∵ 純愛メリーゴーラウンド

 

ほんの出来心だった。
いつも振り回されてばっかりだから、たまには仕返ししてやろうって。
些細な悪戯のつもりだったんだ。だから、

あんな顔するなんて、させてしまうなんて、夢にも思わなかったんだ。




「おめでとう、神童さん。退院が決まったんですよね」

「え・・・?」


いつものように検温を終え、リハビリの時間まで読書でもするか、と本を取り出した時だった。まだ病室に残っていた冬花さんがそう唐突に切り出したのは。


「・・・あら?もしかして、まだ医師から聞いてない?」

「・・・は、はい。本当なんですか?」

「そうだったの、・・・ごめんなさい。でも退院は本当よ」

「いえ。それで、退院日はいつなんですか?」

「医師に聞かないと具体的には分からないけど・・・多分、来週までには出来るはずよ」


それじゃあ、詳しい事はあとで医師に聞いてくださいね。といつものように優しく微笑みながら冬花さんが出て行く。残された俺は少しの間ポカンとしてから、目線を足にやった。


確かに、ここ最近リハビリの調子は良かった。ついこの前までは松葉杖があってもろくに歩けなかったのに、今では院内ならほとんど自力で歩ける。もしかしたら、とは思っていたけどこんなにも早く退院の話が決まるとは思っていなかった。


(連絡、しなくちゃな・・・。家と学校と監督と・・・それから)


それから、霧野。
口の中で小さく紡いだその3文字に、自然と頬が熱くなる。一人部屋で良かった。こんな恥ずかしい顔、他人にはとても見せられない。俺は熱を振り切るように数回首を振り、窓の外を眺めた。


今回の入院で俺が比較的落ち込まず明るく過ごせたのは、危なっかしげながらも芯があってみんなを前に引っ張っていける新しいキャプテンで可愛い後輩の天馬と、10年前に全国どころか世界にまで名を馳せた元イナズマジャパンの円堂監督に鬼道コーチ、今までずっと支えあい本気でぶつかり合ってきた頼りになるすばらしい仲間たちのおかげだ。彼等を心の底から信頼し、信頼されているからこそ、俺は自分が離脱することになっても冷静に受け入れることが出来たのだと思う。


でもそれでもやっぱり、心の奥底ではどうしようもない気持ちもあった。悔しくて辛くて悲しくて、どうしようもない、ぐちゃぐちゃな感情。だけど、それを溶かしてくれたのは他の誰でもない、霧野だった。普段の学校はもちろん、日に日に厳しくなる練習やそれによる焦燥や疲労もすごいだろうに、霧野は毎日お見舞いに来てくれる。何度も忙しいし疲れているんだから来なくて良いと言っているのに、俺が神童に会いたくて勝手に来てるだけだから、なんて言ってふわりと微笑むからもう口を噤むしかない。


多分今日もあと4時間くらいしたら来るはずだ。今日は土曜日で練習は午前中のみと言っていたから。きっと、退院の事を話したらものすごく喜んでくれるに違いない。俺はその光景を思い浮かべて、ますます霧野に会うのが楽しみになった。


それと同時に、ふと悪戯心が芽生える。
もし、もしも。俺が退院のことを伝えなかったら。いきなり退院した俺に、霧野はびっくりするだろうか? いや、それはさすがに無理があるな。誰よりも俺に近い霧野に、いつまでも隠し通せるとは思えない。
でも普段から良い意味でも悪い意味でも俺を振り回している霧野を驚かせると言うのはかなり魅力的だ。なら、どうする?


大丈夫。俺にはまだ時間がある。タイムリミットまで約4時間。
俺は小さな子供が悪戯を思いついた時に見せるような笑みを浮かべながら、退屈な1日に終わりを告げた。



_____




「神童、調子はどうだ?」


来た。
いつものように2つに分けた艶やかな桃色の髪を揺らし、私服姿で霧野が病室に入ってくる。穏やかな微笑みとその声に胸がときめく。でも、これはいつもの光景だ。いつもなら俺は何でもない風に笑って「ああ。大丈夫だ」と返事をするが、今日は違う。俺は曖昧に微笑んでから少し顔を俯かせ、シーツをぎゅっと握り締める。


「・・・神童?どうかしたのか?」


その様子に疑問を感じたのか、霧野が焦ったように俺のベッドへと近づいてくる。
それに対して無言を貫き、シーツを握る手に更に力を込めると、ただ事じゃないと感じた霧野が何度も名前を呼びながら俺の顔を覗き込もうとする。俺は霧野から顔を逸らして、少ししてからポツリと声を漏らした。


「・・・もう、霧野が無理して見舞いに来る必要は無いんだ」

「え?」

「・・・来て貰っても、意味が無いから」

「神童、それって」

「今までずっと、迷惑かけて悪かった」


霧野が息を呑む音がした。俺に触れようと伸ばされた手が、直前でピタッと止まったのが気配で分かる。俺は計算どおりに誤解してるであろう霧野の顔を拝むために、心の中で何度も練習したセリフと共にくるっと振り向いた。


「なんてな。実は来週、退院することが決まっ・・・」


俺はその続きを言うことが出来なかった。だって、霧野が。
霧野が、泣いていたから。



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