「……」
「……」

あまりの出来事に、私は長太郎君と二人でだまったまま互いに俯いて座っていた。
その理由は、数分前にさかのぼる。



その日、いつもの水曜日どおり私は長太郎君と音楽室でピアノを弾きあっていた。
文化祭用の合唱部の曲を披露してみたり、こんどの新人戦に長太郎君も出るって話をしたりしている中、突然やってきたのは跡部先輩。
それに、音楽の担当でテニス部の監督の榊先生。

最初は長太郎君に用かな、と思ったのだけれど、「何か自分にお話でしょうか」と進みでた長太郎君をみて、からかうように鼻で笑いながら「てめえじゃねえよ」と跡部先輩。
じゃあ私に?なんだろう?と思っていると、榊先生が私に視線を向けながら一歩前へ進みでた。

「瀬田飛鳥君だな。評判は、色々と聞いている」
「あ、はい……有難うございます」

評判って、なんの評判だろう。
小さくぺこりと頭を下げると、そんな私をみて一つ頷いて、榊先生は言葉をつづけた。

「唐突な話だが……君に、文化祭の舞台で一曲披露してもらいたい」
「……」

すこしの間を置いて、「えっ」という言葉が長太郎君とかさなる。
文化祭の舞台で?一曲披露?私が?どういうこと?なんの話?

私がついていけないでいると、跡部先輩が説明をしてくれた。

毎年文化祭では、有名なピアニストを呼んで一曲披露してもらっているらしい。
だけど今年は予算の関係で、学校の経費ではよべない。
榊先生が披露するという案や、跡部先輩の自費で、あるいは別にナシにしても構わない、という案もあったらしいんだけど、そんな時に先輩が思い出したのが私だった。

そして10月の修学旅行の前に、跡部先輩に披露したピアノ。
跡部先輩には「よく出来てるじゃねえか」と褒められたのだけれど、実はあれを跡部先輩の提案で音楽室の外で榊先生もこっそり聞いていたらしく『ちゃんとした指導を行えば、氷帝学園の生徒代表として十分人前で披露するにあたるレベル』と判断がでたのだそうだ。

「は、はあ……」

自分の知らないところでそんなことになっていたなんてと思うと、そんな気の抜けた返事しかできない。

「まあ、そういうわけだ。お前の技術・才能は、この榊監督と俺様が認めてる。文化祭でのピアノ披露、やってくれるな?」
「……え、えっと……」
「返事は、」
「は…はい……」

ああ、またデジャブ。
そう思いながら頷いて、じゃあまずは早速曲をと楽譜を渡され、明日の放課後までに一度さらっておくように告げられたうえで、二人を見送って今にいたる。



「なんだか、大変なことになっちゃったね……」

気づかうように苦笑しながらぽつりと口を開いた長太郎君に、「うん……」と力なく返して大きなため息をつく。
まさか本屋で跡部先輩と偶然出会ったのが、ここまでになっちゃうなんて……。
しかも文化祭までは、今から一ヵ月とちょっとしかない。

「はぁ……」

自分のピアノが跡部先輩どころかあの榊先生にまで認めてもらえたと言われてそれはうれしいけれど、いきなりな大役の話を前にため息しか出てこない。
合唱コンクールの伴奏をまかされたのと違って今度は私がメインで、しかも跡部先輩と榊先生に期待をかけられてのことだとなると重圧がすごい。
もちろん、返事をしてしまったからにはもうやるしかないのは決まっているし、いまさら「やっぱり辞退させてください」という気はないけれど……。

「……文化祭が終わったら、どこか行こうか。飛鳥さんの、行きたいところ」

もう一つため息をついた時、ふと聞こえた声に顔を上げた。
きょとんとしていると、優しく笑いかけながら長太郎君は続ける。

「俺は新人戦、飛鳥さんは文化祭。それぞれがんばって、そのごほうびというか打ち上げっていうか……そんな感じで、行かない?」
「そ、それはうれしいけど……でも私の行きたいところじゃ、私だけのごほうびになっちゃわない?」
「そんなことないよ。だって俺、飛鳥さんとならどこに行ったってたのしいし」

