アイスは溶ける
解けるは数式
数学は飽き飽き
秋には月見
きみを愛す



火夏星


連日のうだるような暑さに、いい加減天気予報を見るのも嫌になってくる。
クーラーの効いた涼しい建物から出ると空気は一転。湿度を含んでまとわりついてくる外気は、不快指数を最大限にまであげる。

夏期講習の一日目を終えた銀時は、塾の入ったビルを出るなり立ち止まって空を仰いだ。

「あっぢいいいいい!ありえねえ!」
「教室が寒すぎんだよ。」
「いや、だっておかしいでしょ!もう太陽沈んでんのに!」

18時を過ぎてもなお明るい空は、青色に染まりつつもいまだ昼間の熱気を孕んで重たい。
銀時は使いはじめのまだ真新しいテキストをかばんから取り出して、ばたばたと顔を扇いだ。
隣を歩く土方も顔をしかめながらシャツのボタンをひとつ外す。

「やだー、やらしー!土方なにそれ誘ってんの?」
「は?」

土方は全身全霊を込めて「お前は馬鹿か?」という表情を作ってみる。しかし銀時は毛ほども動じずににやにやと笑う顔を崩さない。

「てかそもそも何で夏休みってあるわけ?ほんとにうぜー。あああムカつく!」
「てめえ去年はめちゃめちゃ浮かれてたじゃねえか。」
「それ!それだよ!夏休み入ってさあ、周りはみーんな受かれちゃって、やれ海だの山だのwiiだの…」
「いや、wiiは家でもできんだろ。」
「ちげーよ。そういうリア充臭?が気に食わねーの。俺たちだってさあ、騒ぎたいじゃん楽しみたいじゃん!なのに夏休みったら夏期講習だの模試だの『夏こそ苦手克服!』だの、もー耐えらんねえ!この受験生だからって全部我慢しなきゃいけねえカンジがさいこーにたえらんねえ!」
「んまあ、確かにそうだけど…」

銀時はがしがしと頭を掻きながら往来の真ん中で幼い子供のように地団駄を踏んだ。通行人の不審そうな視線にあえて気づかないふりをしながら、土方は勝手に歩き出す。

「ちょっ、待ってよー!」
「うるせー馬鹿置いてくぞ!」
「馬鹿って、そりゃないんじゃない?この前のテスト土方くん何点だったっけー?」
「それは…」

痛い点を突かれて土方は口をつぐんだ。ちゃらんぽらんそうに見えてこの男、何故かテストの成績だけはいい。
そこが何だか癪に触って、でも負けず嫌いの土方にとってはより勉強に励むエネルギーにもなっていた。



「ねえ、なんか今日浴衣の人多くねぇ?」
「…言われてみれば確かに。」

夕闇に混じって、華やかな浴衣姿の女性の集団がそこここに見受けられる。赤や薄桃や紺のカラフルな着物は言うまでもなく鮮やかな夏の風物詩。

「あ、わかった。今日隅田川だ。」
「隅田川?」
「花火大会。」
「ああ…」

先ほどリア充臭がなんたらなどと叫んでいた銀時はまた嫌な顔をするのかと思いきや、意外と満更でもない顔で女性たちが去っていった方向を見つめている。
そんな銀時に一瞥を遣ると、土方は今日出された古文の面倒くさい宿題のことを思い出しながら駅に向かう角を曲がりかけた。

と、身体を振った土方のかばんの中で、缶のペンケースの中身がカラン、と音をたてた。
その音は唐突に、年の離れた姉が夏になると履いていた下駄のそれを連想させる。赤い鼻緒の黒い下駄は、姉が良く連れて行ってくれた花火大会に履いていっていたもの。

