貝殻からきみの声が聞こえた気がした。 海と星の砂 『えー、つづいてのニュースです。江戸では連日の猛暑に伴って、熱中症の患者が急増しており、特に幼児やお年寄りなどの免疫力の低い層にとっては死に至る危険性もあるということで…』 「だからってよ、町内会のジーさんバーさんの仕事全部回ってくるとかなくね?」 「でもいいじゃないですか、仕事ないより…」 「ふっざけんなよ、町内会の何パーセントがジジイババアで形成されてると思ってんだ。町内会からジジイババア抜いたらちんかすしか残んねーんだよ。んな暑い中働いたって、死にゃあしないって…」 「でもこの前屋根のうえでジイさんがとんかち持って干からびてたアル。街中がジジイババアの干物だらけになったら私いやヨ。」 「か、神楽ちゃんそれってやばいんじゃ…」 「何言ってんだよぱっつあん、年寄りなんてもともと干物みてーなもんだろうが。干物がひからびても干物にしかなんねーよ。」 ブチ、とテレビの電源を切ると、銀時は伸びをしながら立ち上がった。 町内会の仕事とはいえ、ちゃんと給与ももらえる仕事だけに疎かにはできない。 「んじゃ、言われたとおりてめーらは夏祭りのうちわ作りの方手伝って来い。俺ァテント設営の方やってくっから。」 「えー、私もテントやりたいアル!キャンプ!キャンピン!」 「バカ言ってんじゃねーよ。元々太陽ダメなてめえがこんな真夏に長時間外にいたら死んじまうぞ。」 「ぶー。わかったアル。」 「よしよし、いい子な。言われた仕事が終わったら勝手に帰っていいから。じゃ、お互い頑張れってことで。」 「あいあいさー!」 元気よく敬礼をした神楽を見て、銀時はまぶしそうに目を細めた。 ******* たかがテントの設営、と馬鹿にしていた自分を呪いたいと銀時は思った。 熱中症対策でお年寄りの減らされた現場は本当に人手が少なく、ひとつ立ち上げても次が待ち受けていて終わりが見えない。 昼休憩を挟んで午後までテントの組み立て作業をやり、その後には法被の配布の仕事が待っていた。 保険会社の営業よろしく、実行委員会の各家庭を回って祭りの法被を手渡ししていく。 (やべーなコレ、思ったより配る範囲広ぇし数多いし…) 「なあ、今何時?」 「あん?15時だけど…」 「やべー、終わるかなコレ…」 「祭りまであと少しだから今が一番忙しいっちゅうのにな。本番は25日からだから…おい銀さん、今日何日だ?」 「え?えっと…にじゅう…いち?とか?」 「21か、あと4日だな。」 日付を聞かれて、一瞬どきりとした。 今日が何日か、本当は確信があった。 にじゅういち、と、煙草を銜えた唇がそう紡いだのを、しっかりと耳に刻んでいたから。 それを聞いたのは先月の同じ日だったりする。 しかし今日がその日だということを敢えて思い出せない振りをしたのは、無意識の自己防衛なのだろうか。 楽しみに待てば待つだけ、それがふいになったときの悲しみの落差が大きいということを、大人になるにつれ無意識に学んでしまったとでもいうのだろうか。 大人というのはずるい、と心底思う。 気づかぬうちに、自分が傷つかないようにそうして防御線を張ってしまうのだから。 「おい、銀さんこっちー!」 「はいはい…」 (ほんとうならあと二時間…) ずしりと法被の重さが腕にかかった。 ******* 「はーい、お疲れさん。これ、ご褒美ね。」 「まじで!?やったー!」 どん、と目の前に置かれた特大のかき氷を見て銀時は歓声をあげた。 「暑い中ご苦労さまでした。」 「とんでもないでっす!もうこんなでっかいかき氷もらえるならいつでもやっちゃいますよ!」 「そうかい、頼もしいね。じゃ、俺は事務作業があるから裏引っ込んでるけど、この店もう閉めたから好きに使ってていいよ。」 「はーい。お疲れさんでしたー。」 サク、ときめ細やかな氷にスプーンを差し込んで、銀時はカウンターの中にあるテレビをつけた。 途端に狙ったように目に飛び込んでくる、黒い制服の集団。 