「女になりたい」
卒業式後の国語科準備室で、俺の元担任は唐突に言った。
「ついに邪魔になったか」
「何が?」
「股の付属品」
「はっ、違えよ」
話の糸がまったく見えなかったため、どうせ冗談だろうと思って適当に返した。
しかし相手の笑い方にはどこかいつもと違う雰囲気があった。
「じゃあ何でだよ」
胸の奥がざわつく。
「んー?そしたらお前とずっといられたじゃん」
「……」
「ときめいた」
「んなわけねえだろ、馬鹿」
いられた、なんてそんな。過去形だなんて絶対認めたくなかった。
「つーかてめえが女だったら今の数倍面倒くさそうだな」
「なんで」
「やたらと女をアピールするだろ。『疲れたから持って』とか、『男なんだからおごれ』とか」
「うわー言いそー」
「だろ?だからぜってー付き合わねえ」
何とかこの雰囲気を消し去りたかった。話題を変えたい。重い台詞なんて聞きたくない。
「いやいや。きっと好きになるよ」
「どっからくんだその自信」
「だって女になっても俺だもん。土方はさ、俺が好きなんだよ。男だろうと女だろうと」
「……よく言いきれるな」
「俺だからね」
ははっと、やはり笑いながら言うそいつに心底いらついた。だいたいなんだよ、女になりたいって。今まで散々人のこと好き勝手に抱いておきながらよく言えるな。
「女になりてえのか」
「ん?」
「女役はどうだよ」
「嫌」
「早!」
「男になって一番よかったことはお前をあんあんひんひん喘がせられたってことだからな」
「あんもひんも言ってねーよ馬鹿!!」
何を言っても完全に向こうのペースになってしまう。いつも通りと言えばいつも通りだが、なぜか今回は焦る。どんよりとした不安で胸がいっぱいになる。呼吸が辛くなってくる。
「見合いの話がきててさ」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
「いい子なんだよね」
平然と話し続ける彼が信じられない。
「ガキに悪ィから今のうちから禁煙しとかないとなー」
どうして。
「なっかなか禁煙ってできないらしいからなー。お前相当苦労す…」
なあ。
「…っ先生!」
どうして。
「…俺のこと、好きなんだろ」
そんな彼の言葉が長い沈黙を破った。
声が震えてしまわないよう、体中に力を入れながら返事をする。
目は、見れるわけなんかない。
「……お前こそ」
「ラブの方で?」
「……今更何きいてんだ」
「じゃあさ、これからお互い誰と添い遂げようと、俺らは永遠に両想いだ」
未来のことを話す意図はもう嫌でもわかる。せめて辛そうな顔をしていてほしい。だが俯いている頭を上げる勇気はまだなかったため、結局わからなかった。
「……せん、」
「あーでもやっぱ嫉妬するからこれだけは誓おうぜ」
嫉妬ってなんだよ。何を誓うんだよ。勝手なことばかり言いやがって。
だが彼は一向に続きを言わなかった。
不思議に思って顔を上げた途端、唇に唇が触れた。
一瞬だった。
けどその間に悟った。
きっとこれが最後だ。
「寝る前に必ず頭ん中で、俺はお前に、お前は俺に、『おやすみ』を言うこと」
こうすればいつまでだって恋人みてえだろ?なんて言いながら俺を抱きしめた彼の顔は今までに見たことないほど泣きそうだった。
仕方ないから変わりに俺が泣いてやった。押し殺そうとしても溢れ出す嗚咽に嫌気がさして喉を押さえたが、かえって苦しくなって咳き込んだ。
「ばーか、何やってんだよ」
という震えた声と水滴が、頭の上から降ってきて俺の中に溶けてゆく。
このまま2人が世界から切り離されてしまえばいいのに、なんて、生まれて初めて思った自分に笑えた。
「……誓い…忘れたら、殺す」
あなたに好きになってもらえてよかった。
あなたを好きになれる自分でよかった。
「ありがとう」
どうか幸せに。
「おやすみなさーい」
「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。…おやすみ」
「ふふっへんなの」
「あ?」
「お父さん、いっつもおやすみって2回言うよね」
「あ、それお母さんも思ってた。結婚する前からそうだったのよ」
「「なんで?」」
「んー…おまじない」
「なんの?」
「明日も元気でいるための」
おやすみなさい。
愛してる。
Fin.