(※百合です!苦手な方はご注意) 「えっうそ…っ、ほんとに!?」 「しぃっ!声でかいってば!」 数学の教師に怪訝な目で見られ、土方は慌てて視線を写しかけの数式がならぶノートに落とした。 「…え、パー子それほんとなの?」 教師が二次方程式の解説を再開したのを見届けて、土方はこっそり坂田に問う。 彼女の後ろの席に座る坂田は、ボリュームのあるツインテールをゆびで弄びながら、こともなげにうんとうなずいた。 兄とそっくりの天然パーマゆえに、小学生のころから周囲にパー子と呼ばれている彼女は、そのあだ名をあまり気に入ってはいなかったが、兄と土方にだけはそう呼ぶことを許している。 「なんでわかったの?」 「女の勘」 「何それ…ていうか、お兄ちゃんたちってさ…」 「うん、男同士」 「それってつまり、ただの親友じゃなくて?」 「違うと思う。あのふたり、あきらかに」 付き合ってるよ、と、坂田が先ほどと同じ台詞を繰り返す。 土方の瞳が驚きにひろがるのを見て、坂田はにぃとわらった。 妹たちの事情 坂田家と土方家は、双方の子供がまだほんの幼い頃から、家族ぐるみの付き合いをする間柄だった。 兄と妹、という構成だけでなく、その年齢もそれぞれぴたりと同じだったから、子供たち同士が双子のように仲良くなるのはしごく当然だったろう。 3歳離れた土方の兄は現在高校二年生で、成績優秀なうえに剣道部の副主将も務める、まさに文武両道の自慢の兄だ。 引き出しの隅にごっそりと重ねられたラブレターの束に、一応は開封した形跡のあることは知っていたけれど、それでいて特定の彼女がいたのは中学生のとき一回きりだったから、常々もったいないことだとは思っていた。 対して坂田の兄は、どこかねじの緩んだような男で、成績もたいして良くはないらしかった。そんなふうに始終面倒くさがってどこの部活にも属していないくせに、それでいてしょっちゅう方々から助っ人を頼まれるような、妙に人望のある男だとも聞いていた。 土方の兄と決してうまの合うタイプではなさそうなのだが、それでもすぐそばで育ったせいか、何故だか似たところのある二人だったから、高校生になった今でも一緒に居るところはしばしば見かけた。 そんな事情があったから、仲はいいんだろうと思っていたけれど、まさかそれが友情を超えた段階にまで達していたなんて思いもよるはずがなくて。 土方にとって坂田の話は寝耳に水どころではない。もしそれが本当なら、人生を揺るがす大事件だ、と彼女は思った。 「確かめてみる?」 「ど、どうやって?」 「今日、アンタの兄貴がうちに来る」 「まじで!?」 「うん、昨日約束してたの、聞いてたから」 「…で?どうするの…?」 もったいぶって、薄いピンクのくちびるが弧を描く。 「決まってんじゃん。盗み聞きすんの」 言って、坂田はいたずらめいた笑みを浮かべた。 *** 「親はいないし、アタシも出掛けるふりして家出てきたから、あとはこっそり窓から入ればOK」 「う、うん」 帰宅して母に兄の居場所を問えば、坂田くんの家に寄ったらしいと返された。パー子の言っていたことはどうやら本当らしい。 図書館で勉強してくる、と嘘をついて家を出ると、坂田に言われたとおりに彼女の家の真裏に向かった。 「いまふたりとも兄貴の部屋にいるっぽいから」 あらかじめ坂田によって鍵を外された両親の寝室の窓から侵入すると、ふたりは足音をしのばせて二階の坂田の兄の部屋へと向かった。 階段をあがりしな、脇の玄関に目をやれば、見慣れた兄の革靴がきれいに揃えて置いてある。 そしてそのすぐ隣に、坂田の兄のそれが無造作に脱ぎ捨てられてあるのもみえる。 並んだ同じサイズの2組の靴は幼い頃から何度も見ているはずなのに、なぜだか今更それが意味するところを考えて土方は思わず眼を伏せた。 「とりあえずアタシの部屋はいって」 兄の部屋に隣接する坂田の部屋に通され、土方は物音を立てないように気をつけながら荷物を置いた。 坂田をみれば、早くも壁に耳を当てている。 「…きこえる?」 「うん、なんとなく…アンタも早く聞いてみなよ」 「う、うん…」 促されて、恐る恐る耳をくっつけてみれば、隣室で交わされている会話がとぎれとぎれに聞こえる。 その声の主が、自分の兄とその親友であることは間違いようがなかった。 『…じか……っ、』 『ってめ、そん…きな…ッ』 『…じゃん、…もいな…しっ』 『やっ、わ…っ!』 ドサリと大きな音が響いて、会話がそこで途切れる。 驚いて傍らの坂田の顔を見ると、妙に真剣な顔つきで壁の向こうに聞き耳をたてていた。 「パー…」 「しぃ!今いいとこなんだから」 「え?いいとこって…」 「黙って聞いてなよ〜」 にやにやと口元を緩めながら坂田がそういうので、土方も恐る恐る耳をあてることにする。 