(なんなんですの、これは……!?)

その端正な顔に驚愕の色を浮かべて、レイールは目の前の光景に焦りを感じる。
あんなに居た巨体の破面達が、もはや数体しかいない。
そのことごとくが、突如霊圧を取り戻したユキによって地に伏せられた。

霊力の流れを解析し、量を解析し、封じ込めた筈だった。
始解も鬼道も封じて、そうして完全に素の状態の彼女の能力を測るのが、レイールに与えられた仕事の一つだった。

(霊力発生装置を持ってるだなんて、聞いていませんわ!あの女……!)

忌々しげに眉根を寄せて、レイールは前方のユキを睨みつけた。
右手は自然と口元に寄せられ、知らず知らずに爪を噛む。

(……とにかく、冷静になりませんと)

焦燥に引っ張られる頭を強引に引き戻すと、レイールは赤い瞳にユキの霊圧の流れを映す。

先刻見たかぎり、ザエルアポロが仕掛けた罠は効いていた。
彼女の霊圧は間違いなく、ザエルアポロが鎖結に留まるよう仕込んだ薬とこの室内の仕掛けによって適切に霧散処理、つまりは霊圧を『力の塊』として放出できない状態にされている。

先刻までと違うのは、ユキの霊圧量とそれが放出される勢い。
それが倍以上に跳ね上がっているせいで、処理が追いつかないのだ。

(けれど見る限り、無限ではなさそうですわね。これなら……)

刻一刻とゆるやかながら減少していく霊圧量に、レイールはこれが確実に時間制限のあるものであることを知る。
ひとまず安堵して、それ故に胸の内に疑問が浮かんだ。

(何故こんな仕掛けを……?普通に使えば、自殺行為ですわよ)

彼女の使用した仕掛けが、霊圧を最初から溜め込んでいるものか、彼女の霊圧を普段から備蓄しているものか詳細はわからない。
しかし、とにもかくにもそれを今彼女が扱えているのは、間違いなく彼女の霊圧を霧散させるこの部屋の仕掛けのせいだ。
この部屋の仕掛けがなければ、彼女の行為は強力な力を行使できる代わりに、本来の量をゆうに超えた過剰な霊圧の放出圧に耐えきれず鎖結が崩壊する。

(まあ……今はそんなこと、どうでも良いですわ)

己の足元近くに、大きな巨体が四肢を投げ出して倒れる。
それを見て、敵のリスクの考察など少なくとも現状の自分には無意味だとレイールは打ち切った。
それよりも、目の前の戦闘を長引かせることの方が大事だ。
今のままでは検体たるユキの今の霊圧が尽きる前に、自分へと戦闘が回ってきてしまう。

正面切って戦うのも、背を向けて逃げ回るのも、自身は得意ではない。
それに、ザエルアポロから言い渡された大切な任務を放棄したり、失敗したりするわけにはいかない。

即断して、レイールは己の谷間に手を入れるとその間から白い懐剣を取り出した。
鞘から引き抜けば、刃が妖しくも鋭く光を返す。
赤い瞳にその光を映して、レイールは口を開いた。

「――跪きなさい、嬌姦后(アベハ・レイーナ)」

その解号と同時に、レイールを中心に一陣の風が室内を一駆けする。
風は跳ね上がった霊圧を前方のユキと破面達へと伝え、彼らの視線をレイールへと集めた。

そこにいたのは、相も変わらず妖艶な姿をした美女だった。
ただし目の下には先刻まではなかった模様――仮面紋が現れ、指先を覆う綺麗な形をしていた爪は、その先端が鋭利な刃の切っ先のごとく整えられて紫色に染められている。
装いは、最も大きく変化した外形にあわせて更に露出度の高いものへと変化していた。

――彼女の背には、大きな二対の羽がついていた。
葉脈のように広がった細い筋に透明な膜が張られたそれは、昆虫のそれの形をしている。
両腕には、白い籠手がついていた。

その姿を見てユキが警戒した矢先、不意にレイールが手を動かしたかと思うとどこからともなく白い棘が現れ、こちらに向かって飛んできた。
無論それを避けるべくユキは後退したが、しかし彼女の考えとは異なりその棘が向かったのはユキではなく、ユキを取り囲む破面達の首筋だった。

「!?」

レイールの棘の餌食となった彼らは、途端に苦しみだす。
レイールが自身の力を上手く扱いきれずに誤ったのか、あるいはユキを仕留めきれない彼らへの制裁なのか。
唸るように苦悶の声をあげながら震える彼らを見てユキは一瞬のうちに考えたが、しかしそのどれもがハズレだった。

