雨の音がする。
でもそれ以上に大きな、心臓の音。

やばい。爆発しそう。


***


雨の中、今日の晩御飯の材料を買いに外に出た。
目的のものを買って店を出て、傘を再び差したその帰路。

「……」

よく知った霊圧を道の先に感じて、思わず足を止める。
どうしてこんなところに、と思いながらも止めた足を今度は足早に進めれば、予想通りの人物が目に入った。

「朽木副隊長……」

軒下に、いそうもない人物が空へ視線を上げて佇んでいた。
それも、腕に紫陽花の花束を抱えて。

「……ユキか」

視線を空から私に移した朽木副隊長は、「どうした、こんなところで」と尋ねる。
完全に、こっちの台詞である。

「私は、夕餉の買い物に。朽木副隊長こそ、どうなさったんです?」
「注文していた茶が届いたので、受け取りに出ていた。雨が降る前に戻るつもりでいたのだが、途中で見事な紫陽花を見つけ、少し見ていたら降り出した故、こうして軒下に入ったまでだ」
「その紫陽花は……」
「紫陽花を育てた主が、気に入ったならば、と」

そうですか、と私。

朽木隊長の腕の中には、美しい紫陽花がいくつかの雨粒を散らしている。
青や紫をした大きな花の塊は、この曇天の下にありながら濃く色鮮やかで、ためいきが出るほど美しい。

しかし、と朽木副隊長は言う。

「やはり、庭先に咲いているのを見るのが良い。それも雨の時だ。その方、雨の下の紫陽花を見たことは?」
「何度か。そうですね、私もその方が趣があって好きです」

そうか、と朽木副隊長は満足げに呟く。
と、ふと電子音が小さく響いた。
懐から伝令神機を取り出した朽木副隊長は、画面に視線と落とすとすぐにまた懐へと閉まった。
かと思えば、その視線が再び私へと向けられる。

「仕事が入った。済まぬがその方、隊舎まで相伴願っても構わぬか」
「え?はい、構いませんけれど……」
「礼を言う。傘は私が持とう」
「えっ?」

思わず、目を瞬いてしまった。
そんな私を見て朽木副隊長はいくらか不思議そうに、ほんの僅かに眉根を寄せる。

私は、考える。
それから少しして、ようやく気付いた。

この状況で、朽木副隊長が私に「一緒に隊舎まで来い」と言う理由なんて一つだ。

「じゃ、じゃあ、お願いします……」

そっと傘を差し向ければ、中に入るのと同時に朽木副隊長の指先が私の手をそっと掠める。
触れられた場所から私が熱くなっていることなどつゆ知らず、朽木副隊長は私の手から傘を受け取った。


この雨の中――軒下に入っているのを見れば一目瞭然なのだけれど――朽木副隊長は、傘を持っていなかった。


***


雨の中、二人寄り添うように肩を並べて歩く。
傘は私がさすには大きいけれど、朽木副隊長と二人となると流石に少し狭い。
今にも肩が触れ合うような距離に耐え切れずに、自然と私の体は傘の外へと離れる。

「もう少し体を寄せても構わぬ。この狭い中だ、多少の粗相には目を瞑ろう」
「あ、ありがとうございます……」
「……そもそも、兄の傘であろう。主が肩を濡らすな」

よそよそしく小さくなる私に、呆れたように朽木副隊長が言いながら少し私の方へ傘を寄せた。
朽木副隊長なりに、気を使ってくれているようだ。

好意に甘えるのは簡単だが、そのせいで朽木副隊長の肩を濡らしてしまうのも忍びない。
腹をくくって、胸の鼓動を犠牲に朽木副隊長の方へと身を寄せる。


隊舎に向かって歩く間、会話は無かった。
元々朽木副隊長は口数が多い方ではなかったし、私は私でとても何か話せるような心境では無くて、ただひたすらぎゅっと口を噤んでいた。

だって、なにか話したら口から心臓が出そうだ。
朽木副隊長と、相合傘だなんて。

(う、わあ……も、無理……)

改めて意識したら、カッと顔が熱くなった。
朽木副隊長にバレてしまわないように、顔をそむけて地面に視線を落とす。

隊舎まではあと少し。
あと少しの我慢。

「……その方。近く、暇はあるか」

耐えろ心臓、と言い聞かせていると、ふと朽木副隊長がそう尋ねた。
いきなりなんの話だろう、と思いつつ「いつでも暇は暇ですが」と答える。

霊術院に通っていない私の普段と言えば、家事をしているか修行をしているかどちらかだ。
近所や護廷十三隊に知り合いは多いけれど、残念ながら遊びの約束をするような友達はいない。

私の答えを聞いて、朽木隊長は「そうか」と言った。
そして、ならば、と二の句を継ぐ。

「雨の続くうちに、暇を。兄も、あの見事な紫陽花をその目におさめるがいい」

私が案内してやろう、と朽木副隊長。
突然の約束に、固まる私。

どぎまぎしている私に対して、見上げた先の朽木副隊長は涼しい顔。

きっと意識もされてないけれど、きっと気には留められている。
それが少し嬉しくて、淡すぎる期待に勝手に胸が小躍りなど初めてしまって。

「楽しみに、しています」

そう告げるのが精いっぱいだったけれど、嬉しい気持ちはちゃんと顔に出せたと思う。



隊舎の前で朽木副隊長と別れる。

「今日の礼と、約束に」と分けてもらった紫陽花が、私の腕の中で鮮やかに色づいている。
改めて帰路を行く足取りは、心ともなく軽く弾んだ。




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