夢に届くまで


※free fs盛大にネタバレしています。
連載「It's a small world」のif設定、宗介√、大学生です。
本編は読まなくてもわかるかと思うんですが、3話くらいまで読んでいただくとよりわかりやすいかなと思います。
大会進行については捏造含みます、あしからず。




持っていたカップを落とさなかった自分を褒めたい。
それくらい驚いた。
話の内容そのものにも、こんな話をしてくれることにも。



「来週の日曜暇か」
「うん、何もなかったと思うけど」
「……そうか」
「え、なに?」

珍しく食事に誘ってくれて食後に他愛のない話をしていたタイミングでそんなことを聞かれてスケジュールを頭に浮かべる。
宗介がふぅ、と浅く息をはいた。

「水泳のレースがある」
「……え?」
「全日本に出るために勝ち進まないといけないレースだ。俺は凛たちみたいに去年までの実績とかないからな」
「待って、レースって、宗介が出るの?」

その日に大会があることは知っていた。
全日本選抜への出場権を得るためにはその大会で好成績をおさめなくてはいけないことも。

「あぁ」
「復帰……ってこと?」

震えそうになる声をなんとか絞り出したら情けないくらい小さくて、だけど聞き取ってくれた宗介が「そうだ」と頷く。

「そんな無感動に……」
「ここからがスタートだからな。いちいち感慨深くなってたらキリねぇだろ」
「だって何年ぶり?高三のとき以来でしょ、レースなんて」

高三のときの最後の大会もリレーにしか出ていない。
そう考えたら二年近く復帰に時間がかかったということで、だけどあの頃、高三の時はそもそも競泳を辞めるという選択をしていて。
この二年で宗介がどれだけの努力を重ねてきたのか、本人は語らないけれどわかっているつもりだ。

「……泣くなよ」
「…だって、」
「手術したって話したときも泣いてたな」
「事後報告はひどいなって思った」
「だから今回はあらかじめ伝えたし復帰のレース誘ってんだろ」

幼馴染の宗介とは小学校に上がる前から一緒にいた。
子供の頃はどんな小さな大会だってスイミングクラブの練習にだって足を運んで宗介の泳ぎを見ていたのだ。
中学生になってからは今みたいに誘ってくれても堂々と見に行けなくなってしまった。
その理由が子供じみたものすぎて思い出すのも恥ずかしい。

「見に来てほしい、なまえに」

こんなふうに誘ってくれる未来が待っているなんて思わなかった。
高校で競泳から離れた宗介がまた泳げるようになって大会に参加する日が来ることを祈るように願っていたのに。

「……本当泣き虫だな」
「…次に泣く時は嬉し泣きがいいです」

言葉に込めた想いを汲み取ってくれたのか、宗介が笑いながら「わかった」なんて言うから。
珍しく屈託なく笑う目の前の顔が涙でにじんだ。



・・・



「聞いてない」
「言ってないからな」
「本当にびっくりしたんだからね?!」
「泣いたか?」

からかうように笑われて、だけどそのときのわたしの様子を端的に言い当てるものだからぐっと奥歯を噛んだ。

「泣いたのはバックに出てたからってだけじゃないけど」

やばい、話してたらまた泣けてくる。
誤魔化すように下を向いた。

復帰レースを見に来てほしいと言うからてっきりバッタの100と200メートルにだけ出るのかと思っていたのに。
会場で会った真琴に「宗介のバック期待してて」と言われてなんの聞き間違いかと思った。

「バッタでしょ?」
「え、バッタとバックだよね」
「ん?」
「え?」

なんて、宗介についてこんな会話を真琴とする日が来るとは。
知らないのはどうやらわたしだけだったらしい。
……まぁ真琴は宗介のリハビリから実戦復帰までサポートする立場だったのだから知っていて当たり前なんだけど。

専門種目であるバタフライとリハビリのために始めたはずの背泳ぎに出場して、その両方できっちりと全日本選抜の出場権を獲得するんだから我が幼馴染ながら可愛げに欠ける。



大会の後、ジャージ姿の宗介と会ったらやっぱり胸にくるものがあった。

「おめでとう」
「おう」

たったそれだけのやりとりにいろんなものが込められていたと思う。
まだ終わりではなくて全日本選抜に福岡で行われる世界大会だってあるし、そのあとだって。
宗介の水泳人生はまだこの先ずっとずっと続くのだから、ここで泣いていたらそのうち干からびてしまう。

