(ちょっと待て…コロッケが売り切れとはどういう…!)

土方十四郎は惣菜売り場の揚げ物コーナーの前で立ち往生していた。
学校帰り、母親に買い物を頼まれて、わざわざ一駅分歩いてまで向かった大きめのスーパー。

渡されたリスト以外には好きなおかずを買ってきていいと言われて、真っ先に訪れたのがこの揚げ物コーナーだった。
今日は期間限定で発売中のかぼちゃコロッケが最終日のはず。しかし、目の前のショウケースの中には、かぼちゃコロッケが並んでいたとおぼしき空っぽの網と、その下に無駄にキラキラと散らばった衣のカスしか残っていなかった。


「あの、すいません…かぼちゃコロッケは…」
「申し訳ございません…本日はすべて売り切れてしまいまして……」
「売り、切れ…」

なぜ以前来たときに買っておかなかったんだ、と土方は一週間前の自分を責めた。先週の金曜日、同じようにおつかいで訪れたときには金色の衣を輝かせながら山ほど並んでいたコロッケさん。
レポートが終わったらご褒美で買おう、といういまとなっては無駄に健気な決心をして、涙を飲んでお別れしたコロッケさん。

そのコロッケがまさか売り切れてしまうとは。そのうえ来年までもう会えないとは。


「そう、ですか…」

土方は店員が怪訝な顔をするほどわかりやすく肩を落とし、かぼちゃコロッケさんのいないショウケースに背を向けた。
いや、何もたかが楽しみにしていたコロッケが売り切れたくらいでここまで落ち込むヤワな16歳ではない。
しかし不運は今に始まったことではないのだ。ここに至るまでの悪夢としかいいようのない一日を思い出して、土方は改めて溜め息をついた。


プリーズウォームマイハート!


***


一日の始まりはめったにしない「寝坊」という一大イベントで幕を開けた。
それも、目覚ましのかけ忘れという初歩的なミス。

朝食も食べずに起きて5分で家を出て、世界陸上の選手もびっくりの必死さで走っていたら、前日の雨でぬかるんだ地面で滑って転んで一回転。
昨晩夜なべして綺麗にアイロンをかけた制服は無惨なまでに泥まみれになって、それでも遅刻はできまいと家には引き返さずに学校に向かった。
素知らぬ顔で鳴り響くチャイムの音を聞きながら、こうなったら意地でも間に合ってやる!と飛び込んだ校舎の中、下足室で出くわしたのはにっくき金髪の同級生……が、自分の靴の中にマヨネーズをにゅるにゅると注入している場面だった。

「あ、土方さん。おはようごぜぇます」
「おはよう…じゃねえだろてめェ何してんのそれェェェ!」
「いや、珍しく上履きあるから休みなのかと思ってお見舞いをね」
「どんなお見舞いィィィ!」
「あれ?マヨネーズ嫌いになったんですかィ?」
「いやいやマヨネーズは大好きだけども入れる場所ォォォ!」
「あ、そっか!」

わかったぞ!という顔をしながら、沖田はおもむろに革靴を履いたままの土方の元に寄ると赤いキャップの外れたそれを土方の口の中に突っ込んだ。

「マヨネーズは食べ物ですもんね〜」
「う…うぶ…っ!」

にゅるにゅると口の中がいっぱいになるまで黄色い油の化合物を搾り出されながら、土方はチャイムが残酷にも鳴り終わるのを聞いていた。


***


「あれ〜珍しい土方くんが遅刻?しかもどーしちゃったのその卑猥な格好?」
「いや、ちょっと…」
「ちょっと襲われた?」
「……いや、事故です」

泥の上に沖田と争った際に飛び散ったマヨネーズまでふりかかって、土方の格好は「公園でヤンキーに絡まれて抵抗した挙句暴行されてしまった男子高校生」(銀八談)であったようだ。
とにかく着替えてきなさいと言われ、銀八が担当する一時間目の国語は途中参加。

廊下で制服を洗いながら聞き耳を立てていると、宿題をやってきた数少ない生徒のひとりらしい山崎を銀八が褒めている声が聞こえた。

(くそ…俺だって宿題やってきたのに…!)

実は銀八といわゆる「秘密のお付き合いをしている」土方は、一生徒という立場上目立った行動はできなかったけれども、その分誰よりも熱心に(ためにならないと専らの噂の)授業を受けていたりした。誰もやらない宿題だって毎回ちゃんとやっている。
(それなのに、アイツなんかが褒められやがって…!)
悔しさに任せてごしごしと無駄に力強く制服を擦っていると、飛び散った石鹸の泡がぴちゃっと目にダイブした。

「……う、」

さすがに涙が出た。


***


だるい4時間目の英語の授業中、追い討ちをかけるように降りだした雨はそのまま止まず、制服が乾かなかった土方はジャージのまま帰宅することを余儀なくされた。

湿ってずしりと重い学ランの入った袋を手に持って疲れた足をひきずって向かった先の、スーパーである。
天に金色に輝く唯一の希望だったかぼちゃコロッケさんが墜落したいま、土方を救える星は無いに等しかった。
母親のリストにあったものをとりあえず買い、手のひらに食い込むビニールの袋を地面すれすれに持ちながら土方は気力だけで足を動かして家路についた。