「私が何をしたのか、教えてさしあげますわ」

怪訝そうに眉根を寄せるユキへ、相変わらず前方の離れた場所で落ち着いているレイールはそう告げた。
艶やかに色づく唇を弧に歪め、赤い双眼を妖しく細める。

「女王ノ精兵(ムエルト・アフロディシアコ)――私の棘に刺された者は力を大きく増幅させて、捕獲対象の沈黙に精を出してくださるようになりますの」

レイールの説明に呼応するかのように一際大きく咆哮をあげたかと思うと、破面たちの体が肥大化して見るからに屈強そうになる。
室内の霊圧も、より重苦しいものになった。
厳しい顔つきを見せるユキを見て、レイールは嬉しそうに笑みを零す。

「さあ、ザエルアポロ様をこれ以上お待たせするわけにはいきませんわ。早急に、その死神を大人しくさせなさいな。――ああ、殺さないように気を付けて……ね?」

***

「、つぅッ……!」

右足を走る痛みに、ユキは眉根を寄せて唇を噛み締める。
鎧皮の強度が上がっている。
屈強になった分スピードが多少鈍くなったが、それを補うようにタフさとパワーが上がっているのだ。
おまけに、先刻まで虫の息だった破面までもレイールの棘が触れた途端、立ち上がり再び戦力に加わった。

(確実に仕留めないと、ってことだけど……これ以上やったら、足使えなくなるな)

無茶は出来ない。
これを倒しきっても、後にはレイールがいる。

(かといって、長引かせたら一緒だし)

今の状況が、ピアスに溜めていた霊圧が無限でないことは、ユキにも分かっている。

(やっぱソレ分かってるから、帰刃したうえにドーピングなんてしてきたんだよね)

死神の刀剣解放と異なり、解放すれば傷の回復も伴う破面達のそれは、死神達の解放よりも逆転の切り札という意味合いが強い。
それを早い段階で使ってきたということは、ユキの現状が制限時間つきであると判断しての可能性が高いということだ。
とはいえそれは逆に言えば、やはりユキの初見判断の通りレイール自体にはユキと正面を切って戦えるほどの能力は無いことをも意味しているのだが。

つまりは目の前の異形の破面達を時間内に倒せば、ユキの方が有利に立ち回れる。
相手に威勢が無いのであれば、疲労は気合で誤魔化せる。伊達に、あの更木と鎬を削ってきてはいない。

(こっちはずっと、ギリで命のやりとりしてきてるんだってば)

ナメんじゃないっての、と睨みつける先にはユキを涼しい顔で眺めているレイール。
こんな所で倒れて、好きにされてなるものかと、それは彼女自身の意地でもあった。
姑息とはいえくだらない手に引っかかりやられたとあっては、十一番隊の名に傷がつく。

(ルキアにだって、顔向けできない)

助けに来てくれた、ルキアにも。
――ふと、あれからどれくらい時間が経っただろうかと思案する。
相変わらず室内の霊圧が濃いのと迂闊に注意を他へ逸らせないことが重なって、ただでさえ弱くなっているルキアの霊圧を捕捉できない。

(……信じよう。大丈夫、ルキア一人で来たんじゃないんだから)

他の仲間が自分より先に辿りついていることを信じる。
それでも、早く駆けつけたいという気持ちに微塵も変わりはないのだが。

(に、しても)

振り上げられた一撃を躱して、同時に背後から強襲を仕掛けてきた一体の腕を横一筋に切り裂く。
そこへ続けて雷吼炮を叩きこんで、敵の腕を落とした。

(相手がこうだと、刀が使えないの結構キツいな)

元々ユキは、斬拳走鬼をバランスよく使う戦闘スタイルだ。
だから通常であればそこから刀を奪われたところで大したハンデにはならないのだが、今回は相手が相手なだけに『始解が出来ない』という明確なパワーダウンは厳しい。
おまけに体術も無暗に使えなくなった今、詠唱でどうしても攻撃にタイムラグが生じる鬼道を中心に戦闘を組み立てねばならないのは、手痛い以外の何物でもない。

(鬼道も、組み合わせればもっと色々出来るんだけど、こう数が多いと集中するのは怖い)

視界の外からの攻撃も警戒しなければならないが故に、それを解くのは自殺行為だ。
その点、更木はユキの攻撃を『待つ』きらいがある。
何をしてくるのか楽しみで、わざと攻撃をくらおうとするところがあるのだ。
それを思うと、今のこの戦いよりも更木との殺し合いの方が楽に思えてくるから不思議だとユキは思う。
実際のところ、まったく楽ではないのだが。

