濃紺の地に、ところどころ銀の刺繍をほどこしたような空が広がる。
 ひとつ、ふたつと数えられるほどはっきりと光る星は、ネオンの少ない郊外の地だからこそ見られるものだ。
 昔から、何かに行き詰まると空を見上げて来た。
 晴れの日も、雨の日も、昼も、夜も、空は二度と同じ表情を見せない。
 ひとつ所に留まることなく、ゆるやかに移り変わっていくそれは、いつも土方の心の澱を優しく溶きほぐしてくれた。

 父親の仕事の都合で、東京の中学に進学してから六年。
 都会は嫌いではなかったけれど、やはり生まれ育った地が忘れられず、大学は地元の国立大学を選んだ。
 無事に合格して、卒業式を終えたのが二週間前のこと。
 家族は東京に残し、四月から学生寮で一人暮らしを始めたばかりなのであった。


 窓を開ければ、優しい暖かさをはらんだ春風が吹き込んで来る。
 とろりとまどろむ夜空に描かれた大三角は、スピカ、デネボラ、アークトゥルス。
 北の空の高いところには北斗七星をなすおおぐま座、西の端には冬の名残の大三角が見える。


 と、空を見あげるのに夢中になっていた土方の鼓膜を、カン、と硬い音が叩いた。

(…?)

 なんだろうと首をひねると、もう一度同じ音が鳴って、窓枠に当たった小石が室内に転がり込んだ。

(…石?)
「おい」
「え?」

 声のするほうに首を向ければ、寮の外に人影が見える。

「誰…?」
「ひじかたー!」
「…?」
「おれだってば、」

 言うが早いか、人影は外に植えられたカエデの木を素早くのぼって、窓の外からぴょこんと顔を出した。

「よっ」
「ぎ…ぎんとき…!?」
「元気してた?」

 目を丸くする土方をよそに、男は窓枠を乗り越えて猫のごとく部屋の中に転がり込んで来た。

「な…どうして…」
「戻って来たって風の噂にきいて」
「うん…」

 上がり込むやいなや、ちゃっかり目の前であぐらをかいている男は、小学校時代に机を並べて勉強した同級生、坂田銀時だった。

「風の噂っつーかさ、フェイスブックで検索してみたんだよね…ひっさびさに。そしたら、こっちの大学に入学するって書いてあったから…」
「そう、なんだ」
「ていうかここらへん、有名な大学ってあそこぐらいしかないしさー、だから俺も一緒んとこ」
「まじでか…」
「うん、また同級生だなー」

 そう言ってにこりと笑う顔は、六年前と何も変わらない。

「おかえり、土方」
「ただいま…」

 地元に戻って来てから二週間、誰からも言われることのなかった台詞に、心がじんわりと暖かくなる。

(あ、髪の毛に葉っぱついてる…)

 ふわふわした天然パーマも相変わらずのままで、土方は思わずくすりと息を零して笑った。



「何してたの、こんな時間に」
「え、あぁ…早々に課題が出てさ」
「何学部だっけ」
「工学部」
「そか」
「お前は?」
「俺はねー、教育学部」
「へえー…先生になんの?」
「ははは…さーね」

 最後に会ったときは、お互い十をいくらか過ぎたくらいの年で、それから六年も経ったというのに、普通に普通の話が成立することに土方は感動すら覚えていた。

「土方は相変わらず真面目だねえ」
「でもお前だってS大受かってんだろ」
「ふふ、意外?」
「いや、そうでもないな…お前要領だけはよかったから…」
「何それ、褒めてんの!?」

 はは、と笑ったついでにあくびが漏れた。
 机に置いた時計は、午前二時を指している。

「明日も一限あるし、そろそろ寝るわ…」
「そっか」
「じゃあまた明日……
 ………て、え?」

 幼馴染を送って行こうと腰をあげかけた土方の目に、ちゃっかりベッドに横たわる銀時の姿が写った。

「え何?」
「何って、え?」
「ん?」
「何してん…の…?」
「え、だってもうこんな時間だし…」
「こんな時間にほっつき歩いて勝手に人の部屋入って来たのはどこのどいつだよ!?」
「…、ぐー…」