家に帰れば母親がご飯を炊きながら夕飯の支度をしていて、おやつよ、と言いながらマヨネーズポテチをくれて、濡れた制服を乾かしたりシャワーを浴びたりしているうちに夕飯になって、ほかほかの白米とかぼちゃコロッケの代わりに買ったさつまいもコロッケが出されて、あ、さつまいもも意外とおいしい!なんて言いながら今日あった不幸な出来事は全部笑い話にしてやろう…と幸せな妄想をしながら鍵を差し込んで開いたドアの向こう、には。

白米の炊けるいい匂い、はしていたものの、それを炊いているはずの母親の姿はなく、それどころか一歩踏み入れた家の中は電気すらついていなかった。

「……は?」

玄関で脱いだ靴もそろえずに、土方は一直線にリビングへと向かう。

机の上に、走り書きされたメモ。

『高校の同級生に誘われて、銀座にディナー行くことになりました。ごめんネ!買ってきてくれたのと、台所のおかず好きに食べてください。母』

「うそ…だろ…」

どさり、と両手の荷物を落とす。

(買い物頼んだのは母さんだろ…わざわざ疲れてるのに遠くまで歩いた俺の苦労は?しかも「ネ」ってなんか…なんかムカつく…!)

「あああああ!」

なんだか自分ばかりが不幸な気がして、どうにも腹立たしくて、でもどうしようもないから自分を悲劇のヒロインに仕立て上げようとして、それもむなしくて。少しずつ重なっていった小さなイライラは最早限界まで積みあがっていて、あとひとつピースを載せたらきっとばらばらに崩れてしまう。

こんなときこそ泣けたらそれはそれは楽なんだろうけれど、あいにく無駄に意地っ張りにできている自分の性格はこんなときにでも容易に泣くことを許してくれなくて、誰もいないのに「いい子」を演じようとして床に落としたスーパーの袋の中身を冷蔵庫に移す作業を開始する。
プラスチックのケースにはいったさつまいもコロッケはまだ暖かいのに、それを取り出す自分の手は冷え切っていて、暖めてくれる何かがここにはあると思ったのに、なくて、悲しくて、寂しくて、きれいに二つ並んだコロッケを見ながら喉の奥が熱くなった。

狭くなった気道に無理矢理息を吸い込んで、吐き出して、冷蔵庫にとりあえずコロッケをしまう。
ひとの心はこんなふうに、簡単に冷やしたり、温めたりできないものだから、だからいいのに、時々うまくコントロールのできない自分に無性に腹が立つ。


パックの牛乳を取り出してそれも冷蔵庫に入れようとしていると、不意に玄関のチャイムが鳴った。

(母さん…?)

それにしては早すぎる、と思いながら土方は玄関の方へ向かう。
宅配便かと思いながらサンダルをつっかけて、鍵を回して、おもむろに開いたドアの外、11月の冷えた寒空の下には、数時間前に別れた担任が、いた。


***


「土方くんこんばんはー」
「ぎ…ぱ…」
「んとちが抜けてるけれども」
「せんせえ…」
「そうだよ、土方くんの大好きな先生だよ…って、どうし、たの」

ぽん、と載せられた最後のひとつは、確かに積み上がったピースをばらばらに崩した。
けれどもそれは、予期していたような絶望的な崩壊ではなくて、むしろネガティブな感情を全てゼロにしてしまうような、そんな。

自分の姿を認めるなり急に泣き出した土方を見て銀八は慌てたように頭をかいた。

「え、ごめん…先生泣かした?」
「ちが…」

うわあん、と声を出して泣きながら抱きついてきた土方に、銀八は困惑しながらも満更でもない顔をする。

「え?え?どうしたのすんごいデレktkr」
「せんせい…せんせえ…」
「うん、うん」
「俺…、いい子でいたくて、それなのに、寝坊しちゃって、でも頑張ろうと思ったのに、沖田とかにいじわるされて、せんせいに褒めてほしかったのに、ぜんぜんだめで、おれ」
「わかった、わかったから、そんな泣くなって…」
「でも、寂しかったのお…っ」
「そっか…」

よしよしとあやすように背中を叩きながら、銀八は自分の胸に顔を埋める可愛い恋人の背中を抱きしめる。
この真面目な生徒が人一倍不器用なことを誰よりもわかっているからこそ、こんなときに抱きしめてあげられるのは自分しかいないこともよくわかっている。

「まあ、気が済むまで泣きなさいな…」
「うえ…っ、く、ひ…っ」

土方は次から次へと流れる涙を止めようともせず、やっと手に入れた暖かい存在に冷えきった心が融かされていくのをただ感じていた。
大好きな先生の体温はスーパーのコロッケよりもずっとずっと暖かくて、電子レンジなんかじゃなくてこうやって暖めあうことのできる相手がいるのが人間なんだ、と思って土方はまた泣きそうになった。

「夜ご飯は?」
「まだ」
「お母さんは?」
「いない…」
「せんせいと一緒に食べる?」
「うん」
「じゃあ泣き止んだら、これ、食べよ?」
「あ…」

ほら、と持ち上げた銀八の手の中、には。

「か、かぼちゃコロッケ…!」

にやりと口角をあげる銀八に、土方もようやく涙に濡れた顔を不器用に歪ませて笑う。
戻ろっか、と微笑んだ銀八の背後で、コロッケみたいにこんがり輝く月がふたりを明るく照らしていた。



おわり!

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二万打フリリク・二宮三咲さまリクエスト
些細なことで落ち込むけど最終的には先生の大人な愛に包まれる感じのぱっつち(大筋)
かぼちゃコロッケはわたしが好きなだけですすみません。

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