「縛道の六十一、六杖光牢!」

ユキの詠唱と同時に、六つの帯状の光が破面の動きを奪う。
その眼前に霊子を足元で固めて降り立つと、破面の顔へぴたりと掌をくっつけてユキは口を開いた。

「破道の六十三、雷吼炮」

電撃を帯びた太い光の筋が、破面の頭部を貫く。
反動に抗わずにユキが後ろへ飛び退っても、それはしっかりと貫通した。
ゆっくりと巨体が倒れるのを見届ける暇もなく、ユキは次の破面へと視線を定める。

(なんにせよ、力あるうちに全力出してくしかない)

最悪目の前の破面達さえ倒してしまえば、レイールと対峙した時には鬼道が使えなくなってしまっていても構わない。
レイール自身の能力に警戒する必要はあるが、それでもここまで己の手を汚すのを厭ってきた相手だ。

(そんな相手に倒されるほど、私はヤワじゃないんだから)

覚悟してなさい、と眼前の破面にレイールの姿を見ながら鋭い視線を送った、その時だった。

「ッ――!」

予期せぬ気配に、ユキは身を翻した。
しかし衝撃が頭部を掠めて、勢いのままユキは吹き飛ばされる。
幸いそれは他の破面に避けられたお蔭で追撃を受けることは免れたが、それでも壁にしたたかに背中を打ち付け、めりこまされた。

それよりもユキに衝撃を与えたのは、目前の光景だった。
脳の揺れが収まって次第にクリアになる視界に映ったのは、先刻自分が仕留めた筈の破面の姿。

「なッ……!?」

思わず、ユキは言葉を無くす。
目の前の破面は、しっかりと立っていた。
その頭部には確かに、ユキが雷吼炮で貫いた大きな風穴があるというのに。

(どういうこと!?そりゃ確かに破面は仮面割っても消滅したりはしないけど、でも普通に致命傷くらったら……そんな……)

驚愕に反応が一瞬遅れて、それでも間一髪でユキは目前に迫った拳を避ける。
とにもかくにも、状況が悪化したなら尚のこと呆けている場合ではない。

(超速再生はしてない。でも霊圧はある。死んでないんだ。これ以前に倒した奴らが同じように動かないってことは、きっかけはあの女破面の技。つまり、)

即座に判断して、鬼道を詠唱する。
その間にも繰り出される破面達からの攻撃に、ユキが集中を切らされることはなかった。
長い文言を澱みなく紡ぎ終えると、右手に灯った熱を頭に風穴があいた破面の足元へ飛ばす。

「破道の五十四、廃炎」

赤黒い炎が、破面の脚を焼き尽くした。それと共に、巨体が再び音を立てて倒れる。
残った双腕はまだ生きていて、その巨体を腕だけで持ち上げ起き上がろうとしたが、起きたところでどうしようもなくまた崩れ落ちた。

読みは、ユキが勝った。
致命傷を負わせた筈が復活した点についてはどういう仕掛けかは分からないが、再生がない以上、物理的に動けなくすれば結果は同じだ。
気を取り直して、より攻撃的な姿勢に切り替える。

一方、不快げに唇を噛んだのはレイールだった。
随分追い詰めているというのにあくまでしぶといユキの様子は、手間取ることに厳しいザエルアポロの存在もあって彼女を焦らした。

(憎らしいこと。大人しく動揺して、やられてしまえば良いものを)

実を言えば、ユキの捕獲にあまり時間はかけたくはないし、ユキ自身にもあまり粘ってほしくはない。
ザエルアポロの命令を正しくきこうと思えば、ユキを殺してはならないし、パーツにも損失があってはならないからだ。
生きた検体を求められるのは、相手が中途半端に力を持っていると途端に難易度が上がる。
正直なところ、先刻ユキの頭に破面の攻撃が掠った時もレイールはヒヤリとしていた。

(けれど、そろそろ霊圧は切れますわね)

目に映る数値が先刻よりもずっと通常値に近くなっているのを確認して、レイールは心の準備をする。
レイールの忠実な精兵となった破面達も、四肢が無事なものは残りわずか。
そろそろ切れるのは、自身の技も同じだ。