盗み聞きなんて趣味の悪いことだとは思ったが、普段あまり自分のことを話さない真面目な兄の知られざる姿に、興味がないといえば嘘だった。 『…あ、さか……ぁ!』 『は、…じか……ッ』 『…あ、ん…、や……』 『……ッ、……』 『…あ、も…や、あぁ…!』 (え、何これ…?) 隣室から聞こえてくるのは、紛れもなく兄の声だ。 でも、違う。こんな声は聞いたことがない。 (これが、お兄ちゃん…?) そのことを認識した瞬間、頬に熱があつまるのがわかる。 すぐにでも聴くのをやめなければ、と背徳感が身を締めつけるのに、なぜだか耳が離せない。 漏れ漂う声の欠片を、無意識に追いかけては拾い集めてしまう。 そうして集めた兄の声が、意味を成さない母音の羅列だとわかっても、その事実が逆に壁一枚隔てた向こうで行われている行為の紛れも無い証明になって、土方は金縛りにあったようにゆびひとつ動かせないでいた。 自分でも思った以上に壁の向こうに意識を集中させていたらしい。 坂田の声が自分の名を呼ぶのにも気づかず、ふいに肩に手を置かれて、土方は身を震わせた。 「わ、ど、どしたの…?」 「ね、としちゃん…アタシなんか…」 「ん?」 おずおずと顔だけを傾けてそちらを見やれば、のぼせたような顔をした坂田の、妙にうるんだ瞳が土方を捉えている。 「なんか…むらむらしてきちゃった」 「は、何いって…」 熱でもあるのかと額に手をかざそうとした瞬間、ぐいとうでを引かれる。重力の働くままにカーペットに押し倒され、気づけばほんのりと頬を紅潮させた坂田のうしろに天井が見えた。 「ちょ、ぱー…」 「やばい…としちゃん可愛い」 「は?ほん…」 ーちゅ (うそ…) 開きかけたくちびるに、軽くキスを落とされる。 初めて感じる他人のそれのやわらかさに惚けていれば、続けて頬や鼻の頭に次々とキスの雨が降ってくる。 くすぐったさに顔を逸らせば、今度は首すじに唇が寄せられて、同時にセーラー服の中に手が侵入してきた。驚いて、土方は思わず坂田の手首を掴む。 「ちょ、何考えて…!」 いくら女同士といえども、越えてはいけない一線というものは存在する、はずだ。 でも兄たちは、男同士でありながらその一線とやらをたぶんきっと越えてしまったみたいで、そんな事実を突きつけられながら目の前の親友に流されそうになっている自分がいた。 あわやのところでほそいほそい理性を繋ぎとめて、とうにそれが切れてしまったらしいツインテールを見上げる。 「ちょっ、やばいってパー子…!」 「なーにが」 「やっ、くすぐった…っ、」 坂田の手が、土方の胸のかたちを確かめるようにうごく。下着越しでもはっきりと分かる指先の熱さに、土方の身体にもだんだんとあらがえない熱が灯されてゆく。 (やばいやばいこれは…!) としちゃん、と、彼女と兄しか呼ばない名が耳朶をなでる。 「…ふぁっ、」 「としちゃんの声、ちょう可愛い…」 無防備な耳元にそう囁きこまれて、土方はぶるりと身を震わせた。 坂田のくちびるが耳のうぶ毛を食んで、増幅された息遣いが中から土方を冒してゆく。 頭の内側まで坂田の放つモノでいっぱいに埋め尽くされて、土方は思わずぎゅうと瞼を閉じた。 と、ふいに緩く風が吹き込む気配がした。 何だろう、と思って頭上を見上げるのと、声が降ってくるのが同時で。 「おい、パー子おまえ何して…」 「お、お兄ちゃん…!?」 「ええええ!」 組み敷かれたままの体勢で傾いた土方の視界に、くすんだ色のジャージを履いただけの坂田の兄の姿が入り込んだ。 「え、なんで…」 「そりゃこっちの台詞だろ…お前出かけたんじゃなかったのかよ…つーか何してんの」 「何って……あ、あんたたちのせいだから!」 「は?どういう意味だよ…」 兄の怪訝な視線をかわすように土方から離れると、坂田はすこし乱れた制服を直すふりをした。 「…ていうか、としちゃんのお兄ちゃんはどしたのよ」 「ア、アイツ…?部屋に、いるけど…」 「へぇ…?もしかして、ベッドのうえに?」 「…ッ、てめ、パー子何が言いてんだ…」 図星なのか、坂田の兄が一瞬答えに詰まる。 動揺した兄の顔を眺めて、形勢逆転とばかりに坂田はツインテールをゆびにからめて笑う。 「ふふ、わかってるって。邪魔なんてしないし、お母さんには黙ってるから…だから」 「……?」 「だから、うちらの邪魔もしないでね」 え、と思わず声を出した土方の肩を、おもむろに坂田が引き寄せる。 「こうやって、これからも4人で仲良くしよ?」 にこりと笑った坂田のなかに、土方は小悪魔の面影を見た気がした。 真っ赤な糸でむすばれた坂田家と土方家の縁は、到底切れることなんてなさそうだ。 |