そう言って長太郎君は、目を細めてほほえんだ。
その表情に、私はちょっとドキッとして思わず視線を下におとしてしまう。
なんだろう。はずかしいというか、照れるというか、とにかくドキドキしてしまって、ちょっと直視できない。

そうしていると、長太郎君が軽く笑うのがきこえた。
「それで、どこに行きたい?」ときかれて、指先をいじりながら私は少しかんがえる。
出来れば、長太郎君もたのしめるところがいい。

「……遊園地、とかどうかな。ほらあの、夏にリニューアルオープンしたってニュースでやってたところ」
「ああ、あそこ。うん、いいね。行こう!」

去年からずっと改装工事をしていた遊園地。
それが再び開園になったのは、夏休みの頭のことだ。
夏の間は人が多かったみたいだけど今ならそれも落ち着いているだろうし、文化祭の代休に行けば大分空いてるだろう。

「それじゃあ、色々調べておくね」という長太郎君に、「私もなにか、」と言いかけたら「大丈夫だから、俺に任せて」と長太郎君。
「飛鳥さんにカッコいいところ見せたいんだ」と言われてしまえば、じゃあおねがいします、としか言えなかった。

(もう充分、カッコいいと思うんだけどなぁ……)

そうポツリと思いつつ、ドキドキする胸をかくすようにそっと押さえる。


――最近。
特に、あの修学旅行に行ってから私はなんだかヘンだった。

長太郎君を前に、ドキドキする回数が増えた。
それに、ドキドキするタイミングも増えているというか、なんだろう、悪化しているようなきがする。
前はなんてことなかった長太郎君のちょっとした仕草とか表情とか、そういうのにも反応してしまう。

あと実は、「長太郎君」って呼ぶのにも「飛鳥さん」って呼ばれるのにもちょっとドキドキしていたりする。
最近は大分なれてきたけれど、最初の頃は私がつい「鳳君」って呼ぶと長太郎君が「なに、【飛鳥さん】?」って私の名前を強調しながら笑って首を傾げてくるから、そのたびに慌てて、はずかしくなりながら「長太郎君」って呼びなおしていた。
長太郎君はきっとからかっていたんだろうけど、私は言いなおすたびにちょっと必死だったりした。

それから、長太郎君のことを考える時間がふえた。
一人で部屋にいても、部屋にほのかに漂うラベンダーの香りを意識するたびに、長太郎君は今なにしてるのかな、メール送ってみてもいいかな、邪魔にならないかな、って何度も何度もかんがえてしまう。
それで最終的にやっぱやめようってため息をついてみたり、たまにそう思ってるちょうどその時に長太郎君からメールが来てびっくりすると同時にすごくうれしくなってみたりしている。

修学旅行以来、水曜日の音楽室以外にもお昼の時間にご飯を一緒にたべたり、二人の部活が早めに終わった時に少し寄り道して帰ったりして長太郎君と一緒にいる時間はふえた。
だけど長太郎君と一緒に過ごすたびにヘンになる自分に、戸惑っていたりもする。

一番変だなっておもうのは、そうやって戸惑うのがイヤではないことだ。
なんだかちょっと、わくわくしている自分すらいたりして……それがなんだか、よくわからない。


ふう、とひとつため息をついて考えごとをやめる。
なんだかヘンな自分のことも気にはなるけれど、今はそれよりももっと気にしなきゃいけないことがある。

「お互いがんばろうね、長太郎君」
「うん。がんばろう、飛鳥さん」

そう言って、長太郎君と笑みを合わせる。

跡部先輩と榊先生からの演奏依頼。
そうでなくとも、失敗するわけにはいかない。


***


「それで、何を弾くの?」
「えっとね……」

椅子を飛鳥さんに寄せて、楽譜を隣からのぞきこむ。
つらなる五線譜の一番上に書かれたタイトルは、『Voi che sapete』。
見慣れないタイトルに、二人で首をかしげる。

「ヴォイ、チェ、サペテ……?英語、じゃないよねこれ……」
「ちょっと待って、調べるよ」

携帯を取り出して、タイトルを打ち込む。
そして検索して出てきた日本語名のタイトルに、思わず固まってしまった。

「どう?タイトル出た?」
「う、うん……」

動揺をかくしながらも、出てきた結果を飛鳥さんにみせる。


――恋とはどんなものかしら


日本語のページには、そう書いてあった。



(……なんだか俺、もしかして跡部さんにからかわれてないか……?)