土方は、そういえばコイツ家族いないんだったなあ、と思い出す。


「なあ、銀時。」
「あ?」
「行こっか、花火大会。」
「はあ?」
「たまには息抜きも必要だろ。」

珍しく呆けた顔をした銀時の手をひいて、土方は既に小さくなった華々を追って歩き出した。



*******



どーん、ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ

派手な音がビルの立ち並ぶ東京の闇に反響する。
しかし肝心の花火はいまだ見えず、赤や黄色や緑に染まった建物がいつまでも四方を取り囲む。

花火大会の始まりを告げる数十発の花火があがってから、既に30分は経つ。
だがどこも人でごった返した通りは容易に歩くことを許してはくれず、花火が見える場所へと移れずに音だけが聞こえてくる状態はとかく観客を苛立たせる。

土方は握ったままの銀時の手を引っ張って、満員電車よりもひどいすし詰め状態の交差点を抜け出そうと歩を進めた。


「なあ、土方!」
「あ?」
「もうやべえ、息できねえ…」
「俺も…」
「あっち行こう、あっち。とにかくここ離れようぜ。」
「わかった…っ!」



無我夢中で身体を押し進めてようやく抜け出してみると、会場からはかなり離れたところに来てしまっていた。
自分や他人の汗でまみれて火照った身体を夜風にあてて冷ましながら、二人は空を仰いで必死で花火の姿を探す。


どーん、ばん、ばん、ぱらぱら…

地面すら揺るがすような音が耳に響く。
その見かけは華麗でも、音は意外と逞しく力強い。

人気のない通りをしばらく歩いていると、ふと銀時が足をとめた。

「どした?」
「ねえ、ここ、見えるよ。」
「まじで!?」
「うん、結構欠けちゃうけど…」

銀時の言葉尻にかぶせるようにまた一つ大きな音が鳴って、それよりも一瞬早く空に満開の花が咲いた。
高層マンションで右下が四角く切り取られた花火は、それでも十分に美しさを誇っていた。

星も見えない都会の空を彩るカラフルな火の粉は、遠近で空を見上げる100万人の瞳に鮮やかにその姿を焼付け、散る。


「あのマンションからだったらキレーに見えるんだろうな。」
「だな。」
「あー、あそこ住みてえ!」
「一年で今日ぐらいしかそう思わねえと思うけど?」
「いいんだよ、一日でも他人に自慢できれば。」
「絶対明日になったら『下北住みたい』とか言うんだぜ。」
「あー、うっせえなあもう。どうせ俺は土方くんと一緒に住めりゃあどこだっていいんだよ!」
「…へ?」


土方は思わず銀時のほうを向いた。
花火を見つめたままの銀時の横顔に、赤やオレンジが色とりどりのネオンのように映る。

連続して打ちあげられていた花火がふと途絶えて、辺りが一瞬闇に沈んだ。
その合間に銀髪がくるっとこちらを向いて、にこりと笑う。


「ねえ。同じ大学入ってさ、ずっと一緒にいれたらいいね。」


命令でもなく勧誘でもなく願望で語られたその甘い願いは、叶えられるかなんて誰もわからないことがわかりきっているから。
精一杯努力したって、合格か不合格かを決めるのは赤の他人。

幼い子供のようなその願いは、まるで花火のように、儚い。


受験というひとつの壁を前にして、届かない現実にもがき苦しんで、それでも光に溢れた将来を夢見ずにはいられない。
「高校三年生」という人種に与えられた試練をいま一度思って、それでいて目の前の銀髪のあたたかい笑顔に泣きそうになった。


「そうだね。」
「大学生になったら、一緒に住みたいね。」
「うん。」


再び打ちあがった花火はばんばんと空気を切り裂いて夜空を染める。
闇に消えてゆく輝きのカケラを追って、土方は流れ星のように願いを唱えた。


瞳の中に映る小さなキラキラを閉じ込めるように、土方は目を瞑る。
刹那、右の頬に柔らかい感触。
目蓋の裏に、赤、黄、緑。

目を開けると、銀。


吸い寄せられるように、口付けをした。



(ずっと一緒にいられますように。)




春はまだ遠く、少年達はあまりにも若い。



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