心臓がどくりとなるのも予定調和のようで空しい。 『えー、たった今こちらの海岸で、テロリストと思われる集団による爆発予告がありました。テロ対策特別警察である真選組は、海水浴客の避難などの対処に追われ…』 振り返って壁にかけられた時計を見た。 16時50分。 予想していた事態ではあった。 それでもぎゅうと胸が痛くなったことには、大人の特権を使って気づかない振りをする。 喉元まで出かけた溜息を、掬った氷と一緒にもう一度飲み込んだ。 思い出したように汗が一筋こめかみから流れて、かき氷に混じって塩辛い味がした。 ******* カラン、とガラスの器にスプーンが当たって涼しげな音を立てる。 銀時が二杯目のかき氷を食べ終わりかけるころには、辺りはとうに薄暗くなっていた。 店じまいは終えたとはいえ、いつまでも長居するのも店主に申し訳ない。 そろそろ土方に連絡をいれて別の店でひとり飲もうかと、銀時は最後のひとくちを口に放った。 (冷てぇ、冷てぇ、ああ…) 空の容器を重ねると、置いてあった場所が氷のせいでひんやり冷えている。 銀時はそこに頬を重ねて、ぼんやりと窓の外を見やった。 そのとき、不意打ちのようにカランと喫茶店の入り口をあける音がする。 ドアの外にかけられた、「閉店」のプレートを見ても尚入ってくる客はそうはいまい。 だとすれば。 焦るように入ってきた人影を見とめて、やっと会えた、と銀時はゆっくり微笑んだ。 「おかえりー。」 「本当にすまねえ、遅くなって…」 「いいよ、しょうがないし。テロだったんでしょ?」 「ああ、これで仕事終わるって時に…」 突っ立ったままの土方はほんのりと日に灼けて、頬や鼻柱が珍しくうっすら赤い。 立ち上がって近づくと、その熱を持った頬を両手で包み込んだ。 「ずっと海にいたの?」 「ああ、テロの前から違う仕事があって。」 「ほっぺ、熱いね。」 「お前の手ぇ、冷たいな。」 「気持ちい?」 「ん。すげぇきもちい。」 呟くようにそう言った土方の身体を、まだ熱の残る隊服ごと抱きしめる。 ぎゅっと掴んだ拍子に、袖口や襟元からぼろぼろと砂がこぼれ落ちて、喫茶店の床に小さな小さな砂浜ができた。 会いたかったとか、待ち焦がれたとか、そんな女々しいことは全部飲み込んで、ただ愛しい人が目の前にいるということの喜びだけをかみしめる。 「銀時、ほんとにすまねえ。」 「謝んな、らしくもねえ。」 「でも、だって一ヶ月ぶりなのに…」 銀時ははっとして土方の顔を見やった。 次はいつ会えるとか、どれだけ会えないとか、そんなことを指折り数えてしまっているのは自分ばかりと思っていた。 目の前の男は、そんなことなんて気にもかけないのだろう、と。 急に愛しさがこみ上げて、銀時は殊勝な顔で俯く土方の熱い頬をぎゅっと挟み込んだ。 「ぎんと―」 最後まで言わせずに口付けで塞ぐ。 戸惑っていた土方の両手が、おずおずと銀時の背中に回される。 まるで慣れていないようなその仕草にくすりと笑うと、銀時は両手で土方の頭を支え、角度を変えて口付けを深くした。 「は、ぁ…あつ…」 「つめた…ん、む…は…」 かき氷2杯でキンキンに冷やされた銀時の口内が気持ちいいのか、普段になく積極的な土方に銀時は苦笑する。 「そんなに気持ちいの?」 「だって、すげえ冷たい…」 「いつもは甘いって言うくせにね。」 「…疲れてるからたまにはいいんだよ。」 「そーやって可愛いこと言ってさ、誘ってんの?」 「誰が…ッ!」 日焼けに重ねて真っ赤になった土方の頭を引き寄せて、その熱をとってあげるようにぎゅうと抱きしめた。 「ねえ、まだ聞いてないんだけど。」 「なに…?」 「おへんじ。」 「あ、うー…」 土方はしばらく逡巡してから、こてんと銀時の肩に顔をうずめた。 銀時の背中に回ったゆびがぎゅっと着物を掴んで、ためらいがちな声が二人だけの店内に響く。 「た、だいま。」 ちゅっと口付けた首筋は、海の香りと塩辛い味がした。 |