優しさに揺れて溶けて君になる

本日、6月13日の授業が全て終わって、帰りのホームルームは先生の話なんてほとんど頭に入ってこなかった。
号令が終わるのと同時に、先輩より早く着かなければ、とカバンをひっつかんで教室を飛び出した。











「あれ、どうしたのみょうじ。こんなとこ座り込んで」
「菅原先輩」
「誰かいて着替えられない?」

部室棟の階段の下で、ジャージに着替えることなくうずくまっていると菅原先輩がいつもみたいに爽やかな空気を纏って現れた。

「あー…そうなんです、田中とかまだいて」
「マネージャーも着替えるスペースあればいいんだけどなーいつもごめんな」
「もう2年だし、慣れましたよ」

烏野高校バレー部には広い部室が与えられているけれど、女子マネージャーは着替える場所がなくていつも男子が使っていない隙に手早く着替える。
最初はビクビクしながら着替えたものだけど、選手たちも気を遣ってくれるし今では手早く着替えられるようになった。


「…というか、実はなんか具合が悪くて…」
胃のあたりを抑えながらいつもより声のトーンを落として言うと、菅原先輩の顔色がサッと変わって「え、まじで?」とわたしの顔を覗きこむ。

先輩は心配してくれたのに、思わぬ距離の近さに一気に顔に熱が集まるのがわかった。

「あ、なんか顔赤い。熱あるかもな」

それは菅原先輩にときめいたからです、なんて言えるはずもなく、曖昧に笑って見せる。

「大丈夫?保健室行くか?」
「はい…ちょっと休んできたいんですけど、1人で立てなくて…」
「保健室まで付いてってやるから、ほら、掴まって」

想像通りの言葉をくれた菅原先輩が差し出してくれた手を繋ぐ。
触れた指先を包み込むように握ってくれた手が暖かい。
彼氏彼女になってしばらく経つけれど、何回経験しても手を繋ぐこの瞬間は慣れなくて、繋いだ手のひらが少し硬いことも前から知っていることなのに、あぁ頑張っている人の手だなぁっていつも胸がきゅってなる。

と、同時に罪悪感が湧いてきた。


(あぁ先輩ごめんなさい)



「掴まっていいからな」

ぐっと手を引きあげてくれた菅原先輩は本当にどこまでも優しくて、掴まっていいって言いながらも遠慮がちにわたしを支えるようにして背中をさすってくれた。

「す、菅原先輩」
「ん?しんどい?」
「いや、そうじゃなくて…あっしんどいはしんどいんですけど、手」
「あー…、1人で立てないって言うから」


「迷惑ならやめるけど」と遠慮がちに言う菅原先輩の手は、わたしの背中をさすり続けていて、セーターを着ているから体温なんてわからないはずなのにすごく暖かく感じた。


「え、っと…1人じゃ辛いので、お願いします」
「はい、お願いされます」

そう言ってホッとしたように先輩が笑うから、また胸がきゅってなる。



部室棟から保健室までの道のりを2人で歩いていたら、すれ違う他の部活に人たちに「菅原いちゃついてんなよー」なんて言われたりもしたけど、菅原先輩は笑顔でかわした。






「…みょうじさ、ちゃんと寝てる?」
「え?」
「今年度入ってからずっと朝練も出て、俺の自主練付き合ってくれて夜も遅いだろ」

確かに、2年生になってからすぐ早朝の秘密練習があったり、GWの合宿があったりと慌ただしかった。でも、

「菅原先輩のほうが…大変なんじゃないですか?」
「え、俺?」
「菅原先輩、お昼休みも日向くんと練習してたし。なのに成績も維持してて、わたしなんかより菅原先輩のほうが心配です」

きょとん、と目を丸くしたと思ったら、わたしの背中をさすってくれていた手が止まる。

「でも実際にみょうじ、体調崩しただろ」

有無を言わさないような菅原先輩の口調に、なにも返せなかった。



ごめんなさい、先輩。
具合悪いって嘘なんです。


何度目かわからない謝罪を心の中で呟いて、大人しく菅原先輩の隣を歩いた。







「あれ、先生いないのかぁ」

保健室に着くと先生はいなくて、扉に「職員室にいます」と書かれた紙が貼ってあった。

「どうする?帰る?」
「えっと、」
「あ、鍵かかってない。先生戻るまで待ってみる?」
「勝手に入っていいんですか?」
「具合悪い人のための保健室だからね」

真面目そうに見えて飄々とそんなことを言ってのける菅原先輩に背中を押されて足を進めると、保健室独特の消毒液の匂いがする。
当たり前だけれど保健室には誰もいなくて、なんだか緊張してしまう。


