いつかこの夏を思い出さない日が来るだろうか

※拍手再掲



高校からは地元を出ようと決めたのは、わりと早い段階だったと思う。
幼馴染でガキの頃から一緒に泳いで来た凛は小六で「一緒にリレーを泳ぎたい奴がいる」とか言って転校した挙句、オーストラリアに一人で水泳留学をしてしまった。
別にそれが寂しかったというわけでは決してない…とは言い切れないけれど、もっと速くなるためには自分を厳しい環境に置くべきだと思ったのだ。

「山崎くん、タイムまた上がった!」
「おー」
「えぇ…もっと喜びなよ」
「おう、どうも」

鯨津高校の水泳部は俺のように地方から水泳をやりたい奴らが集まってくるいわゆる強豪校で、部員数も多くマネージャーも何人かいる。
みょうじはそのうちの一人で学年が同じだから接する機会が多い。

「今日も居残り練習するの?」
「あぁ」
「わたしも残ろうかな」
「お前自宅通学組だろ、遅くなるから先に帰れよ」
「えっ」
「なんだよ」
「山崎くんってそういうこと言うんだ、意外」

タイムを書き込むバインダーを抱えて、俺を見上げて丸い瞳をぱちぱちと瞬かせる。
はぁ?と顔をしかめたら「あはは、顔こわ」と笑われた。
発言と表情が合ってなさすぎる。

「だいぶ陽も長くなったから大丈夫だよ、手伝えることあったら言ってね」

俺から何も言わなくたって気が付いたらタオルもドリンクも近くに用意されていて、広いプールサイドを走り回っている小さい背中を目で追うようになったのはいつからだっただろうか。



「山崎くんの地元ってどんなところ?」

トレーニングルームでひたすら汗を流していたら、不意にそんなことを聞かれた。

「田舎。海しかねぇし」
「そうなんだ。行ってみたいなぁ」

海しかないと答えたのに行ってみたいなんておかしな奴だと思うけれど嫌な気はしない。

「…みょうじはずっと東京か」
「うん。夏休みは帰るの?」
「いや、部活休みたくねぇし戻らないつもりだ」
「お盆休みくらいのんびりしたらいいのに」
「身体なまるだろ」

口を動かしながらも俺はバーベルを動かす手は止めないし、こいつもデータを整理する手は止めない。
こういう距離感で話せるのは心地良いと思う。

「じゃあ夏休みもずっとこっちにいるんだ」
「その予定」
「ふーん…あっねぇ、じゃあ遊びに行こうよ」
「は?」
「練習ばっかりじゃ逆に身体壊すよ」

思わず見上げたら、相変わらず視線は数字を追っているけれど口元は笑っている。

……練習量が人よりも多いのは好きでやっていることだ。
トレーニングを積めば積むだけ速くなれる、結果はタイムにも大会成績にも表れていた。
そのことを人にとやかく言われるのは好きじゃなかったけれど、不思議とこいつの言葉はすっと入ってきた。

「まぁ毎日泳ぎたいって気持ちはわからなくないけど」
「……」
「山崎くんって楽しそうに泳ぐもんね」
「楽しそう…?」
「え、自覚ないの?」

泳ぐのは好きだ、ガキの頃からそれしかやってこなかった。
だからってそれがはたから見てわかるっていうのは居心地が悪い気持ちになる。

「大会で勝った時なんて普段から想像つかないくらい嬉しそうにしてるし」
「あー…そうかもな」
「けどたまにしんどそうにも見える」

コーチにも先輩にも、程々にしろオーバーワークだと言われることは少なくなかった。
だけど自分のことは自分がいちばんわかっているつもりだし、今やらずにいつ練習するのだとあまり耳を貸すことはしない。
誰よりも練習して、誰よりも速くなりたい。
それの何が悪いのだと思う。
しんどいと思っている暇なんてない。

「練習は大事だよ、それはもちろん。楽しく泳いでるなら尚更」

ようやくバインダーから顔をあげたみょうじと視線が絡んだ。
…ようやくって、やっと俺の方見たと思うなんてどうかしている。

「だけど何事も限度があるんだって山崎くんは知るべきかな」

なんて、こういうこと言われるの嫌いそうなのにお節介でごめんね、とへらっと笑う。

「…自分の限界は自分が一番わかってる」
「うん、そう言うかなって思った。けどね、」

小さな手が俺の持つバーベルに触れたと思ったら、腕にかかっていた負荷がふっと軽くなった。

「心配だから」
「……は、」

声をかけられることはあってもそんな風に言われたことはなくて思わず聞き返す。

「心配……?」
「うん。マネージャーですから」

だから今日はもう終わりね、とバーベルを取り上げられてしまった。
女のこいつには重たいだろうに俺が呆けている間に「おっもい」と笑いながら所定の場所に片付けられる。
ガシャンと音を立ててバーベルを下ろしたあとに両手を振ってよくこんなの上げられるねと言う。
確かに今日のノルマはもう終わっていた。
こいつ、話しながら他のデータをまとめながら、俺のトレーニング回数も把握していたんだろうか。

ふぅ…と息を吐いたのは無意識だったけれど腕や肩を軽く回して立ち上がる。
横に置いていたタオルとドリンクを俺が持ったのを確認したみょうじが表情をゆるめた。

「シャワー浴びて帰るの?」
「…いや、寮の風呂入る」
「そっか。じゃあわたし鍵かけて帰るから、また明日ね」

俺が汗を拭いてそのまま帰ろうとしたら「ちゃんと汗拭いて!替えのTシャツないの?」とこいつは母親かってくらい最後まで監視された。
校舎と程近い寮に帰るだけだっつーのに。

「お前ジャージのまま帰るのか」
「ううん、電車乗るから制服に着替えるよ」
「そうか…気を付けて帰れよ」
「うん。ありがと」

バイバイ、と手をひらひら振られて柄にもなく振り返してしまった。
数歩進んで、立ち止まる。

「…みょうじ」
「ん?なに忘れ物?」
「夏休み、行きたいところ考えとけよ」
「えっ」
「出かけんだろ」

夏休みまではまだ数週間ある。
そもそも遊びに行こうというのは俺の練習量を調整するための方便だったのかもしれない。
だけどまぁ、一か月ある夏休みの間に少しくらい気の抜けることをしたっていいかと思ったのだ。



(2018.07.10.)
連載完結記念に。
宗介派だったみなさまへ。

(2021.09.26)
拍手再掲、微修正。
series「It’s a small world.」の完結記念に書いたものです。
連載とは世界線です。




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