月光プラチナ

晴天の夕刻。
瞬きの間に消えてしまった様、逃げ遅れた夕暮れが空の端で霞む。
日を追いかけるのも馬鹿馬鹿しくて停めたファルコンは、雪に吸い寄せられて、まるで綿の上に落ちた様。
時折吹く風に、足を動かす度に、立つ甲板の板が軋む気がする。
身を切り裂くような冷気に、吐く息は白く皮膚は凍え、尚の事生命を主張した。

「酔狂な話しだ」

口の動きが多少のぎこちなさを含む。
セッツァーはコートのポケットに手を入れたまま、いつも通りに唇を歪めた。

「何がだね?」

エドガーは問う。
常時の思惑―操るも踊らされるも、最早思考から外れていた。
其処に在ったのは、ただの好奇心だった。

「あー、寒ぃ」
「先に話しを振っておいて…」

随分自分勝手なことだね、と。
苦笑すれば、銀髪の彼は目を細めた。
否、眉を顰めたと言った方が正しい。
空を仰ぐ。

「…雪」

真っ白な雪が黒の空から落ちてくるのが目に鮮明だった。
白い大地を上塗りする。
エドガーが首を上げたのと対象的に、セッツァーはコートの襟に首を深く埋め、忍び込もうとする冷気から逃れる努力をした。

天を見つめたままの碧眼。
襟から目を覗かせ、セッツァーはそっと、エドガーを盗み見る。
一瞬。
剥き出しの其の喉元に噛み付いた。
皮膚を通して気管に歯が当たる。
その確かな感触に、セッツァーは満足そうにこくりと喉を鳴らした。



「…もうちょっと、色気のあるキスは出来ないのかな?」

クスリと苦笑するエドガーはセッツァーの背をあやすように撫でる。
正に、猫を扱うように。

猫の目、否、獲物を狙う豹の瞳。
爛々と妖しく光るアメジストが射る。
赤い唇がちゅ、と音を立てて離れる。
そして歪んで、言葉を放つ。

「せいぜい、俺に噛み殺されないように警戒しとくんだな」



「アンタを殺すのは…容易い」

ぴたりと身体を密着させるセッツァー。
掻き抱き、エドガーはそっと囁いた。
酷く、冷静な声で。

「私の命が欲しいのかい?」
「…苦しいっつの」
「答えなきゃ離さない」
「煩せぇよ、変態」

束縛する腕の力に耐え兼ねたセッツァーがもがき、抵抗を始める。同時に悪態も喉元から姿を現す。
寒さで身体の節々が軋み、空を斬る指が更に冷えていくのを感じた。

もう一度エドガーが問う。
口の端を上げ、人の悪い笑みを浮かべて、言うなれば、そう。
挑発するように。

「私が欲しいのかい?」





まったく、酔狂な話しだと思った。

逆境に墜ちてから気付くとは、人間はなかなか不便な生き物である。
身体を取り巻く冷気に、体感温度に、自らが生きているのだと実感する。
暗闇に浮かぶ月が見える。


「そうさなぁ…」

欲しいかどうかなど、今はわからない。
少なくとも個人の域であれば、アンタは俺の物なのだと何処かで思っている。
手離すまでわからない。

冷えた己の指先を、ぎゅうと握った。

「死体を愛すシュミは…ねぇな」
「おや、冷たいことを言う」

私は骸になってもお前を愛すと言うのに。
言って、エドガーはやっと腕の力を緩める。
そして、僅かに積もったセッツァーの髪の雪を払ってやる。
その手の大きさと体温に、セッツァーはこぽこぽと湧き上がる感情を抱いた。

淵から溢れ、沸き上がり、やがて熱を捨てて水に還る。
胸を満たし、溜まり、何かを滲ませる。この感情が何なのか、考えなくとも本能は告げるはずだった。
ただ、今は。

「…アンタが死んだら、きっと」

この半透明な空間に酔い痴れていたい。
その熱を一番近くで知る。

「俺は…アンタを世界一愛しく想うんだと思うよ」


(2008.01.09)



[ 16/26 ]

[*prev] [short/text/top] [next#]
[しおりを挟む]




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -