(雨の日に、告白なんてするもんじゃねぇのになァ)


 向かい合った紺と赤の円を上から眺めながら、銀時は跳ねた毛をゆびに絡ませた。
 空を覆う雨雲と同じくらいどんよりと重くなった髪の毛は、安いワックスよりもべとつくからタチが悪い。
 ストパーかけてぇなあ、と声に出して言えば、それを想像したのか近くにいた知り合いの女子が声をたてて笑った。

 どういう会話が交わされたのか、しばらくすると赤い傘が急に踵を返して走り去った。
 それを見送ろうともせずに反対方向に歩き出した紺色の傘が、ふと傾いて、その持ち主が銀時のいる講義棟のほうを見上げる。
 窓枠のひとつに銀色の髪を見留めて、傘の柄を肩にかけた土方が目を細めた。
 二十歳を過ぎてから、ここ一年で急に視力が落ちたらしい土方は、大教室での講義のときだけ眼鏡をかけている。
 黒い細フレームのそれをかけると、遠い記憶のなかの彼の父親にとても似ているから、なんだか不思議な感覚がした。
 こっちを見ていたのが銀時その人だと分かると、土方は黙ってすこしだけ傘をあげた。
 それを降りてこい、という合図だと判断して、銀時は窓枠から離れた。


  *  *


「…見てたのかよ」
「たまたま」

 入り口のガラスに背を預けて待っていた幼馴染は、銀時の姿を見るなり不機嫌そうにそう呟いた。
 偶然見つけたのは本当だ。
 わざわざ探したことは否定しないけれども。

「先行ってろって言っただろ」
「あー、それがさ」
「何?」
「傘忘れたから、入れてほしくて」
「はぁ?朝から降ってただろ?」
「朝は走って来たからわかんなかった」
「そういうとこ、ガキの頃から変わんねェのな」

 土方は呆れたように紺色の傘を開くと、それでも半分を銀時に差し出した。
 悪ぃ、とジェスチャをして、銀時は小走りで傘の中に入る。

「でもさー、変わったとこもいっぱいあるよ、たぶん」
「へぇ、例えば?」
「たとえば……めっきり男らしくなったとか!」
「…その爆発した頭で言われてもなァ…」
「う、うるせーな!お前こそなんなんだよ!なんで雨の日なのに男ぶりがあがってんだよ!雨の日のほうがかっこいいとか嘘だろまじで!」
「何言ってんのか全然わかんねェ…」

 至近距離でわめかれて、土方は顔をしかめた。
 湿気を含んですこし質感のある黒髪は、彼にいつもよりアンニュイな雰囲気をまとわせる。

 小学校までこの地元で一緒に過ごして、中学入学のタイミングで土方だけ家族で東京に引っ越した。
それから、六年ぶりに大学で再会したのが二年前のこと。
 そのときもだいぶ大人びた印象を持ったけれど、その日以来今日に至るまで、同性である銀時の目から見ても土方は洗練された魅力を増していったように思う。

 多感な10代の大半を都会で過ごしたのだ。
 おまけに、通っていたのは私立の一貫校だったと聞いている。
 生まれてからずっと山に囲まれた地で過ごしている自分と比べれば、根底をながれる感覚や美意識に差がないはずがない。
 傍らを歩く幼馴染は、良く良く知った人物であるはずなのに、時々ふいに全く知らない誰かのようにも思えた。

「あの子、泣いてたかな」
「さあ…傘で見えなかった」
「冷てぇな」
「何が」
「…雨」
「ああ」

 つめたいな、と言って土方は傘の柄を握りなおした。
 雨は降り止む気配もなかった。



 ☆ ☆ ☆



 「まるで双子みたいだ」と、幼い二人を取りまく大人はよく口にした。

 初めて出逢ったのは小学校の入学式だ。
 式で隣の席に座った母同士が意気投合したせいで、クラスも同じだった銀時と土方はそのあとの六年間をほぼ一緒に過ごすことになった。

 顔立ちも、性格も、一見まったく対照的である二人はしかし、しょっちゅう同じものを欲しがり、同じものを取り合って喧嘩した。
 物心ついた頃から、付かず離れずの距離で育ってきた二人が、似たような価値観を持つようになるのも不思議なことではない。
 銀時と土方はいつでも、無意識のうちにお互いを一番のものさしにして行動していた。
 運動だって勉強だって、二人は毎回僅差で成績を争ったものだ。
 それはよくも悪くもお互いを成長させたし、大人たちはそんな彼らを見て嬉しそうに目を細めていた。

 ただ、人生で出逢うものは勝ち負けで計れるものばかりとは限らない。
 どうにも割り切れないことだって、ある。
 そのことに銀時が初めて気がついたのは、小学五年生の時だった。

  *  *

 今日と同じように、しとしとと柔らかい雨の降る日だった。
 帰りの会が終わり、隣のクラスの土方に帰ろうと声をかけに行くと、校内で用事があるから先に帰っていてくれと頼まれた。
 わかったと返事をして教室をあとにした銀時は、こっそり校門の外で彼を待つことにした。
 土方をびっくりさせたかったし、それが友達としての優しさだと思ったからだ。