 寝たふりすんじゃねええええ!と大声をあげかけて、ふと寮の壁の薄さを思い出す。
 確か事前申告なしに友人を連れ込むのは禁止されていたから、下手に騒いで見つかりでもしたら、あとで怒られるのは土方だ。

「…はぁ」

 大げさに溜息をつくと、その場で横になった。

「あーごめんごめんって!」

 はあやっと退く気になったか狸寝入り野郎、と思いながらベッドの方を見やれば、銀時はいまだ鎮座したまま。

「ほら」
「はぁ?」
「ほらってば!」

 差し出された手の意味をわかりかねていれば、焦れた銀時の手のひらが土方の手首をつかんだ。
 そのままぐうっと引っ張られて、ようやく銀時の意図を理解する。

「ぷっ…はは、添い寝?」
「何で笑うんだよ…」
「いや、だって何年ぶりだよ」
「10年ぶりとかじゃね?」
「だよなあ…」

 高校を出れば、思春期特有の羞恥心さえも卒業してしまうらしい。
 六年会っていなければそれは尚更のことで、土方は銀時と同じ布団に入るということに対して、そのときほとんど抵抗を感じなかった。
 ただ幼い頃の思い出の懐かしさに、照れくささなんてのも忘れて、銀時が占有していた布団にごそごそと潜り込んでみる。
 しかしながら、学生寮のベッドの広さなどたかが知れている。
 銀時を壁際に追いやりながら、土方は落ちないように身を支えるので精一杯だった。

「あ、窓閉め忘れた」
「よくね?今日新月だし…」
「そうだな」
「昔、良く星を数えながら寝たよね」
「あー、そうだった…」
「いつのまにか土方寝ちゃってさ…」
「はあ!?それはお前だろ!」
「いやいや土方だって…」
「いやいやいや銀時だろ…」
「フフッ、変わんねーのな」
「お前もな」

 肌に触れる銀時の身体は、紛れも無く成長期を終えた男性のそれで、あの子供らしい柔らかさが失われてしまったことに少しだけ淋しさを感じる。
 自分の知らない間に、知らないところで、それでも時は流れ続けている。

「ねえ、おひつじ座事件覚えてる?」
「は?」
「小学校の秋の星座会でさー、土方ひとりだけ最後まで見つけられなくて…」
「…そ、そうだっけ?」
「そうそう、そんで悔しくて泣いちゃってさー」
「ちょ、話作ってんじゃねえよ!」
「事実だってー。あんとき俺土方が泣いたの初めて見たもん…」
「まじかよ…」
「ねえ、じゃあ今日はさ」

 ひつじを数えようか、と天を仰いだまま銀時が言った。

「星じゃなくて?」
「うん」
「ひつじか…」

 いいよ、と返せば、すかさず銀時が口を開く。

「ひつじが一匹…」
「ひつじが二匹…」
「ひつじが三匹…」

 交互に羊を数えながら、眠気に委ねるがままにゆっくりと目を閉じてゆく。
 網膜のうらには、きらきら光る宇宙をぎゅっと集めたような小さな星空が広がった。

「ひつじが六十三びき…」
「ひつじが六十よんひき…」

 空はいつでもどこでも、等しくすべての人の上にあって、変わらぬ懐の広さを見せてくれる。
 明日の朝からは、またふたり同じ空を見上げながら生きていく。
 叶うなら、この星空が一周したときにも、同じように隣同士空を眺めていられたら、なんて。
 星に願いをかけるには、まだ何ヶ月か早い。

「ひつじがきゅうじゅうきゅうひき…」
「ひつじがひゃっ……」

 先に眠りの世界に誘い込まれてしまったのは、果たしてどちらか。
 真相を知るのは、ただ中天にかがやく春の夫婦星だけ。






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