分でまる未来




「せんせー!」
「お?さか…ッぐ!」

振り向きざまに額に拳を入れられ、不意打ちに土方はぐんと頭を仰け反らせた。

(おー、きれいな喉…噛みつきてェ)

「さーかーたァァ!」

こめかみに今にも切れそうなほど血管を浮き上がらせて、土方は悪びれもせずにこちらを眺める坂田に向かってお返しとばかり拳を振り上げた。

「暴力教師〜」
「お前が殴ってきたんだろ!」
「こみゅにけーしょんだよ、先生」
「嘘つけお前のはストレス発散だろ!」

ぷるぷると挙げた手を震わせながら、それでも人通りの無くはない廊下で教師としてのモラルが一丁前に頭をもたげて、土方はイライラと拳を解いた。

「どいつもこいつもテスト終わった途端浮かれやがって…」
「はあーやっと解放されたってかんじ」
「お前みたいなやつでもテストは嫌なもんか?」
「まあね、一応。さすがに何もやんないで全教科満点は取れないし」
「そんなもんか」
「そうだよ」

今日は期末テストの最終日にあたる。
最後の教科を受験し終えた生徒たちは、身も心も軽くなったのか皆浮き足立って教室から早々と出て行った。
廊下の端にある坂田の教室の中にも、最早数人しか残ってはいなかった。

「まだ帰んないのか?」
「んー、ちょっとね」
「そうか、最終下校までには帰れよ」
「うん」

土方は坂田が教室に入っていくのを見届けると、職員室に向かってさっさと歩き出した。

***


「生徒に色目使うたぁ、ずいぶんな淫乱ちゃんに育っちゃって…」
「…ッ!」

階段の途中で急に声をかけられ、土方は思わず声の出所を振り返る。
踊り場を挟んでちょうど半階上に位置する階段、そこの手すりにもたれかかるようにして、隻眼の白衣がこちらを見下ろしていた。

「たか…すぎ!まだいたのか…!」
「ひでぇ言い草。テメエが卒業したのなんてほんの4年前だろ。」
「まあ確かにそうだけど…」

高杉と呼ばれた男は片目を細めてにやりと笑った。数年前と変わらないその笑みに心のどこかがじり、と思い出したように鳴る。

「先公になって戻ってきたって聞いてよ…どうよ教師ってのは?」
「思ったより楽しいもんだな」
「随分意外な答えだな…お前ツンデレまで卒業した?」
「してねえよ!」

土方がこの高校を卒業してしまう4年前まで、高杉と土方は俗に言う「教師と生徒を超えた関係」にあった。否、正確にはその関係の範疇を出ないようにしていたからあんなにも不安定だったのかもしれない。
剣道部の活動の最中にしょっちゅう怪我をしては、当時部長であった近藤に無理やり行かされていた保健室。そこの主である片目を包帯で覆った養護教諭は、その怪しい風貌ゆえ生徒たちの間では専ら畏怖の対象であった。
一方、部活でも委員会でも厳しい指導をし、後輩と馴れ合うことはなく常に畏敬のまなざしで見られていた土方には、その変に媚びない高杉の態度が妙に親近感をもって感じられて、保健室が次第に居心地のいい場所へと変わっていった。

高杉の妖しい色気に土方が惹かれたのが先だったか、土方の新鮮な若さに高杉がつい手を出してしまったのが先か、とにかくゆるゆると心を打ち溶け合っていた割に二人が深い関係になるのはあっというまだった。

それでも体面やら気恥ずかしさやらなんだかんだでちゃんとした言葉もきっかけもないままずるずると続いた関係は、土方の卒業と同時にあっけなく解消されて、以来二人が会うのは初めてのことになる。

にも関わらずちゃんと会話がスムーズに成り立つことに、土方は心のどこかでほっとしていた。

「ていうか、俺がこっち来てから今までどこにいたんだよ…?」
「ああ、ちょっと育児休暇もらっててな」
「はぁぁあ!?いくっ…」
「じょーだんだよ…ちょっと取りたい資格があってな」
「へぇ…」

土方が足を止めたままなのを見ると、高杉は階段をゆっくりと降りて土方のすぐ近くの手すりに背中を預けた。

「で、お前性懲りも無くあのガキと付き合ってんの?」
「べ…別にまだ付き合っては…」
「まだってことはいずれそうする気か?それとも俺のときみてーに曖昧な関係で終わらせんのか」
「…っ、俺は、そんなつもりじゃ」

ぐ、と身体を起こすと、高杉は土方の目を見据えた。
相変わらず澄んだ、真っ黒な瞳孔に自分の姿がぼんやりと映り込む。
その瞳が小さく震えているのを見とめると、高杉はフ、と息をついて階段を2、3段降りた。

「教師が生徒に本気になんてなんねーのはおまえが一番知ってんだろ」
「別に俺は、」
「高校生なんてのはまだほんのガキだ。目の前のことしか見えちゃいねー。テメェはこの4年で少しは世の中見て成長したろうが…」
「…」
「面倒臭いことになる前に、ちゃんと割り切るこったな」
「…もういい!余計なお世話だ」

