人魚姫は消えない


とある戦闘後、セッツァーの声が出なくなった。
サイレスの特異的なもので、おそらく一時的な効果しか無いだろう、とはセリスとストラゴスの見立て。デスペルが効かなかったことに一行は少々危惧したが、魔法のスペシャリストである二人が言うのなら大丈夫だろうと、大量のやまびこ煙幕で燻す作戦は中止した。セッツァーは安堵の溜め息を吐いた。

喋れないのはさぞかし不便だろうとリルムは思って、小さなスケッチプックと油性ペンをセッツァーに差し出した。筆談で意思疎通を図るつもりだった。セッツァーは声が出ない分、ゆっくりと口を動かして礼を述べた。「ありがとな」と言っているのだと、リルムにはすぐわかった。なんだ、聞こえなくても伝わるじゃない。そう思って少し嬉しくなった。

聞こえなくても伝わると、そう思ったのはリルムだけではなかった。
一行の誰もが、日常会話くらいであれば唇を読んで、彼の言っている事を理解する事ができた。小さなスケッチブックは作戦会議や飛空挺の技術的な説明でしか殆ど使われなかった。声が出ない分、普段のシニカルな表現は鳴りを潜め、穏やかで端的な言葉だけが紡がれる。セッツァーなのに、セッツァーではない。そんな小さな違和感を皆が感じるまま数日が過ぎた。

エドガーは、読唇術を心得ていた。それは王族としての心得だったが、こんなところで役立つとは露程も思ってはいなかった。セッツァーも、エドガーの前ではよく喋った。元より話量が多い彼ではなかったが、おそらく、気を遣って他の人間と話すのは疲れるのだろう、エドガーにだけはいつもの早さで唇を動かして会話ができるとわかってからは、普段通りに喋るようになった。

セッツァーは言葉なんてなくてもいいと思っていた。言を尽して心を伝える事は元来苦手であったし、その情熱も持ち合わせて生きてはこなかった。声が出ないのは確かに不便だった。唇の動きだけで意図を伝えるには、判りやすい言葉を選ばなければならないし、格段とゆっくり話さなければならない。原因は特異的なサイレスによるものだから、勿論魔法も使えない。だけれど弊害はそれだけで、多少の面倒はあるものの、辛く苦しいと感じることはなかった。

エドガーと話すのは楽しかった。
セッツァーが遠慮をしなくていいくらい、エドガーは正しく言葉を拾ってくれた。それはエドガーがスキルとして読唇術を得ていることの他に、誰よりも己の話す様を知っているからだとわかった。セッツァーも職業柄、人の表情を読むのには慣れている。多くの時間を共にしているエドガーは、唇の動きとともに己の表情を読んで、会話を構築しているのだった。お前は恐ろしいくらい正確に読むよな、セッツァーが呆れたように言うと、エドガーはくすくすと笑った。
「それは、声を失ったのが君だからだ」
どういうことだと思って首を傾げると、先述した旨を返された。私は誰より君の話す様を知っている。君がどんな声で、どんな表情で、言葉を紡いでいたか、今此処で頭の中で聞こえるくらいに。だから君以外の言葉は、きっとこんなに正確に読む事はできないだろう。
それは熱烈な告白だった。無意識だろうとも。エドガーは、おいで、と言って手を広げた。セッツァーは、なんで、と言って唇を尖らせた。のに、エドガーは勝手に正面から寄って来てむぎゅうと抱き締めてきた。暑苦しい。と呆れたように呟いたつもりの声はやっぱり空気を震わせることはなく、後方の見えない唇は読めないエドガーには届かなかった。随分と素直に抱き締められる形になってしまった。本当は、それでいいのかもしれない。

セッツァーは言葉なんてなくてもいいと思っていた。だけれど急に哀しくなった。言わないのと、言いたくても言えないのは違う。言いたかった。伝えたかった。愛している。俺はお前のそういうところを。お前がいると安心できる。あいしてる。あいしている。腕に力を込め、必死に唇を動かしても、何の音も出てこない。悔しくて歯噛みして、人差し指の腹で彼の背中をなぞった。あいしてる。エドガーは数拍考えを巡らせたのち、指の意図を読み取ったのか、うん、と一言頷いて抱き締める力を強めた。

(2014.07.21)


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