「まだ予選だけどな」

左手で後頭部のあたりをくしゃくしゃとかく仕草はたぶん照れ隠しだ。
少し前までは右肩を気にすることが多くて、左手で反対の肩を触るたびにわたしが「痛いの?大丈夫?」と声をかけていた。
「もう痛くねぇよ、癖になってるだけだ」と苦い顔で言ってから、わたしが気にするからと本人も意識的に触らないようになったらしい。

「次はようやく凛と泳げる」
「全日本かぁ。当たり前だけど日本のトップ選手しか出ないんだよね」
「あぁ」

その先の話はふたりともしなかった。
言わずとも宗介がもっと先を見据えていることを知っていた。


・・・



懐かしい空気、ピリピリと肌を刺すような緊張感。
塩素のにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。
無事に予選を勝ち進んで掴み取った全日本への出場権、会場には見知った顔ばかりだった。

「もう少し良い顔しろよ」
「悪いがそういうのはガラじゃないもんでな」

バッタの決勝レース前、プールサイドの通路で肩を並べた幼馴染が俺の肩を小突いた。
凛の方がよっぽど嬉しそうな顔をしていて、怪我のことを伝えてからずっと心配ばかりかけてきたなと思う。

「なまえも来てんだろ」
「あぁ。前の大会も見に来てた」
「なんだよ、前も呼んでたのか」
「まぁな」
「……そろそろ良いんじゃねぇの?」

凛が伺うような視線を向けてくる。

「レース前にそんな話するなんて余裕だな、凛」
「そんなんじゃねぇけど。見てるとじれったいんだよ」

じとりとした目つきで溜息をつく姿はこの手の話になるとよく向けられるものだった。
初恋相手でもあるもう一人の幼馴染と再会した高校三年生のとき、そいつには付き合っている奴がいた。
別れたと聞いた時は俺のせいだと思ったし、落ち込んだ顔を見て罪悪感もあった。

俺はなまえが好きだったけれど、なまえはそうではないことくらいわかっていたしそこに付け込むようなマネなんてできるわけもなくて、俺は俺で自分の身の振り方に必死で。
幼馴染という間柄だから高校を卒業してからもお互いに連絡は取っていて、一生このままくすぶる想いを抱えていくような気すらしていた。

凛の言う「そろそろ」が何を意味しているのかわからないほど恋愛に奥手ではない。
だけど年月が経ったからってなまえとどうこうなれるとか思っているわけではない……とは完全には言い切れねぇけど。

「とにかく今は目の前のレースだろ。久しぶりに飲み物でも賭けるか」
「ここまで来たらメダルだろ」

まだ全日本選手権だというのに自信満々に凛が笑った。
メダルを手にして世界の舞台で戦うのだと信じて疑っていない。
それだけの練習を積んできた自負がお互いにあった。

ぐっと踏み込んだ足とスタート台を掴む手に力を込める。
凛と並んで飛び込んだプール、止まない声援。
何度も何度も思い描いては頭の中で消した景色がここにあった。



・・・



予選大会での宗介の泳ぎを見てまさかここまでの泳ぎをするなんてと驚いたし、タイムを見てもしかしてという淡くはない期待もあった。
だけど本当にこんな結果を叩き出すなんて。

バタフライでの世界大会出場は叶わなかったけれど、レース後の凛と宗介が清々しく笑い合っている姿に子供の頃を思い出してまた少し泣いた。
そして、背泳ぎでのレース。
遠野くんが隣のレーンを見て驚いたように声をかけている。
わかる、びっくりするよね。
ていうか遠野くんと一緒に練習してたはずなのにバックに出ることも勝ち進んで全日本に出ることも話していなかったみたいで、相変わらず薄情というかよくわからないところで抜けていて笑ってしまった。

「宗介くんがバック?!なまえちゃん知ってた?」
「わたしも前回の大会で知ってびっくりした」
「たしかに真琴先輩にリハビリ付き合ってもらってるって話は聞いてたけど……」

そして相変わらず江ちゃんとも仲が良いらしい。
昔はわたしとは話してくれないのに江ちゃんには優しく笑いかけるんだなぁとモヤモヤした気持ちを抱いたこともあったっけ。

「でもそっか、宗介くんも進んでるんだね」
「……うん、そうだね」

高校生の頃だったらバッタの調子が悪いとか泳げない理由があるからって他の種目に挑戦しようなんてしなかったんじゃないかな。
一度は水泳を辞めて、手術を受けて長いリハビリを通して辿り着いた宗介の新しい競泳の道。
たしかに前に進んでいるんだ。
泳げば泳ぐだけ、鍛えれば鍛えるだけ速くなれるとがむしゃらだった頃を越えた宗介はすごく楽しそうに見えた。
そこに結果がついてくるんだもん、こんなに嬉しいことってない。