「ベッド誰も使ってないし、とりあえず寝てれば?」

気が付いたら、ずっと背中をさすってくれていた菅原先輩の手は先輩の制服のポケットに収まっていた。

「先輩は、戻っちゃいますか?」
「うーん、もう部活始まるしなぁ」



それは困る。


いま戻られてしまったら、なんのために仮病…というと響きが悪くて罪悪感が増すのだけれど、先輩に嘘をついてまで部室から遠ざけたのだと、みんなに怒られてしまう。


「もうちょっと、一緒にいてほしい、です」
「え?」
「いや、あの、先生いなくて心細いというか…」
「…病人は大人しく寝てなさい」
「でも」

本当に部室に戻ってしまいそうな雰囲気で、苦し紛れに先輩の制服の裾を弱い力で引っ張ってみたけれど、菅原先輩はただ困ったみたいに笑うだけだ。

どうしよう、と手詰まりになったところで、スカートのポケットに入れていた携帯がタイミング良く震えた。


「メール?」
「あ、田中からだ」

内容は見なくてもわかるけれど、菅原先輩の手前メール画面を開いた。


『準備オッケー!』


それだけ書かれたメール画面を見て、ほっと息をつく。

「みょうじ?」
「もう部室誰も使ってないから着替えに来いって」

携帯をポケットにしまい、パッと顔をあげて先輩を見ると訝しそうな表情。

「部室、戻りましょう。なんか具合良くなってきた気がするし」
「戻るのはいいけど…みょうじは今日はもう帰りなさい」
「えぇー…」
「えー、じゃない。ほら戻るぞ」

保健室を出た菅原先輩は、もうさっきみたいに背中をさすってくれなくてそれが少し寂しかったけれど、部室に戻るまでの道のりがなんだか長く感じて、そわそわが止まらない。



先輩ビックリするかな?
喜んでくれるかな?




下手に話したらいろんなことが駄々漏れになってしまいそうで、黙って部室までの戻り道を歩いていたら、「みょうじ?」と、ポケットに入れていた右手をわたしの顔の前で振って心配そうに覗き込まれてしまった。

「やっぱり具合悪いんだろー無理すんなよ」
「っも、もう大丈夫です」
「だって顔赤いし」
「心配しすぎですよ」
「そりゃ大切な彼女ですから」
「…ありがとうございます」
「だから、あぁいうこと言うのは俺だけにしてな」

目線を前に戻して、声のトーンを落とした菅原先輩が言う。

「あぁいうこと?」
「一緒にいてほしい、とか。男は馬鹿だからね、勘違いされたらみょうじ困るだろ」
「はぁ…そういうもんですかね」
「そういうもんです」

先輩をどう引き留めるかで必死で、なにを言ったのか実はよく覚えてないけれど。

「先輩と一緒にいたいのは本当のことだから勘違いとかじゃないんだけどなぁ」って小さい声で言ったら「だから、そういうのやめろって」と頭を小突かれた。






部活前はざわついている部室棟の辺りはすっかり人気がなくなって、グラウンドの方からサッカー部の掛け声が聞こえてくるくらいで、その音を遠くに感じながら決して綺麗とは言えない少し錆びついた階段を上り、通い慣れた男子バレー部の部室前に着いた。

いつもは、閉まっているドアの前で選手が着替え終わるのを待っていても騒がしいくらいに物音が聞こえてくるのに、いまはすごく静か。


「みょうじやっぱり今日は帰ったら?」
「大丈夫ですって。あ、でも先輩先に着替えてくださいね。アップもう始まってるかも」

そう言って促すようにドアを指差すと、頑固だなぁって苦笑。

「少しでも調子悪かったら言えよ?」

わたしの体調不良をこれっぽっちも疑っていない先輩がまた心配そうに言う。





この人はどうしてこんなに優しいんだろう?

優しいだけじゃなくて、柔らかいのに芯があって、強くて、だからみんな菅原先輩のこと大好きで、信頼してるんだ。
ちょっと困ったみたいな顔で頭を撫でてくれる先輩の顔を見ながらそんなことを思う。


「先輩、早く着替えてください」
「はいはい」



ドアノブに手をかけて、古くなったドアはぎぃって音を立てて開く。


胸がドキドキうるさい。
先輩、どんな顔するかな?















「せーの!」



「誕生日おめでとー!!」




菅原先輩がドアを開けると同時に1年生も2年生も、3年生も。
スガさん、スガ、菅原さん、口ぐちにみんなが言う。


みんなが両手いっぱいに持っていた色とりどりの紙吹雪を菅原先輩に降らせて、わたしも朝練のときからずっと我慢していた言葉を伝える。





「菅原先輩、お誕生日おめでとうございます」








きょとん、とした顔でわたしの方を振り向いて、ドアの前で棒立ちになっている先輩の背中を押して部室に入ると、みんなわくわくした表情で菅原先輩の反応を窺っている。


「先輩?」
「え、あぁ、すげービックリした…これみんなで準備したの?」

これ、と言って菅原先輩が指差した先には大きなホールのショートケーキとか、普段は汚い部室に飾られた折り紙で作った輪っかの飾りとか、カラー用紙に大きな字で書かれた「スガさん誕生日おめでとう」の文字。


「そっすよー!」
「…いつの間に…って、じゃなくて、」




「みんなありがとう。すっげー嬉しい」

いつもみたいに目尻を下げて、ニコーって笑う菅原先輩の顔を見て、みんながホッとしたようにまた「おめでとー!」って言って、すぐに日向くんが「ケーキ!ケーキ食べましょう!」と飛び跳ねた。