***

「破道の六十三、雷吼炮!」

完全詠唱と共に一際大きな一撃を放つと、目の前の破面を胴体ごと吹き飛ばす。
脚と胸が分かれて地面に落ちれば、そこに立っているのはユキとレイールだけになった。
一瞬揺れた体を踏ん張って耐えると、ユキは鋭い視線を保ったままレイールへ向き直る。

肩で息をするほど、呼吸が乱れている。
霊圧も、先ほどの一撃でこの部屋で使える分は使い果たしてしまった。
あと使えるのは純粋な、己の肉体だけだ。

だが、戦う気力は微塵も失っていない。

(正直厳しいけど、でも負ける気はしない)

静かに、レイールに向けて刀を構える。
刹那、地を蹴った。

「!」

あからさまに嫌そうな顔をして、レイールはその剣を籠手で受け止める。
その甲から、ちょうどユキの蒼焔の始解状態のように大きな棘が一本突きだした。
薙ぎ払う動作でユキを押し返せば、それと同時に棘がユキの方へ飛ぶ。

距離を取れば緊迫した空気が二人の間に流れたが、意外にも先に飛び出したのはレイールだった。
震えるような羽音と共に素早くユキへ肉薄しながら、二つ三つと棘を飛ばして向かってくる。
しかし苛立った様子を浮かべているのを見るにつけても、勝算があって向かってきているというよりも、焦れているだけとユキの目には見えた。

「しぶといこと!諦めて降参なさったらどうですの!」
「冗談でしょ」

まだ軽口を叩くだけの余裕がある。
それに、少し剣を交わらせただけでもレイールが直接的な戦闘においては全くの素人であることは明白に分かった。
きっと今まで、自身が戦わなければならないことなど考えたことがないのだろう。

だがそれが、思いがけずレイールにとって好転した。
ビギナーズラック、と――その瞬間のそれを一言で表すのであれば、まさしくそれだろう。

「ッ!!」

不意に強く、ユキの足を掴むものがあった。
ユキがそれに動きと共に気を取られた瞬間を、レイールは逃さない。


――白い棘がユキの腹に刺さり、瞬間、砕け散る。
途端に全身から力が抜けて、ユキはその場に成す術も無く倒れた。

(うそ、なにこれ)

息は出来る。苦しくも無い。
ただ、全身のどこにも力を入れることができない。
刀を掴もうと思っても、『指先を動かす感覚』がまったく分からない。

「……随分と、手間取らせてくださいましたわね」

ふう、という疲れた息と共にレイールがそうこぼすのが、頭上から聞こえる。
念を入れておいて損はありませんでしたわ、と。
そんな呟きが聞こえたかと思えば、首筋にちくりと僅かな痛みが走った。

それが何なのかは、すぐに分かった。
悔しい思いとは裏腹に、思考が闇に解けていく。


抗うように、しかしゆっくりと目を閉じたユキを見て、解放状態から戻ったレイールは今ひとたび溜息をつく。
視線を向かわせたのは、ユキの足。
その左足を、腕だけになった破面の上半身がしっかりと握っていた。

女王ノ精兵――事切れても気付かずに戦い続けるようになるその毒が切れたのか、今はもうその腕も、どの破面も動く気配は見せない。

(運搬用に、破面を一人残しておくべきでしたわ)

ユキがここまで粘るとは思わず、ザエルアポロに渡された破面は全て使い切ってしまった。
自らなどと普段なら冗談ではないが、これ以上ザエルアポロを待たせることの方がと判じてレイールがユキに手を触れようとしたその時だった。

「!」

常に感じているザエルアポロの霊圧が、大きく揺れた。
慌てて視界のチャンネルを、ザエルアポロがいる部屋の録霊蟲へ切り替える。
その目に映ったのは、敵の攻撃に大きくダメージを受けているザエルアポロの姿だった。

「ッ、ザエルアポロ様……!!」

瞬間、いてもたってもいられずにレイールは胸元から小さな玉を取り出す。
それをユキへぶつけると、瞬時に白い繭が彼女の体を包んだ。

その繭がユキの霊圧を遮断したのを確認して、レイールは部屋の隅へ跳ぶと壁のパネルを開いてボタンを叩く。
そしてその脇に開いた空洞から、ザエルアポロの下へ駆けつけるべく部屋を飛び出した。


白く四角い部屋は、途端に静寂に包まれる。
しかしそれは、そう長くは続かなかった。

「チッ……、ようやく見つけたぜ」

手間取らせやがって、と忌々しそうな声が室内に響く。
繭を四つの影が取り囲み、その中の一つがユキを包むそれへと手を伸ばした。




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