「あれ、なまえちゃん何持ってるの?」
「え?あぁ……ちょっとお守りみたいなもので」
「岩鳶のときは持ってなかったよね?」
「うん。あの頃から持ってたしつけてた時もあるんだけど最近また見つけて」
「そうなんだ。ご利益あったね」
「……うん、そうだね」

手のひらの中で握りしめていた、繊細に織り込まれた糸で出来たもの。
くれた本人はもう覚えていないかもしれない。



大会のあとに会った宗介はいつもと変わらない表情に見えて泣いた後の顔をしている自分が恥ずかしくなる。

「……おめでとう」
「おう」

たしか予選大会のときも同じようなやりとりをした。
これ以上の言葉はなくて、それをきっと宗介もわかっている。

「世界大会かぁ」
「福岡だ」
「うん」

日程だって確認済みだ。
観に行ってもいい?とか観に来てほしいなんてこともお互い言わなくて、宗介が手の中にあるメダルをそっと撫でた。



・・・



考えるよりも先に言葉にしていた、リレーに出ると。

ハルの不調を周りで支えて補いながら自分たちのコンディションも高めて挑んだ世界大会もいよいよメドレーリレーを残すのみとなった。
自分の個人種目は満足のいく結果とは言えないかもしれないけれど、ここからまた上がっていくだけだと思えたことが自分にとっては収穫だった。
応援席にいたなまえにもそんな姿を見せることができてよかったと思う。


「夏也さん、ハルは?」
「フリーの決勝は難しいらしい。まだ真琴と医務室だってよ」
「……そうですか」

一度故障を経験したことがあるから、多少無理をしてでも試合に出たいと思う気持ちはわかるつもりだ。
だけどハルはあの頃の俺とは違う。
周りに頼ることもせずひとりかたくなになっていた俺とは。
止めてくれるコーチが、支えになろうとする仲間がいる。
自分がそこに加わっているんだから本当に何が起こるかわからないもんだ。

「リレーには間に合うといいんだけどな」
「メンバー、まだ決まってないんですかね」

タイムでいえばメドレーリレーのフリーはハルか金城が選ばれるはずだ。
ハルに予選と決勝の二本を泳ぐ力は残っているのだろうか。

「手堅くいってもつまんねぇよな」

口角をあげた夏也さんが何を考えているのか、大体わかってしまった。
穏便にしてくださいよと伝えたら俺はいつでも穏やかだろ、ととても頷けない返事が返ってきた。



ミーティングルームに集められた日本選手団に緊張が走った。
メドレーリレーに「七瀬遙を推薦する」と夏也さんが言い出したからだ。
旭が真っ先に同調して、サポートスタッフがすぐ血液検査に問題がないことを示してくれる。

この場にいる全員がきっとハルの泳ぎに魅せられていた。
ハルの泳ぐフリーを見たいと思っていた。
自分でも自然に一歩踏み出していて、故障を経験するまではひとりきりで泳ぐことしか考えられなかったのに我ながら不思議なくらいだ。

予選と決勝で泳ぐメンバーを変えることでより気が引き締まるような気がした。
最後のメドレーリレーは郁弥、凛、ハルと泳ぎ繋くけれど四人だけで繋いできたわけでは決してないのだ。
リハビリに付き合ってくれた真琴や尚さん。
いつだって気付いたら寄り添ってくれていた貴澄。
自分だって泳ぎたいはずなのに盛り立ててくれる旭。
鮫柄の仲間の声援も聞こえて来る。
怪我をしたから出会えた仲間たち、見ることができた景色。
高揚感と緊張で心臓がうるさい。

