もすごい盛り上がりだったもんね、と持っていたペットボトルの水をテーブルに置きながら、なまえが隣に座った。
ST☆RISHの夏のライブツアーが折り返し地点まで来た。
今まで行ったことのある東京・大阪だけではなく、北海道・福岡・名古屋も回る初めての全国ツアーだ。
「なまえも温泉入ったの?」
自分の膝のうえに置いていた彼女の手を取る。
いつもより体温を高く感じるのは風呂上りだろうか。
緩く握った手を特に驚くこともなく受け入れてくれたなまえが、「うん、疲れも飛ぶねー」と笑う。
「あ、でも明日もあるんだから音也くんは早く寝ないと」
「寝なきゃって思うと余計寝れなくてさ。なまえが一緒に寝てくれるなら寝れるかも…なんて、」
言いながら盗み見るようになまえの顔を覗きこんだら、今日は甘えたさんだねって苦笑されてしまった。
「本気なんだけどなー」
苦笑に苦笑で返すと、眉毛を八の字に下げる。
困った顔もかわいいな、なんて思うけれど、困らせたいわけではないからすぐに引き下がった。
「ごめんごめんっもう部屋戻ろっかな」
謝らなくてもいいけど…と言いながら一緒に立ち上がるなまえの、少し濡れた髪の毛から覗く耳が赤い。
旅館の中とはいえ、誰に見られるかもわからないから繋いでいた手を離す。
名残惜しいけど。
代わりに、「部屋まで送るよ」と言えば柔らかく笑うなまえがありがとうって返してくれる。
「でさー、今日控え室でお菓子食べてたらトキヤに白い目で見られてさー」
「一ノ瀬さんらしい…」
「ライブで消費するんだからいいじゃんね」
「音也くん太らないしね」
「んーでも最近筋トレしてるんだよ」
決して広くはない旅館を、なるべくゆっくり歩いて、ずっと部屋に着かなきゃいいのになって。
東京にいるときは同じ家に住んでいるのに、少しだって離れていたくないと思う。
なまえも同じふうに考えていてくれるといいのだけど。
「あ、部屋ここなの。送ってくれてありがとう」
「どういたしましてっ」
「明日も頑張ろうね…ってわたしは観てるだけなんだけど」
「なに言ってんの。明日もよろしく」
作曲家であるなまえは、実際はコンサート中は仕事はないのだけど、編曲だとか演出だとかにアドバイスをくれる。
いないと困る存在だ。
部屋の引き戸に手をかけて、おやすみなさいって言うなまえの手を取る。
「音也くん?」
「…ごめん、やっぱりもうちょっとだけ話したい。だめ?」
大きい瞳がきょとんとして、すぐにやんわり細めるようにして笑みに変わる。
「じゃあ、ちょっとだけね。ここじゃ目立っちゃうから、中入る?」
「ん、俺の部屋だとトキヤと一緒だからなまえの部屋のほうがいいかも」
お邪魔します、と言ってなまえの部屋に入ると、俺達の部屋より少しだけこじんまりとした和室だった。
仲居さんが敷いてくれたのであろう布団が部屋の中央にあって、いつもと違う状況に少し緊張する。
布団の横に追いやられた座椅子と机の上には、備え付けの電気ポットと湯呑、茶葉があって、なまえが手際良くお茶を煎れてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
温泉で十分温まったけれど、ロビーで話しているうちに少し冷えたのか煎れたてのお茶は体に沁みこむみたいに感じた。
ふぅ…と一呼吸置いて、また話し始める。
「コンサートってさ、それぞれの場所でおかえりー!って言われるの。なんかおもしろいよね」
「そっか、北海道だったら四ノ宮さんの出身地だったし、福岡は一ノ瀬さん、名古屋は翔くんが」
「そうそう、みんなが実はここの出身で〜って言うと、知ってるー!って返してくれたあとにおかえりって言ってくれんの。そういうのあったかくていいよね」
