意識が浮上した途端、ずきんと頭のどこかが痛んだ。
頭を強く打ったのだろうか。内部からではない痛みは、明らかに外傷によるものだろうと予測がつく。

その前にここはどこだ、と土方は自問した。

薄暗い視界に入ってくるのは、広く人気のない空間の隅に置かれた大きな荷物や散乱したロープ。
頬に触れる床も、遥か遠くに見える壁も冷たいコンクリートであるところからして、倉庫かどこかなのだろう。

立ち上がってそれを確認できないのは、両手だけでなく両足まで縄で戒められていたから。
身を捩ってなんとか半身だけ起こして、きょろきょろと周囲を見渡す。

と、ギィ、と後方の扉が開く音がして、中から人影が現れた。

「よう、気がついたか」
こちらに近づきながら、暢気に声を掛けてくる。
片手に持った煙管をぷらぷらと回すその男は、左目を包帯で覆った、隻眼。

「誰だ、テメェ…?」
「俺が誰かの前に、自分がおかれてる状況考えたほうがいいんじゃねーのか?」
「…ッ、テメェか、こんなことしたのは」
「そうだな」
「何のために…!?」
「まあまあ、慌てずにゆっくりやろうや…」

はぐらかされてギリ、と歯を噛みしめた土方を見下ろしながら、男はさもおいしそうにたっぷりと煙を吸い込んだ。









息子が人質に取られたらしいから助けて欲しい、という通報が入ったのはその日の昼前のことだった。
捜査一課に所属して3年になる土方は、連絡を受けるとすぐに同僚の刑事数人とともに被害者宅に向かった。

小学生の男児を人質に取った犯人は、身代金として100万円を要求してきた。受け渡しには母親がひとりで来いという。

「そのうえ服装の指定もだと…?」
「ええ、ロングスカートにつばの広い帽子を被って来い、と…」
「妙だな…」

部下からの報告に土方は眉根を顰める。指定された条件を書き出しながら、土方はいかにして母親と男児の安全を確保するかということに思考をめぐらせていた。


「俺が囮になる」
「は…!?そんな、ばれますって!」
「いや、犯人が服装まで指定してきたのはどうもおかしい。これは身代金以前に、奥さんに対して何か狙いがあるという可能性もありえる。それに身長は大して変わんねーみたいだし、向こうが指定してきた帽子にロングのスカート姿なら、夜目にはそう簡単に気付かれねえだろ。」
「そうですけど…」

若い頃はバレーボールの選手だったという母親は、背もかなり高かった。二人並んでも、確かに男女の差こそあれ、さほど大きく違うわけでもない。

「んじゃ、お前が行け」

指示を仰いだ年輩の刑事に電話でそう告げられ、作戦が決まった。
日がすっかり落ちるまで待ってから、母親から借りた衣服を身に付け、指定時刻よりやや早めに土方は単身港へと乗り込んでいった。

離れた場所に停めてある覆面パトカーの中で待機する仲間とは、レシーバを使ってやり取りをしていた。
倉庫ばかりが立ち並ぶ港は人気もなく、あまり近くに車を停めると目立ってしまうので、車はだいぶ遠い場所に停めざるをえない。
お互いの状況の確認をし終えた頃、ちょうど約束の時間になった。
土方は身代金の詰まったカバンを両手で持ち、なるべく女性らしく見えるように振舞いながら指定された場所へと進んでいく。
と、土方が立ち止まってカバンを地面に置いたところで、近くの植え込みの中から複数の人影が飛び出してきた。
明らかにカバンを持ち去るだけが目的とは思えない人数である。

(やはり狙いは奥さんのほうか…!?)

ぎりぎりまで母親の振りを演じて、飛び掛ってきたところで逆に捕まえてやろうとポケットの中の手錠に手をかける。
しかし、その動きを読まれていたかのように左右から手が伸びてくると、両手をがし、と掴まれて後ろに強く引っ張られた。

(や、べえ…!)

左右から身体を押さえ込まれて、身動きが取れない。
応援を呼ぼうにも、自由を奪われた手ではレシーバの発信ボタンすら押せなかった。

「土方さん、今行きます…!」
危機を察知したらしい仲間から、耳に仕込んだイヤホンに声が飛び込んでくる。

しかしそのとき、後ろから伸びてきたハンカチがガッと口元を覆った。
突然のことに、不覚にも息を吸い込んでしまう。

(やべ…すげえ吸っちま…っ、た…)

遠くから小さくサイレンの音が聞こえてくる。
それが少しずつ近づいてくるのを聞きながら、土方の意識は反対にだんだんと遠のいていった。


***

「てめえの狙いはやはり、奥さんだったのか…?」
「なんだ、俺が間違えてテメエを引っ張ってきたとでも思ってんのか」
「違う、のか…?」
「ハ、男か女かぐれぇ、夜でもわかんだろ」
「じゃあなんで…ッ」
「まだわかんねーのか?俺が狙ってたのはあの女でも、ましてやガキでもねえ。
テメエだよ、捜査一課の土方十四郎くん。」

土方の顔色がさっと変わった。
男はそれを見て、クッと喉で笑う。

「…!?」
「アンタにゃ俺の大事な人を奪われたもんでね…いつか復讐してやろうと思っていたのさ。わざわざ体格を隠しやすい服装を指定したのも、アンタが担当すりゃ絶対にこのやり方でくると踏んだからだ…あの事件と同じ、囮作戦でな。」
「逆恨みか…」
「恨んで何が悪い?俺の大事な人は戻ってこねえ。せめてテメエん中に刻みつけてやりてえんだよ、俺の、あの人の苦しみを……できうる限り最低な方法でな。」
「器の小せェ野郎だな…」
「フン、今のうちに好きなこと言やぁいいさ。じきにその減らず口から可愛い声しか出ねえようにしてやるよ。」

そう言うと、男は紫煙を吐き出した。
右手に持つ煙管から立ち上る煙は、苛立たしいほど悠然と無機質な天井に向かってたなびいてゆく。

屈辱的な体勢を強いられたまま、土方はせめてもの抵抗で煙を吐き出す男を睨みつけた。
その視線を余裕たっぷりに受け止めて、隻眼は心底おいしそうに息を吸い込む。

「さて、もう御託はいいだろ」

男がちらりと後方をみやった。
合図を受けた部下らしき男たちが、大きな紙袋を持って近づいてくる。

「高杉様、こちらで」
「全部空けろ」

高杉、と呼ばれた男の指示で、がしゃがしゃと中身が床にぶちまけられた。
明らかにそれとわかる卑猥な玩具から、用途すらわからないものまでが土方の面前に広げられる。

「俺はこーゆー玩具つくる会社やっててな。うちの製品、どれでも好きなモン使ってやるよ。」

土方のこめかみを冷や汗がツ、と流れ落ちる。
色とりどりのプラスチックが、モノトーンの工場内で妙にきらきらと色を放った。



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