「……いい顔するじゃねぇか」
「だから、柄じゃねぇんだけどな」

隣にいた凛に肩を小突かれた。
郁弥とハルともそれぞれ言葉を掛け合って、400メートル先の未来を見据える。
ひとりプールに入水すると周りの音が止んだ。

静寂のなかで聞こえたテイクユアマークスのアナウンス。
グッと身体をスタート台のバーに寄せて、飛び出した先の景色は今まで見たどの水の中とも違うように見えた。



・・・



「宗介、俺今からお袋と江んとこ行くけど」
「あー……」

メドレーリレーの決勝、最高の結果を得たけれど限界を迎えたハルが倒れた。
すぐに仲間が駆けつけてきて医務室に運ばれたけれどなんとか表彰式には四人で出ることができて、自分でもこんな結果が待っているなんて夢にも思っていなかった。
表彰台の一番上から見る景色。
仲間と肩を並べてお互いを称え合うと喜びが何倍にも増すのだと知った。

ジャージに着替えた凛に「お前も来るか?」と聞かれて答えに悩む。
携帯を握りしめている俺に、凛が呆れたように息を吐いた。

「まだ連絡してねぇんだろ。どうせ一緒にいるだろうし行こうぜ」

目的語を言われなくてもわかってしまう。
メダルと共に授与された花束も手に持ったままだ。
これを渡したら笑ってくれるだろうか。
……泣かれそうだな。

「一応連絡入れる」
「おう、そうしとけ」

メッセージを送るとすぐに既読がついた。
会場の外にいるというなまえはやっぱり江たちと一緒らしい。
今から行くと短く送ると返事はなかった。



「なまえ」
「宗介、おめでとう」

散々泣いたんだろうという顔をしているなまえを前にしたら次の言葉が出てこない。
ずっと心配をかけてきた。
誰より復帰レースを見てほしいと思っていた。

「ありがとな。色々」

いろいろってなに、とはにかむような表情が見慣れないものでレース前とは違う心臓の速さに苦しくなる。
誤魔化すように、だけど雑にならないように表彰式でもらった花束を差し出す。
一瞬きょとんとしたあとにじわじわと目に涙がたまっていって苦笑してしまう。

「泣くなよ」
「……だって、」

泣くなよと言いながらも俺のために涙を我慢するこいつのことを柄にもなく可愛いと思う。
こんなことを考えているなんて誰にもバレたくない。

「嬉し涙だよ、勝手に出てくる」
「……次は嬉し涙だって約束したからな」

泣くなと言うと泣いてないと返ってくるのがいつものやりとりなのに今日は素直に認める返事が返ってきた。
花束をそっとつぶれないように胸に抱いて「そうだね」と無理矢理笑おうとしているなまえの手首にさっき顔を合わせた似鳥やモモと同じものが結ばれている。

「それ、」
「え?」
「ミサンガ」
「あぁ、チームハルちゃんのお守りって渚くんと怜くんが。手作りなんだって、すごいよね」

懐かしいな、と瞬間的に思った。
東京から地元に帰ると決めたとき一応土産を持って帰ってきていて。
家には東京で有名な菓子を買ったけれどこいつにはミサンガ…いや、ブレスレットだと店員が言っていたな…それを渡したのだ。
あとからなんであんなものを東京土産として渡したのか小っ恥ずかしい気持ちになったことを覚えている。
無難になまえにも食べ物とか消えてなくなるものをやるべきだった。

「……宗介これ覚えてる?」

高校生の自分の青さを思い出していたらなまえが肩にかけていたカバンから何かを取り出す。
小さな手のひらの上に乗せられたものは、俺が今まさに苦い気持ちになっていたものだった。

「宗介が東京から戻ってきたときにくれたの」
「……まだ持ってたのか」
「うん。かなり前に切れてほどけちゃったんだけど捨てられなくて」

よく見ると金具の部分の色が変わってしまっていた。
あまり高いものではなかったし、腕につけていたから紐が擦れているのも仕方がない。
それよりもこんなものをまだ持っていてくれたことに驚く。

「宗介が復帰するってなって、なんかお守りみたいな感じで大会のとき持ってくるようにしてて。今日渚くんたちからもミサンガもらってびっくりした」

さすがにこれはもう付けられないんだけど、新しい紐編み足せばいけるかな?と大切そうに持ち上げながら言うからたまらない。

「……直さなくていい」
「え?」
「何か、代わりになるものまたやる」

目尻の赤い瞳をきょとんと丸くさせてもう一度なまえが「え、」とつぶやく。
聞き返すのはやめてくれという気持ちを込めてなまえの首に今度はメダルをかける。
大袈裟に肩を揺らして驚いたように俺を見上げてくるからなんだかもうたまらなない。

「これはさすがにあげられねぇけど」
「メダル……かけてもらえるだけで十分すぎるよ」
「なまえのおかげで取れた」
「わたし何もしてないのに」
「なまえと、みんなのおかげだ」