ずっと誰もいない道で、1人で立ち尽くしてた。
笑顔の裏で隠した感情に自分だけは見て見ぬフリができなくて、本当の自分がわからないときもあった。
温もりを求めて伸ばした手の行き場がなくて、ぐっと握り締めてなかったことにして。
寂しさなんて笑顔でごまかして、歌うことで飲みこんで。
「音也くんの場合は東京だよね」
「うんっ東京は最後だから楽しみだなー」
ツアーの合間でもブログやtwitterは更新するようにして、地方公演の話やその土地で食べたものとかメンバーの裏話をするとファンのみんなの反応がダイレクトに返ってきて楽しい。
『早く東京にも来てほしい』、そう言ってもらえることが嬉しい。
「…音也くん、さらに目ぇ冴えちゃったんじゃない?」
「え?確かにそうかも。なまえと話してると時間忘れちゃうね」
正直に気持ちを言ったら照れたように笑って、嬉しいけど睡眠時間削っちゃうのは駄目だよってすぐに真剣な顔になる。
大好きな彼女であると同時に、大切なパートナー。
一人で抱えていたものをなまえが溶かしてくれて、包んでくれた。
勇気づけてくれて励ましてくれてありがとう、なんて言ってもらったこともあるけれど、それは俺のほうで。
なまえがいてくれるから俺はアイドルとしてステージに立つことができるんだって本気で思ってるよ。
なまえの曲に、俺の気持ちを乗せて歌う。
それだけのことが特別で、一人じゃないんだって思えた。
なまえの曲で俺達七人がひとつになって、ファンのみんなの声援がひとつになる。
ほら、君は俺にとって、唯一無二のいなくちゃ困る大切な人なんだよ。
「ねぇ、やっぱり一緒に寝ちゃ駄目?」
「えぇ?」
これで断られてしまったらもう諦めよう、大人しく一人で眠ろうと思った。
だけど俺の上目遣いと、ちょっとだけ低い声になまえが弱いっていうことは知ってる。
だからこれは確信犯。
「…今日だけだよ?」
「いいの?!やったー!」
「だけどその分みんなより早起きして部屋に戻ってね?一ノ瀬さんにバレたらすっごく怒られるの目に見えてるんだから」
そんな風に言うけど、なまえだって満更でもないこともわかってる。
華奢な体をぐって引き寄せたら簡単に俺の腕の中に収まって、「わかってるよ」って言ったら小さい声で「ほんとかなぁ」って返ってくる。
抱き締めた腕を緩めずに、そのまま狭い布団に寝転んだ。
「あー…なんか寝れそう、すっげー落ち着く」
「大丈夫?狭くないの?」
「なまえちっちゃいから全然大丈夫」
とくんとくんって聞こえてくる一定のリズムが、俺のものなのかなまえのものなのかわからないけれど、それが心地良くて。
さっきまでとても眠れそうになかったのに途端に眠気がやってくるから不思議。
なまえからマイナスイオンみたいな特殊な何かが発せられてるのかなって思ってしまう。
うとうと、まどろむ思考の中でキラキラ笑うなまえを見た。
ピアノに向かう君、俺の歌を楽しそうに聴いてくれる君。
どんな君も大好きだよって言えるけど、できれば俺の隣で笑っていてほしい。
そう思う一方で、辛いとき、しんどいときは頼ってほしいっても思う。
俺がなまえにしてるみたいに、寄り掛かってほしいなって思うんだ。
デビューして数年経って、一緒にツアーを回れるくらい仕事も順調で。
ここまでの道のりは楽しいことばかりじゃなかったけど、全部ひっくるめて笑えるくらい今が幸せだよ。
明日も最高のライブを、みんなで届けるために今はこうして甘えさせて。
なまえがいるから、俺はまっすぐ前だけ向いて歌える。
(2015.04.12.)
音也くんお誕生日おめでとう。
遅刻でごめんなさい。
21歳の音也くんも大好きです。
お部屋まで送るよってあたりからもう確信犯、
そんな音也くんが大好きです。
すきすき。