「みょうじ、隣いい?」

切り分けたケーキを紙皿に乗せて、菅原先輩は部室の隅っこに座り込んでいたわたしを見下ろした。

「あ、どうぞ」
「サンキュ…みょうじさ、具合悪いってもしかして嘘だった?」

人のよさそうな笑顔を浮かべた先輩が、ケーキを食べながら話し出す。
その話題にはできれば触れないでほしかったなぁ、なんて思うけれど、体調不良だと思われたままなのも申し訳ない。

「準備が終わるまで先輩が部室入らないように引き留めとけって…嘘ついてすみません」
「いや、ありがとな。…あ、」
「?」
「クリーム、ついてるよ」

そう言うとすごく自然な動作で唇の端に触れられて、指先で拭ったクリームをパクッと食べてしまった。

「す、がわら先輩…!」
「はは、真っ赤」
「…先輩、楽しそうですね。なによりですけど…」


先輩はいつも笑っているけれど、今日はいつもよりずっと楽しそうで、嬉しそうで。
みんなの気持ちが伝わったならわたしもすごく嬉しい。


「いやー嬉しいなぁと思って。けど練習時間削ってるって考えると申し訳ないな」
「でも、先輩がみんなの立場だったら、同じようにお祝いしてるんじゃないですか?」
「それは、まぁそうだけど」
「…それに最近思うんです」
「ん?」
「あと1年早く生まれたかったなぁって」


月島くんオススメのショートケーキは生クリームといちごのバランスがすごくおいしくて、あっと言う間に食べ終わってしまった。
なにも乗っていない紙皿を手の中で持て余しながら話す。

「学年1つ違うっていうのはわたしには大きくて。来年には菅原先輩はいないんだなぁって、考えちゃって。だから…先輩との思い出たくさん作りたいし、先輩の思い出の中にもわたしがいたら嬉しいなぁって」

恥ずかしくて菅原先輩の目が見れなくて、ケーキを頬張りながら騒いでいる部員のみんなのことを眺める。



「俺、みょうじがバレー部に入ってから毎日すげー楽しいよ」
「先輩?」

2人の間に何の気なしに置いていた右手をそっと繋がれる。
立っているみんなから座っているわたしたちの手までは見えないかもしれないけど、みんながいるところでこんなことをされるのは初めてだ。


「もちろん俺が1年のときだって楽しかったけど、しんどいことがあっても頑張れたのってみょうじがいてくれたからってとこ大きいんだよな」
「わたし、なんにもしてないです」

繋いだ手にきゅっと力が入る。

「…まだ暗い時間帯から朝練付き合ってくれて、部活のあとは一緒に帰って肉まん食って、テスト期間は一緒に勉強して。そういうの全部にみょうじがいるのが嬉しいんだよ」



繋いでいる手から伝わる体温が、向けられている大好きな笑顔が、優しさが、溶けるようにわたしに馴染む。



「いつもありがとな」
「…こちらこそ、です」
「あとさ、」

先輩が言葉を探すように少し目線を泳がせる。

「さっきみたいな嬉しいことは、2人のときに言って」
「え、」
「すげー抱きしめたい」


なんてこと言うんだろう、と恥ずかしくて思わず先輩から目をそらした。
保健室でのことは男にあぁいうこと言うなって言ったくせに、今度は2人のときに言って、なんて。


顔が火照って仕方なくて、ふと視線をあげると、いつの間にか静まり返った他の部員たちがニヤニヤしながらわたしたちを見ていた。

「わ、みんな見て…!」
「はは、幸せそうでなによりだなぁ」
「大地さん!」
「くそーうらやましいぜー!」
「田中も!なに見てんの?!」
「まぁまぁ、みょうじそう怒らない怒らない」
「菅原先輩気付いてたんですか?!」


今更照れるなよーと縁下にのほほんと言われ、縁下まで…と軽くめまいがした。





でも隣で菅原先輩が楽しそうに笑うから、恥ずかしくて死にそうだけれどこういうのもまぁいいかって。

こうやってみんなで笑い合える場所が大好きで、菅原先輩のことが大好きで。

過ごした時間や記憶、思い出がわたしの中だけじゃなくて先輩の中に溶けて、消えないものになったらいいなぁって、そう思うんだよ。


来年の今日も一緒にいられますように。
大好きな先輩に、両手いっぱいでも足りないくらいの大好きが伝わりますように。




消えない確かなものが、ひとつひとつ降り積もるみたいに、君に、わたしになっていく。


(2014.06.13.)

スガさんお誕生日おめでとうございます!

お誕生日企画に提出させていただきました。
ゆびさき
ぜひぜひ遊びに行ってみてください♪

1番上に掲載のお題いただいたので、
パーティーが始まるよ!的な感じで…書けてるでしょうか…。

大好きなスガさんのお誕生日を、
スガさん好きな方々とお祝いできて光栄です。

スガさんにとって素敵な1年になりますように。



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