ぐ、と手のひらを握りしめると、土方は高杉の横をすりぬけて下の階へと降りていった。
それをなす術も無く見送って、高杉は先ほどまで土方が手を置いていた所へ自分の手を重ねてみる。木でできたその手すりは、ほんのりと残る土方の手のひらの熱を伝えた。

(そういえば手もつないだことなかったな)

(俺は今も昔も本気だってんのに…)

「報われねェなぁ……」

ぽつり、と呟いた言葉は存外に名残惜しく廊下に響いて消えた。



***



書類を書き終えた土方が帰り際に教室を覗くと、最早誰もいない教室で坂田がぽつんと席に座って机に突っ伏していた。
いつになく寂しそうなその姿に、土方は思わず教室に足を踏み入れる。

「まだいたのか」
「あ、せんせえ…」

目だけをこちらに向けてそう言って、坂田は一度ゆっくりと瞬きをした。

「坂田、お前進路希望表は書いたのか」
「んー…まだ。めんどくせェ」

ぽりぽりと頭を掻きながら、坂田はいずれしなければならない選択からとりあえず逃れるように窓の外に視線を走らせた。
空に浮かぶ雲は、案外ゆっくりと進んでゆく。それでも遥か遠いその水蒸気のかたまりは、きっと間近で見ればものすごく速く動くのだろう。
ふうと息を吐いた土方は、坂田が突っ伏している席の前の机に腰掛けると、同じようにだだっ広い空のほうを見やった。

「坂田」
「うん?」
「お前頭だけはいいんだから、大学入ればぜってェ楽しいぞ」
「うーん…」
「大学に入れば、高校までの数学なんてツールでしかなくなる。大学でやる学問てのは、教えられるんじゃなくて自分で切り開いていかなきゃならねえもんなんだ。まだ誰も知らない謎に切り込んでいく快感は、一度覚えたら病みつきになるぜ。」
「せんせえ、俺もだれもしらない先生のナカに切り込んでった快感が忘れられないんですけどー…」
「ッ!おま…っ!人がせっかくいい話してんのに…」
「えーだってまじ気持ち良かったんだもんやみつきなんだもん…」
「てめえって奴は…」

土方は呆れたように額に手を当て溜息をついた。
坂田は土方の方へ向き直ると、その憎たらしいくらいに整った顔を下から覗き込む。


「でもね…先生、」
「…あ?」
「俺、理工受けよっかなーって思ってんだ。そんで、数学やんの。」
「…」

顔を上げた土方は目を丸くして坂田を見やった。
上目遣いに土方を見上げる坂田の顔にいたずらっぽい笑みが浮かんだのはほんの一瞬で、すぐに人を小馬鹿にしたような表情に変わる。

「で、ぜったい先生超えてみせるから」
「…ッ上等じゃねぇか!やれるもんならやってみやがれってんだ!」
「フン、すぐだかんねー。ゆび咥えて見てな 」
「おう、じょー」
「あ、やっぱり咥えるなら俺のゆびにして」
「…ッてめえ…っ!」

大げさに振りかぶった手はそのまま急に勢いを失って、坂田の頭の上にぽすん、と落ちる。
殴られるだろうと思って反射的につむっていた目を開けた坂田の前で、土方はふわりと笑って頭を撫でた。

「ふん、頑張れよ」
「……」

ああ、まただ。これが「オトナの余裕」か畜生。
知らず赤くなった頬を隠すように、坂田はうつむいて髪の毛を直す振りをした。ゆび先で探った頭頂部は、まだ土方の温もりを宿しているようで妙に触れがたい。

「さかた」
「なんだよ…」
「超えてみろよな、俺のこと」
「言われなくても」

超えてやるって、と言いかけた台詞は突然降ってきた唇に塞がれた。
目を閉じる間もなく一瞬で離れた土方の顔は、坂田の方からは逆光で良く見えない。

「じゃ、待ってるからな」
「…せんせ」

机から腰を上げて、出口のほうへ行こうとする土方の手を坂田は思わず引いた。
ん?と振り返った土方の唇に、自分のそれを勢いだけで押し付ける。

「……」
「ぜったい、追いついてみせるから」
「ふん、わかった」

いつものように偉そうな笑みを浮かべて、土方はもう一度、今度は坂田の額にキスを落とした。
そのまま身を翻すと、足早に教室から出ていく。
そのグレイのスーツが見えなくなると、坂田はおもむろに白紙のままの進路予定表をカバンから取り出した。


(俺、先生に早く追いつきたい)
(背伸びしなくても俺ァいつでもここで待ってるさ)
(本当?じゃあちゃんと待ってて)

(すきだよ、せんせい)


案外、未来は5分で決まる

おわり!

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嘉穂さまへ
リクエストのZ3の続きです。
続きをかけるとは思ってなかったので嬉しかったです!
存外高杉が出張ってしまってすみませ…これ、ちゃんと銀土でしょうか…
土方先生を書くのは好きです。
切羽詰ってるのに調子乗っちゃう年下攻×余裕ぶってもなんだかんだで流される受を目指しましたがどうでしょう。
このたびは素敵なリクエストありがとうございました!


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