凛が自分の可能性をつぶすなと言ってくれた。
似鳥が水泳に向き合うひたむきさを思い出させてくれた。
モモの素直さに救われて、後輩たちが卒業前の旅行でくれたお守りは今も大切にしている。
夏也さんからまた競泳の世界に飛び込むきっかけをもらって、手術を決めたあとは。

「復帰を助けてくれた人はたくさんいる」
「……うん」
「真琴には、世話になった」

見上げてくる表情が歪む。
真琴のことをまだ「橘」と呼んでいた高校生の頃は、なまえと付き合っていた真琴のことを疎ましく思っていた。
それが今じゃリハビリコーチとして支えてもらっているのだからわからないものだ。
俺と真琴の間にはもうわだかまりはないけれど、こいつと真琴はどうだろうか。
三人で同じ場にいるということはほとんどなくて、なまえが本当のところどう思っているのかを聞く勇気もなかった。

「……高三の時、俺のせいで真琴と別れただろ」
「宗介のせいじゃなくてわたしと真琴が決めたことだよ」

あれだけ泣いてたくせに。
二年経った今でも、あの頃のなまえになんと声をかければよかったのかわからない。

「今はもう真琴とも友達だし……ふたりが一緒に練習して宗介が復帰して、こんなすごい結果を出して」

俺が何を言いたいのか知ってか知らずかなまえは一息に話す。

「嬉しいって気持ちしかないよ」
「……そうか」

首にかけたメダルをなまえがそっと手に持った。

「おめでとう本当に。……おかえり宗介」

おめでとうもおかえりも、なまえ以外からたくさんかけられた言葉だ。
それをそばで支えてくれたのはなまえと真琴だなんて出来すぎた話だと思う。

「ありがとう」
「次はバッタとバックでもメダル期待してるね」
「簡単に言うなよ」
「そのつもりのくせに」

思い描いている夢を実現させることの難しさを知った。
報われない努力があるのかもしれないことも。
だけど、報われなくても叶わなくても泳ぎ続けることをやめられそうにない。
その姿を、なまえに見ていてほしいと思う。

「その時まで……なまえに見ていてほしい」

遠回しでずるい言い方になってしまった俺の言葉の意味をはかりかねているらしくて肯定も否定も返ってこない。

「本当は中学の時に言えたらよかったんだけどな」
「宗介の泳ぎ、ちゃんと見るのって小学生ぶりだったよね」
「そうだな」
「堂々と応援できたの嬉しかったな」
「変な話だけどな」
「ほんとだね」

花束を持つ手にぎゅっと力が入った。
一歩、なまえが俺の方に近寄る。

「その時までっていつまで?」
「だから……バッタとバックで、」
「そのあとは?」

生唾を飲み込んだら変に喉が鳴った。
喉仏がおおげさに動いたような気がする。
普段意識せずにしている呼吸すらやり方を忘れそうな味わったことのない種類の緊張だと思う。

水泳を諦めようと決意して戻った地元。
未練を残していた幼馴染の隣には他の男がいた。
真琴からなまえを奪おうなんて考えたことはなくて、今となっては真琴はきっと良い彼氏だったんだろうと思う。
俺は、なまえにとっての幼馴染以上になれるだろうか。
中学生の頃よりもずっと強くなった想いを初めて言葉にしようとしたら握りしめたこぶしが震えそうだった。

俺の顔がかたまったのを見たなまえがふっと息を吐いた。

「そんなに困らなくても、言われなくてもなんだかんだずっとそばにいるよ」
「……幼馴染だからって理由じゃ嫌なんだよ」

眉を下げているなまえが首をかしげるけれどゆるく口角があがっている。
俺の言いたいことなんてわかってるくせに、全部言わせようとしてんな。

「ずっと好きだった」

いつから自覚していたのか覚えていないくらい、ずっと。
なまえも水泳もなくしてからっぽだなんて思ってしまったこともあったけれど顔を上げたらたくさんの人が手を差し伸べてくれていた。
じわじわとせりあがるように俺まで泣きそうになるんだから勘弁してほしい。
これ以上重ねる言葉はなくて、だからあと少しだけ夕陽が西に傾いたら返事を聞かせてくれないだろうか。
それが俺にとって良い返事であるかどうかは、なまえの顔を見たらわかる気がした。
幼馴染から恋人になったときには空はきっと色を変えている。



(2022.05.21)



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