昨日そんなことがあってからというもの、俺はそんな風に考えるようになった。

――恋とはどんなものかしら、とは。
モーツァルトが作ったオペラ『フィガロの結婚』で歌われるアリアで、恋に焦がれる青年・ケルビーノが、その恋の相手である伯爵夫人の前でうたうラブソングだ。

恋に焦がれる気持ちを歌った青年の歌は、それを渡したのが跡部さんだと思うとなんだか俺をからかうというか、皮肉っての選曲のように思ってしまう。
おかげで飛鳥さんと二人で遊園地に行く約束をとりつけた喜びより、そっちの方が気になってしょうがない。

とはいえ選曲には榊先生も関わっただろうし、まさかなあ。
……と思いつつ、跡部さんならありえなくもないという思いもあったりして。

(というかそもそも、跡部さんって本当に飛鳥さんのこと好きなのかな……)

前に跡部さんがテニスクラブに飛鳥さんを連れてきたときから、跡部さんも飛鳥さんのことが気になってて、つまりは俺のライバルなんだとそう思っていた。
だけどもしかしてそこからして、俺を挑発して、あの時のテニスの試合で本気を出させるための仕掛けだったんじゃないか、とふと思った。

いやでも、まさか跡部さんが準レギュラーですらない俺なんかに目をかけるはずないしな……。
それに万が一俺が跡部さんに目をかけてもらってたとしても、その為だけに跡部さんが女の子に個人的に近づいてくとはやっぱり思えない。
そう考えるとやっぱり跡部さん、飛鳥さんのこと気に入ってはいると思うんだよなあ……。

いや待てよ。だとしたら、文化祭に代表でソロ演奏なんてそんなプレッシャーのかかることさせるかな。
飛鳥さんって見るからにそういうのに弱そうな感じだし、俺だったら気にかけてるなら、なおさらさせないけどなあ……。

「うーん……」
「どうしたの、鳳君。悩み事?」

柔軟しつつあれやこれやと悩んでいると、ふと後ろから声がかかった。
振り返れば柏木さんがいて、俺の隣にしゃがみこむと「私でいいなら聞くよ?」と首をかたむける。

「あー……えっと」

とは言え、話すわけにもいかずにちゅうちょする。
そして誤魔化すにはひらきすぎた間をどうにかするために、代わりの話題を口にする。

「柏木さんってさ、夏にリニューアルしたあの遊園地行ったことある?」
「ん、あそこ?私はまだだなー。気にはなってるんだけどね。なに、どうしたの?」
「いや、実は今度の文化祭の代休に飛鳥さんと行こうって話してて。もし行ったことあるなら、オススメのアトラクションとか聞きたいなって思ってたんだ」

そう言うと、柏木さんの表情が一瞬固まったように見えた。
かと思えばほんの少し顔をしかめて、恐る恐るといった風に柏木さんは声をひそめて尋ねる。

「……もしかして、二人だけで?」
「う、うん……。俺の新人戦と、文化祭の打ち上げかねて息抜きに、と思って……」

おずおずと頷いてそう言うと、柏木さんはいよいよ眉根を寄せて口元に片手を添え、うーん、と地面を見つめて考え込むような顔つきになる。
それから少ししてちらりと俺の方に眉を下げた状態で視線をむけると、あのね、と口を開いた。