 ところが、土方はいつまで経っても現れない。
 帰らずにいるところを先生に見つかれば怒られるだろうし、六月とはいえ雨のせいで外は肌寒い。
 もう諦めて帰ってしまおうかとランドセルを背負いなおしたそのとき、銀時の目の前を、校門を抜けたばかりの生徒が傘を持たずに小走りで駆けていった。
 見覚えのあるその姿に、慌てて声をかける。

「ひじかた!」

 振り向いた生徒は、驚いたように目を丸くした。

「ぎんとき…どうして」
「えへへ…待ってた」
「そっか」
「傘、どうしたの?」
「あ、えっと…忘れた」
「なんか珍しいな」
「そう、かな」

 じゃあいれてあげるよ、と傘を差し出せば、土方は一瞬ためらいを見せた。

「待っててくれたし、小雨だし、大丈夫だよ」
「気にすんなって…兄貴のだから、でかいし」

 ほら、と腕を引っ張ってなかば無理やり深緑の傘の中に引き込めば、スチールの柄の向こうで土方が小さくありがとうと呟く。

「今度パフェおごってくれればいいから」
「はぁ?10円チョコでがまんしろよ!」
「やーだー」
「ならもう出るわ」
「いやいやわかったごめんって!戻って来てよ土方〜!」


 どうしてそのとき土方が傘を持っていなかったのか、理由を知ったのは翌朝の教室の中だった。
 昨日の放課後、銀時のクラスの女子のひとりが土方に告白して、フラれたこと。
 それでも、傘を忘れたその子のために、土方が自分の傘を貸してあげたこと。
 噂はあっという間に広まっていた。

「お前土方と仲いいじゃん、なんか知らねえのかよ」
「え、いや、何も…」

 真相を確かめようとクラス中が躍起になっているなか、その渦中の女子生徒が教室に姿を見せたことによって全員の注目はその生徒に向いた。
 彼女を見た瞬間、銀時はその噂がまぎれもない事実だったことを悟る。
 クラスの男子の中で一番人気だったその女子生徒は、銀時にとっては見慣れた紺色の傘を丁寧に胸に押しいだいていたのだった。

「坂田くん」
「…え、あ、はい」
「これ、土方くんに返してもらっても、いいかな」
「あ、えと、うん」

 クラスメイトたちの注目を浴びるなか、銀時はぎこちない動きでその傘を受け取った。
 銀時自身が秘かに想いを寄せていた女の子から預かった傘は、なんだかとてもいい香りがしていて、それなのに柄にはしっかりと「土方十四郎」と書いてあって。
 初めて、自分の知っているはずの土方が別の誰かのような気がした。

 その日の放課後、銀時は幼馴染に傘を返したけれど、何も訊くことはしなかったし、土方も何も言っては来なかった。
 ただその日を境に、土方には女子生徒からの表立った人気が集まるようになって、それが銀時にとってはとてもつまらなかったのを覚えている。
 その気持ちが矛先がどこに向いているのか、このときの銀時にはわからなかったけれど。


 ☆ ☆ ☆


「ああいうのいちいち断るのも大変だね…」
「まあな」
「OKすることなんてあんの?」
「なくはない」
「まじで!」
「うん」

(そうか…)

 そんなことはきっと、銀時の知らない東京での生活の間に何度もあったことなんだろう。
 土方が誰かと付き合っている想像は簡単にできるようでいて、いざ本人を目の前にするとそれが妙に生々しく感じられてしまう。
 銀時だって、高校生のときは同級生と付き合ったりもしたし、大学に入ってからもサークルの女子と遊んだりはしている。
 それでもなぜだか、幼馴染と異性との関係が気になって仕方がなかった。
 土方と女の子が一緒にいるのを見ると、胸の奥底がぐずぐずと燻って落ち着かなかった。

 そしてそれはきっと、幼いあの日の自分が抱いた感情の澱と同じだと、そのときの銀時は思っていた。


「プラネタリウム行こっかなぁ…」
「これから?」
「うん…本当は夜、天文台にいきたかったんだけど…」
「ああ、今日は第四金曜日だから…」
「そう、鑑賞会があるから。でも雨だしなあ」
「それは、また行こうよ」
「付き合ってくれんのか?」
「もちろん」

 頷けば、土方はわずかに顔をほころばせた。

「いい友達でしょー」
「自分で言うなや!」


 たぶん今はまだ、これでいい。幼馴染の距離のままでいい。
 それでももしかしたら、この胸のもやもやと向き合わなければいけない日が来るかもしれない。
 
 銀時はふざけて土方の肩を抱き寄せた。
 大学生が二人入るには傘は小さくて、外にはみ出ていた土方の左肩は濡れて冷たい。

「俺もプラネタリウム見よっかな」
「まじでか」
「うん、土方くんとデートしたいもん!」
「…キモい」
「ほんとに冷てぇなおまえ!」

 まだ明るい空に、一番星がひとつキラリと輝いた。




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