「たぶんそれ、二人だけはやめた方がいいと思うなあ」
「えっ?」
「だって、フツー女の子って男の子と二人きりっての結構緊張するよ?まあ、瀬田さんがそうかわかんないけど……でも普通に考えたら瀬田さん、楽しめなくなっちゃうんじゃないかな……」

それに、と柏木さんは続ける。

「文化祭の代休ってことは、他の氷帝生も来る可能性高いわけじゃない?クラスメイトに合うことだってあると思うんだよね。それで二人きりなの見られて、もしかして恋人同士なのかもって誤解されたらさ、瀬田さん気まずくなっちゃわないかな」

鳳君は、だって、そんな気ないんだよね?
一応聞くけど、と少し申し訳なさそうな顔をしながら柏木さんはそうつけくわえて尋ねた。

確かに、と思った。

確かに俺と飛鳥さんは、恋人同士でもなんでもない。(そうなればいいなっていう思いはさておき)
それに俺だって、飛鳥さんと二人きりで――要するに「デート」なんて、考えただけでけっこう緊張してしまう。

そして飛鳥さんも、最近俺といるとどうも緊張しているように見えることが増えた。
それは名前を呼び合うようになってのことだから、たぶん俺のことを、そういう意味で意識してくれている証拠だとは思う。
もしそうだとしたらうれしいのだけれど、そうなると言われてみれば、二人っきりで遊園地は飛鳥さんにちゃんと楽しんでもらえるのか不安だ。

それに柏木さんの言うとおり、タイミング的に遊園地には顔見知りもいるだろう。
そこで勘ぐられて飛鳥さんが気まずくなってしまったら、俺と距離をとってしまうんじゃないだろうか。

「……ね。私も、ついていこっか?」

俺が再び悩んでいると、柏木さんがそう言った。
え、と顔を上げると笑顔を浮かべながら柏木さんは続ける。

「私と、あと若。四人で行けばさ、誤解もされないだろうし。それにほら、私はモチロンだけど若も意外と瀬田さんとは上手くやれてる方だし。瀬田さんも、緊張しなくて済むんじゃないかな」

どう?と柏木さんは俺の顔を覗き込むように、首を傾げる。

確かに、柏木さんがいれば飛鳥さんも大丈夫かもしれない。
二人は仲が良いし、そもそも柏木さんは盛り上げるのが上手い方だから、飛鳥さんもきっと楽しいだろう。

……日吉も一緒なのは、色んな意味でちょっと気になるけど。
そりゃ日吉は良い奴だし、俺の友だちだし、あんまり女の子への対応が得意な方じゃないのに飛鳥さんにはがんばって気を使ってくれてることにはすごく感謝してる。
でも、それであんまり飛鳥さんが日吉と仲良くなりすぎるのはなんというか……。いやもう、ただの嫉妬なんだけどさ。

それはさておき。

(……やっぱり、柏木さん達もいた方がいいかな)

――鳳君は、だって、そんな気ないんだよね?
柏木さんの、問いかけ。それに大しては、本当を言うとノーだ。

だから少し残念な気持ちはあるけれど、飛鳥さんが緊張して楽しめなかったり、変な空気になっちゃう方がダメだと思うし。
そう思って「それじゃあ、お願いしようかな」と言うと、柏木さんは「了解!」とにっこり笑って返した。

「えへへ、実は私もあそこの遊園地すっごく気になってたんだよねー。若には、私から言っとくね」
「いや、俺が言うよ。発案者は俺だし、頼みごとになるし」
「……そっか。じゃあ、よろしくね」
「うん。それじゃあ、詳しいことはまた今度メールするね」

そして、それじゃあね、とそれぞれ部活に戻った。


――後で日吉に遊園地のことを話したら、寄せた眉間に紙か何かはさめそうなくらいものすごく顔をしかめられた。
そして、「お前は全然分かってないな」とあからさまに呆れたためいきをつかれた。

遊園地に行くことについてはオッケーしてくれたけど、結局その「分かってないな」の意味は教えてもらえずじまいで、少し気になりながらも俺はその日の部活を終えたのだった。




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